ある貧しい村では、泊まった旅人が夜のうちに殺されてしまい、朝を迎えることができなかった。村人たちは、殺した旅人の金品を奪い、分配していたのだ。
そんな身の毛もよだつような民話が、今なお日本某所に伝わっている。
筆者がこの話を知ったのは、児童文学作家の松谷みよ子・瀬川拓男夫妻が編集した『日本の民話』シリーズの第10巻『残酷の悲劇』においてだ。同シリーズに収録されている話は、あの「まんが日本昔ばなし」にも原作として採用されている。
朝見ずの里
さて、この「朝見ずの里」、あらすじは次の通り。
斜面の上にへばりつくようにして幾つかの家が並び、食うや食わずの生活をしている村があった。この村は旅人が泊まると夜の間にそれを殺し、所持品や金銭を村人同士で分け合うのを常としていた。ここに泊まると朝を迎えることができないと言うので、人々はここを朝見ずの里と呼んだ。
ある日、この里にある老爺の家に、一人の六部(日本各地を巡って写経した経文を収める修行者)が宿を求めた。老爺はこれ幸いと六部を泊め、寝ている隙に床下に落とし、七日七晩閉じ込めて殺してしまう。六部の身ぐるみを剥いで谷底に投げ込むと、鈴の音が響いてきた。六部は鈴を握りしめていたのであった。
獲物を仕留めてほくほく顔の老爺だったが、それからしばらくして不気味な事が起こるようになった。どこからか鈴の音が聞こえ、六部が寝ていた床のあたりから怪火が燃えだすのだ。
六部の亡霊にさいなまれた老爺は、狂死を遂げたという。
話の解釈
この話は、日本各地に伝わる「六部殺し」伝説の一種といえる。
室町時代に始まり、江戸時代に盛んになった六部たちの行脚だが、彼らが殺されたり、化けて出て怨みを晴らしたりする伝承は全国各地に伝わっており、これを「六部殺し」という。
有名なところでは、ある夫婦が殺した六部が彼らの子どもに生まれ変わり、ある夜「お前が俺を殺したのも、こんな晩だったなあ」と夫婦の悪事をあばくという話がある。
これは常光徹の『学校の怪談』シリーズの第1巻でも紹介されているので、ご存じの読者も多かろう。
それにしても「朝見ずの里」は、他の六部殺し譚と陰惨さの点で一線を画している。六部を床下に落とし、泣こうが喚こうが死ぬまで閉じ込め続けた老人は残忍きわまる。また、亡霊となった後、老人をひと思いに殺すのではなく、じわりじわりといたぶる六部も恐ろしい。何より、旅人を殺すことが常態化した村人たちに血の凍る思いがする。
殺した六部の着物を得意げに着る老爺を、他の村人たちが「爺さま、いい客をとってよかったのう」と羨ましがるくだりがあるのだが、もはや人の死などこの村では何とも思われていないのが分かる。
狂気の魅力
生きるために外部の者を殺してゆき、それが当たり前となった村人たちの狂気。そして執念深く相手を追い詰めた六部の怨念。それら二つがより合わさって生まれた迫力には一種独特のものがある。
編者の松谷たちがこの民話を集録したのは、何よりこの迫力に惹かれたためではないだろうか。
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