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寄り添うお墓

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八十八か所巡りをするお遍路さんが通る道、近くにある雑木林の中、今でもそのお墓はあるはずです。

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お彼岸のお墓参りで見つけたお墓

実家は江戸時代から続く古い家で、辺りを治める庄屋として苗字ももらった豪農だったそうです。
なので、今でも春と秋のお彼岸には、先祖代々続く40基以上の墓の墓参りに半日費やします。
古くは、『天保』や『天明』などと刻まれた墓石もあるくらいで、墓の場所も、実家の近くの山の中に4ヶ所ほどに分かれて点在していて、墓参りだけでも大変でした。

雑木林を分けて獣道をぬけていく、少し開けた場所というような、とてもへんぴな場所にあるお墓もあります。
普段から誰でもいかないからといよりは、なかなか行く気にならないというのが正直なところです。
しかしお彼岸には必ずいかなくてはならず、掃除をしてお花を手向け、お菓子とお米をそなえます。

そのお墓の脇の藪の中に生い茂る草に紛れて、2つのお墓が見えたのです。
子どもだった私は、母に「あれ、何のお墓?あの二つはお参りしないの?」と、聞きました。
私が指摘した墓は、墓の格好はしていますが墓石には何も彫られていませんでした。
作業をしていた母は手をとめて、「あれは心中した人のお墓だから、触ったらいかん。かわいそうだとも思っちゃいかん。ついてくるから」と渋い表情で私にいったのを今でもはっきりと覚えています。

そのお墓はなぜ?

母も死んだ祖母に聞いた話だそうですが、心中した旅の男女を葬った墓だそうです。
「昔は、お墓をたてるのもお金がすごくいったから、旅してきた人が死んでも、誰もお墓をたてようとせんかったき、ご先祖様が不憫がってね、自分の山にいけたのよ」
※いける、とは埋葬を意味し、土の中に何かを埋める際に使います。

口伝えの話なので、母の話がどこまで正確なのかはわかりませんが、心中した男女が埋まっているので、二つのお墓は、肩を寄せ合うように左右から倒れかかっていると言うのです。

その様子に、心中した人達というフレーズはしっくりきました。
もちろん、最初は2つ並べてたてられていたと思われるお墓でしょうが、荒れた藪の中の2基のお墓は寄り添っている姿は心中した男女を想像させました。

「お墓が荒れて、かわいそうだからって、掃除したりしたらいかん。触っちゃいかん。お菓子も線香もあげたら、いかん」
優しくすると、すがりついてくるから駄目だそうです。
同じことを繰り返し伝える母から、私は子どもながらに何かを察したような気持ちになりました。

今でも

大人になっても毎年、墓参りをしています。
寄り添う心中墓は今でも、誰も掃除をしたりしないので荒れています。
お墓はお金がかかるのに、いくらお金があっても不憫なだけで、身内でもない他人の墓をつくるでしょうか。
それにお墓を手入れしたした為に、なにかがついてきて困ったことでもあったのでしょうか。
もしかしたら他に理由があるのかとは思うのですが、その度に母の言葉は頭をぐるぐる回って、なんだか調べてはいけない気分になるのです。

それにしても存在は知っているけれど、知らない振りをすること。
江戸の頃から口伝えで伝わる心中の話、実際、怖いのは生きている人間の方かもしれませんね。
今でも、そのお墓は雑木林の中にあるはずです。

※画像はイメージです。

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