イスラーム世界における長篠の戦い!チャルディラーンの戦い

日本で織田信長は鉄砲という新兵器を使い武田勝頼の騎馬軍団を撃破しました。
イスラーム世界でも小銃の火力で騎馬軍団を撃破した戦いがあります。

それが、チャルディラーンの戦いです

戦いの背景

16世紀のイスラーム世界は3つの大帝国が覇を競っていました。

コンスタンティノープルを陥落させ、バルカン半島とアナトリア高原を支配下に置くオスマン帝国、イランを中心にトルコ系騎兵のキジルバシュを使い勢力を拡大させたサファヴィー朝、インド北部を支配したムガル帝国の3つです。

オスマン帝国は北東はハンガリーなどと、南でマムルーク朝エジプトと戦いそれぞれ優勢でした。東はシリア北部からメソポタミアへと進出しつつありました。一方、新興のサファヴィー朝は白羊朝を滅ぼしタブリーズを占拠するとイラン方面を制圧し、シャーを称しました。

タブリーズ入城時にシーア派であるサファヴィー朝がスンナ派を攻撃したため、スンナ派の守護者を自任していたオスマン帝国との対立が深まりました。

■オスマン帝国第9代皇帝 セリム1世
Bilinmiyor [Public domain], via Wikimedia Commons

オスマン帝国の内紛

当時、オスマン帝国のスルタンとなっていたセリム1世は兄弟たちとの権力闘争の末、スルタンの地位を得ました。

権力闘争に敗北した王子の一人がサファヴィー朝のイスマーイール1世のもとに逃亡します。セリム1世はサファヴィー朝に決戦を挑むべく軍を東へとむけました。

戦いの推移

歩兵が主体で数に勝ったのがオスマン軍、オスマン軍の最強部隊は火器で武装したイエニチェリという歩兵軍団でした。

一方、サファヴィー軍の主力はトルコ系騎兵のキジルバシュです。戦いはサファヴィー騎兵による波状攻撃で幕を開けます。戦いの前半戦である騎兵戦ではサファヴィー軍の優位で推移します。

しかし、戦いの後半となると小銃のみならず大砲まで動員した火力に勝るオスマン軍に戦局が傾きます。結局、サファヴィー軍はオスマン軍の火力に屈しタブリーズも明け渡して西方に逃れました。

戦いの後、サファヴィー軍は火力を中心とした軍制を取り入れ、オスマン帝国との国境紛争を継続します。

Codex Vindobonensis 8626, ein um 1590 entstandenes “Manierenbuch” [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

Writing by ホクリエル

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