軍用機はギンギラだと不利なのに・・・。
空の要塞ボーイングB29がギンギラだった理由を解説します。
軍用航空機塗装の重要性
軍用航空機の塗装には敵の視認を惑わす迷彩と、敵味方判別のための所属国・部隊などの表示という、人員機体の損傷軽減のための重要な目的がある。
例えば旧帝国海軍では艦上戦闘機塗粧規定を、演習時の事故による墜落機体早期発見のための銀色塗装から、洋上実戦に備えた迷彩である艶消し灰色に昭和15年頃から変更した。
その後の航空技術廠実験で濃緑色が迷彩効果大とされ、昭和18年8月に濃緑色(上面)・灰色(下面)が規定塗粧になった。陸上のジャングル地帯での作戦が増えた結果かもしれない。
加えて塗装には防錆防蝕という機体保護の目的があるが、航空機用塗料は厳しい環境下に対応し得る高い性能が求められる。
- 耐摩耗性
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速度が桁違いに早い航空機は、雨や雹などはもちろん空気そのものが大きな損傷原因。
- 耐温度性
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地上と高高度の空中との数十度にもなる温度差は、塗装被膜の大きな損傷要因。
- 柔軟性
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高度による外気温変化と機体内外の気圧差で、軽金属製機体は収縮膨張を繰り返し、また機体を持ち上げる揚力を生む主翼は常に歪む。その形状変化に対応し得る性能。
- 対紫外線性
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高高度になるほど増える紫外線への耐性。
- 耐油性
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各機工部使用の多種多様な機械油類への耐性。
つまり航空機の塗装とは事程左様に簡単なものではない。
無塗装ギンギラのB29
1944年11月、米軍は制圧したマリアナ諸島から、ボーイングB29爆撃機による日本本土爆撃を開始した。
飛来するB29の無塗装機体は美しく銀色に輝いていた。
戦力低下が著しい日本軍とはいえ迎撃用戦闘機や高射砲が未だ健在な中、なぜB29は重要な塗装をあえて省き、その存在を誇示するような機体色だったのか。
マリアナ諸島~日本の距離約2500kmは、航続距離6000km超(爆弾7.2t搭載)のB29なら往復可能ではある。
しかし日本軍の迎撃に晒されながら多量の爆弾を搭載して作戦を遂行し且つ帰還するには、決して余裕がある状況ではなかった。
より多くの爆弾を積むために一時は尾部以外の銃座を撤去さえした。
また味方戦闘機の援護が不可能なため、600km/hを超える高速性能を活かし、同程度の速度の日本軍機を振り切って退避する必要もあった。
航空機の航続距離を伸ばし速度を上げるには機体重量軽減が手っ取り早く、それを即刻可能にする簡単な方法が機体の無塗装だった。例えばボーイング747など大型機の塗装には、現代の高性能塗料でも150~250kgの塗料が必要となる。
しかも太陽光線の反射を抑えるための艶消し塗料には、光を乱反射させる微粒子が含まれていて塗装表面が平滑ではなく空気抵抗が大きいのだ。
斯くして無塗装ギンギラのB29が誕生したと考えられる。
硫黄島陥落後、B29護衛に飛び立つP51ムスタングがやはり無塗装だったのも、その航続距離が硫黄島~日本間往復ギリギリだっただからではないか。
ポリッシュドスキン
航空機機体材料であるジュラルミンは酸化しやすく耐蝕性が低い。
腐蝕防止効果のある自然酸化被膜で覆われた、ジュラルミン材料表面をポリシュドスキンという。
この酸化被膜はジュラルミン材を研磨剤で磨き込むことで形成される。
塗料による塗装を避けたいB29の機体は、磨き上げられたポリッシュドスキンで美しくギンギラに輝いていたのである。
featured image:USAAF, Public domain, via Wikimedia Commons
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