国内で行方不明は年間で8万人を優に超えています。
その中でも不可解な電話が何度もかかってきたのが特徴的な、西安義行さん失踪事件を解説します。
そうだ舞鶴へ行こう
1987年3月のこと、西安義行さんは高校自体の友人と二人で車に乗って舞鶴へ遊びにいきました。
舞鶴は舞鶴湾に面した港町で、重要文化財されている旧日本海軍の赤れんが倉庫群や日本のヴェネツィアと言われる吉原入江が歴史を感じさせ、豊かな自然も豊富で特に美しい海が見どころです。
十分に観光を楽しんだ帰りがけ、西安義行さんはJR山陰本線の綾部駅前で「電車に乗って帰る」と友人に告げて車を降りました。
安西さんの自宅は丹波市市島町近辺なので、帰りの行程を半分以上進んだくらいの場所。車を降りた理由は解っていませんが、推測ですが服装を気にしていたというので、その事で些細な口論にでもなったのでしょうか?
約1時間後、自宅についていた友人に、無事に帰宅したかを確認する電話がかかってきたのが最後で、それ以来、西安さんは居なくなってしまったのです。
数々の不審な出来事
西安さんが失踪してから、残された母親の身の回りに数々の不審な出来事が起きるようになります。
時系列で紹介していきますが、特にかかってきた電話が不気味で個人的にもゾワっとしました。
1987年5月
失踪から2ヶ月経過した5月、「ぼくはがっこうのよこに・・・」、そんなように聞こえる電話がかかってきた。
電話に出た母親は直感的に息子だと察し、「義行?」と聞き返すが返答はないまま切れてしまう。
かなり不明瞭で小さな声だったようで、なにか意図があったとすれば、そばにいる誰かに悟られないように配慮した行為したSOSだったのでは?
1988年X月
だれの物なのか解らない電話番号が書かれたハガキが自宅に届く。
差出人も記載が無かったので不明、解ってる事は消印が名古屋中央郵便局であり、担当となる地域のどこからか送られたようです。
果たして書かれていたのは電話番号ではなく、なにかの暗号ではないかと思ってしまいます。
1993年3月
失踪からちょうど6年目の春、再び自宅に不審な電話がかかってきたのですが、これが極めて不審な通話です。
母親が電話を取ると「うたうからきいて」と女児の声がし、「明かりをつけましょぼんぼりにお花をあげましょ」と「うれしいひな祭り」をたどたどしく歌い始めます。
普通であれば子どものイタズラと思いますが母親のカンでそう言わせたのか、「息子の子どもか」と尋ねるとすぐに電話は切れてしまったのでした。
女児が歌う「うれしいひな祭り」の意味を考えると母親が言うように西安さんのお子さんであり、自分自信の置かれている状況を母親へ伝える、唯一の方法だったと考えれます。
1998年X月
事件から11年経過、「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗る二人の男が地域自治体の区長宅に現れ、西安さんの両親が住む家の場所を訪ねてきました。
時同じくして、自宅の付近で不審な車が目撃されます。
車に乗っていたのが同一人物なのか、それとも、別人なのかは解りません。
2007年11月
またもや自宅に不審な電話がありました。
女の子の声で西安さんの妹がいるかと尋ねられ、留守である事を告げるとすぐに電話は切られた。
女の子の声が引っかかる所で、1993年にかかってきた幼女と同一人物であるかもしれません。
たとえば西安さんが失踪後に子供を持ち、93年当時3歳だったとします。根拠は七五三で、母親に自分の子供が3歳になった事を自信の安否と共に母親へ伝えたかった。
そして14年経過し17歳となり、なにかを伝える為に自宅に電話をかけた・・・その理由として最悪の想像ですが安西さんの身に不吉な事がおきたのかもしれません。
西安さんの行方はまるで分かっておらず、犯人像もまったくつかめていないのが実情で、時間だけが刻々と過ぎていったのです。
事件の急展開
日本海沿岸は北朝鮮の工作員が活動していたとされる地域で、1980年代後半は北朝鮮が拉致を行っていた時期と一致しています。
そういった事実から北朝鮮による拉致の可能性が高いと調査を行っていた、市民団体「特定失踪者問題調査会」が
2011年に一枚の写真を公開した事から事件は急展開したのでした。
それは2005年頃に入手した2000年頃の平壌周辺で撮影された写真で、安西さんと思われる人物が写っています。
ここで疑問なのはなぜ6年間も情報を寝かしていたのかですが、陰謀的な事ではなくデリケートなことでありますので「特定失踪者問題調査会」が吟味した結論から・・・だと思いたいです。
つまり、西安義行さんは北朝鮮によって拉致され、少なくとも2000年頃までは生きていたという可能性が高いという見方が有力視されたのでした。
そして今
一説よれば、拉致された人々は無理やり結婚させられて、家族を持たせる事で北朝鮮から逃げることが出来なくなるように仕向けられるとう話はあります。
写真の中で何かを見つめて微笑む男性は安西さんなのか判然としませんが、その視線の先には家族がいたのでは?という見解があり、子供を使って自分の居場所や安否を伝えようとしたのかもしれません。
2011年以降、安西さんに関する情報が出てくることはなく、なにもかも解らない状態で事件は未解決。
安西さんのご両親も歳をとり、お父様な亡くなっています。
一刻も早く事件が解決して安西さんが帰って来るのを祈りつつ、日本はスパイ活動が公然と行われている国なのだという、問題意識を強く認識させられてしまうのです。
※画像はイメージです。
思った事を何でも!ネガティブOK!