湾岸戦争の地上戦で戦車軍団の米第7軍団は正面からイラク領内へ進撃します。
そこで待ち受けるのはイラクの精鋭である共和国防衛隊
米ソ冷戦で作られた主力戦車であるM1エイブラムズとT-72の真価が問われる戦いが始まろうとしていた。
砂漠の剣作戦開始
1991年2月24日に湾岸戦争は空爆でイラクを攻撃する砂漠の嵐作戦から、地上部隊によるクウェート解放を行う砂漠の剣作戦に移りました。
多国籍軍はまず、米軍2個空挺師団を中核に編成した第18空挺軍団を動かします。この軽快部隊がイラク軍の側面や後方へ回り込み、イラク軍の補給線や連絡線を遮断します。
この第18空挺軍団の作戦が予定よりも進んだ事で、25日から前進する予定だった第7軍団は24日の午後3時から進撃を開始します。
地上戦が始まって2日目も降伏するイラク兵多数を捕虜にしながら、多国籍軍は前進を続け、2月26日の午前にイラクの指導者であるフセイン大統領はイラク軍のクウェ―ト撤退の命令と表明を行った。
多国籍軍将兵には空爆でイラク軍は弱っていると楽観的になりつつあった。
待ち構える共和国防衛隊
一方で共和国防衛隊は多国籍軍との交戦は無く、戦力は健在でした。
そして第7軍団は砂嵐に悩まされながらもイラク軍の拠点を撃破しながら進撃を続けていました。
26日午後、第7軍団は共和国防衛隊のタワルカナ師団の攻撃を受けます。
遭遇戦となったこの戦いは、第7軍団の第2機甲騎兵連隊がタワルカナ師団の射撃を浴びた事から始まります。
敵に撃たれても第2機甲騎兵連隊はM1A1を押し出し、前進を続けます。
待ち伏せていた8両のT-72を撃破し、突破すると新たなT-72とBMP-1歩兵戦闘車の集団が襲い掛かります。
第2機甲騎兵連隊のM1A1は止まる事無く新手の敵を撃つ。
この敵集団も撃破すると全周警戒の円陣で固まる複数のT-72も撃破しました。第2機甲騎兵連隊は28両のT-72を撃破し、損失はM2ブラッドレー歩兵戦闘車1両でM1A1の損失は無く敵を撃退しました。
この戦いは戦った座標番号から73イースティングの戦いと呼ばれます。
勝敗を分けたのは
この戦いの勝敗を分けたのは戦車に盛り込まれた技術です。
戦車が巻き上げる砂や砂嵐が舞う中での戦いで、M1A1に装備された熱線画像で写る暗視装置がT-72を捉え続けたからです。
この技術の優位が終始積極的な攻勢ができた要因と言えます。
73イースティングスで見せた米軍の押し続ける積極性が、タワルカナ師団の態勢を崩し続ける事ができたのです。
逆にイラク軍は戦車を陣地に埋めて敵戦車を至近距離での撃とうとしましたが、米軍の暗視装置の前では効果はあまりありませんでした。
eyecatch source:Military_MaterialによるPixabayからの画像
※写真はイメージです。
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