皆さんは世界の未解決事件に興味がありますか?
もし欧米の猟奇殺人事件に関心をお持ちなら、第二次世界大戦後間もなくロサンゼルスで起きた、ブラック・ダリア事件は当然食指をそそられると思います。
今回は迷宮入りしたブラック・ダリア事件の闇、ならびに真犯人を考察していきます。
始まりは1947年~公園に遺棄された無残な死体
1947年1月15日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス。レイマート・パークと呼ばれる公園で成人女性の遺体が発見されました。遺体は損傷が激しく、腰で切断された上全身の血を抜かれ、屍蝋のように青ざめた皮膚を曝しています。さらには口が耳まで切り裂かれ、グロテスクな笑顔を刻んでいました。
惨たらしい創傷は全身に及び、大腿部の肉は薄くスライスされています。腰の断面からは腸が露出し、両肘は直角に曲げられ、卑猥な開脚姿勢をとらされていました。第一発見者は幼い娘と公園を散歩していた地元の主婦。最初は人体と気付かず、壊れたマネキンが捨てられていると勘違いしたそうです。
被害者の名前はエリザベス・ショート、享年22歳。ブルネットの艶髪が印象的な女優志望の美女でした。
エリザベス・ショートは1924年、マサチューセッツ州ボストンにて五人姉妹の三番目として産声を上げます。一家の運命を変えたのは1929年の世界恐慌。その翌年に破産した父が蒸発し、母は五人の娘たちを抱えて必死に働きます。
それから12年後の1942年、死んだはずの夫から突然手紙が届きました。ショートの父は自殺を偽装して妻子を欺き、単身カリフォルニアに逃れていたのです。
都会に憧れてやまぬショートはカリフォルニア在住の父と暮らし始めるものの、親子仲が拗れた挙句に家を飛び出し、駐屯地の酒保のホステスや友人たちとのシェアハウスを経て、ハリウッド通りで営業するナイトクラブ裏に部屋を借りました。その頃から不特定多数の異性と付き合い始め、事件直前には25歳のセールスマン、ロバート・M・マンリーと不倫しています。
ショートは殺される1週間前にも愛人と会っていました。マンリーはショートと小旅行に出かけたのち、ダウンタウンのサウス・グランド・アベニューにあるビルトモア・ホテルで彼女を下ろします。ショートは別れを惜しむ彼に、「これから姉妹と会うの」と告げたそうです。生きているショートを最後に見かけたのはホテルの従業員で、ロビーに備え付けの電話で誰かと話していたと証言しています。
捜査の進捗とブラック・ダリアの由来
検死解剖の結果、ショートの遺体には強姦の痕跡が認められました。しかも外陰部は切り刻まれ、被害者自身の太腿からスライスした肉片が、女性器と肛門に詰め込まれていたのです。完全に常軌を逸した異常者の犯行でした。ロサンゼルス市警は総力を挙げて犯人を追跡するも、事件は複数の要因から混迷の一途を辿ります。
マスコミは哀れな被害者にブラック・ダリアのニックネームを授け、彼女の身に起きた悲劇をセンセーショナルに報道しました。俗称の由来は前年に公開されたサスペンス映画、『The Blue Dahlia』から。生前のショートが黒い服を好んだ習慣も関係しています。
イエロージャーナリズムの急先鋒「ロサンゼルスエクザミナー」紙他、マスコミはブラック・ダリア事件に群がりました。ロス市警は広く情報提供を呼びかけたものの、捜査は遅々として捗りません。最大の原因は初動の遅れが招いた現場保存の杜撰さ。市警の到着時には既に野次馬が現場を荒らし、犯人の痕跡が消されてしまっていたのです。
野次馬の中には取材陣も含まれました。とりわけ強引だったのが「ロサンゼルスエクザミナー」紙の記者、ウェイン・サットン。彼はショートのプロフィールを聞き出す為、「お宅の娘さんが美人コンテストで優勝したから記事を書きたい」と母親に電話をかけています。
鑑識の解剖が進むに連れ、さらに猟奇的な事実が暴かれていきます。ショートの膣は先天的に未発達な状態であり、通常の性交は不可能でした。そこで犯人は性器を切り裂き、無理矢理強姦に及んでいます。右の乳房は抉り取られていました。死体の胃には人間の排泄物が詰め込まれ、頸部には紐状の痣がくっきり。直接の死因は失血死……塑像するだにおぞましいことに、ショートは生きたまま切断されていたのでした。
ブラック・ダリア事件の真犯人は誰だ?
