美幌町にゼロ戦と北京原人?北海道の都市伝説を考察する

陸上自衛隊美幌駐屯地、元々旧日本帝国海軍航空基地でありました。
ここには巨大な地下壕が存在し、零戦や軍資金、考古学的に貴重な「北京原人の化石骨」が隠蔽されているという噂が今でも囁かれ、北海道テレビの人気番組内でも特集が組まれ調査をしましたが、見つけることはできませんでしたが、地下には確かに巨大な空間の存在が確認されています。

という事で、今回は北海道美幌町の陸上自衛隊美幌駐地にまつわる都市伝説を紹介したいと思います。

目次

美幌駐地の都市伝説

陸上自衛隊美幌駐地は、海軍美幌航空基地を継承した駐屯地で、昭和15年に開設されました。
海軍美幌航空基地は、戦時中“日本最北にある日本海軍航空基地”と呼ばれ、九六式陸上攻撃機を主力とした陸上攻撃部隊の基地。マレー沖海戦で他の航空部隊と共同ではありますが、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈した功績が有名。終戦後にはGHQにより解体され、飛行場跡等は、陸上自衛隊によって美幌駐屯地となるのでした。

そしてこの基地には、北京原人の化石骨、ゼロ戦、貴金属やプラチナ塊が今でも隠されているという都市伝説があり、諸説ありますが、噂が広まった理由は基地の関係者である、元日本兵の証言にからだと言われています。

北京原人の化石骨とは?

北京原人の化石骨、1929年(昭和4年)12月2日、北京市の郊外で約50万年前の北京原人の化石骨が発見されました。日中戦争が激化していく中、保護のためにアメリカ合衆国船籍のプレジデント・ハリソン号で河北省秦皇島からアメリカ本国の輸送を計画でしたが、途中で日本軍に拿捕され、そこから北京原人の化石骨は行方不明になります。

後に、元陸軍航空中尉 村岡氏が、上官の肥佐多少佐と共に、絶対口外無用を条件に知った「中身はプラチナ塊のほか“北京原人の化石骨”など」とされる、7個の軍用行李を台湾まで輸送し埋蔵したと証言しています。

なぜ美幌駐屯地に?

ではなぜ?美幌駐屯地なのか?
戦後の昭和24年、村岡氏は台湾政府の突然の召還を受けて、昭和61年に埋蔵した場所を掘り返したが軍用行李は発見できません。帰国後、村岡氏は軍用行李の行方を調べていくうちに防衛省の資料室から、結びつくような暗号文章を美幌の第41海軍航空廠に関する資料から見つけます。他にも元地元民からの「終戦後、台湾から輸送機で7個の軍用行李が運ばれてきた」という情報から、必ずここにあると確信したそうですが、念願叶わず村岡氏は病死してしまうのでした。

ゼロ戦に関しては、元帝国海軍軍事の方が終戦直前に美幌航空基地の地下壕に数機のゼロ戦を格納していると話を聞いて、地下壕を探し出すと、今にも飛び立ちそうな完全武装のゼロ戦を見つけたという話を元に制作されたドキュメンタリー番組が都市伝説の大元だと思います。結局この番組内ではみつかりませんでしたが・・・・。

結局

本土決戦、もしくは終戦直後に、米軍に対してゲリラ戦で抵抗する、拠点の一つとしての準備していた可能性があり、完全に嘘だと否定はできません。近年、北海道テレビの番組の駐屯地を調査では、巨大な地下空間が見つかり、専門家によれば地下工場等であると言われているので、もしかしたらなにか発見されるのではないでしょうか?

見つからないのは、戦後、GHQによる調査で発見され、密かにアメリカへ持ち去られたというのも考えられます。

※画像はイメージです。

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