確実に言えるのは、犯人がとんでもないサディストであるということ。彼、ないし彼女はショートを虐待することを楽しんでいました。頸部の痣がその証です。致命傷が腰の切断によるものなら、その前に無駄に苦しめる必要はありません。拷問の一環として首絞めが行われたと考えれば筋は通ります。ショートを執拗に嬲った目的は、被害者の尊厳をとことん踏み躙る為でしょうか。
マンリーと別れた1月9日から死体となって発見される1月15日まで、ショートの足取りは杳として掴めていません。この1週間はミッシングウィークと呼ばれ、被害者の人間関係が徹底的に洗い直されました。
駐屯地の酒保で働くショートは毎度男に寸止めを食わせるせいで、「お高くとまった嫌な女」と反感を買っていました。彼等はショートの身体的欠陥を知りません。故に逆恨みで嬲り殺しにしたと考えるのが最もわかりやすい道筋。
「ショートはコールガールだった」と証言する関係者もいます。最有力容疑者は交際相手のマンリー。ホテルの従業員は電話を終えたショートがホテルを出る所を目撃しています。大前提としてショートが姉妹と会った事実はなく、マンリーの偽証が疑われました。
ポストから回収された証拠品
事件発生から1週間後、ショートが宿泊していたビルトモア・ホテル付近のポストから不審な小包が回収されました。宛名は「ロサンゼルスエクザミナー他各紙」となっており、中には被害者の出生証明書・社会保険証・アドレス帳・名刺・別々の軍人と撮った写真が入っています。アドレス帳は半ばから破り取られ、指紋はガソリンで消されて検出できませんでした。
ご覧の通りブラック・ダリア事件の闇は深いです。が、「ヘラルド・エクスプレス」紙の記者アギー・アンダーウッドは諦めませんでした。
アンダーウッドはブラック・ダリア事件を彼女の元同僚、ジョーゼット・バウアドーフの事件と結び付けます。
家出娘のバウアドーフは遡ること2年前、口にタオルを詰め込まれた状態で自宅の浴槽に沈んでいる所を発見されました。死因は窒息死。二人の境遇はよく似通っています。アンダーウッドは連続殺人の線を検討するも、上司の圧力によって取材は打ち切りに。
後日ロス市警の捜査線上に浮かんだジャック・アンダーソン・ウィルソンは、知人にショート殺しの詳細を語り、その会話をテープに録音されました。アンダーソンは警察が世間に伏せたショートの体の欠陥を知っていたのに加え、バウアドーフ事件の容疑者としても取り調べを受けており、心証は極めて黒に近いグレーと言えます。
ところが警察に呼び出される前に寝タバコの失火が原因で焼死。参考人死亡に伴い、ブラック・ダリア事件は迷宮入りしたのですが・・・。
2008年にゾディアック事件の容疑者ジャック・トーランスの筆跡をFBIが分析した結果、それがロサンゼルスエクザミナー紙に宛てた、小包の宛名の字体と酷似していることが判明します。トーランスの遺品の中にはショートによく似た女性の写真も紛れ込んでいました。
はたしてゾディアック事件とブラック・ダリア事件は同一人物による犯行なのでしょうか?
未解決事件の真相に興味が尽きません。なお、ブラック・ダリア事件は映画化されています。J・M・エルロイの原作小説『ブラック・ダリア』では意外な犯人像が語られているので、興味がある方はぜひお読みください。
featured image:Los Angeles Police Department, Public domain, via Wikimedia Commons
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