二十年ほど昔、二〇〇〇年代の前半から中盤にかけて私が現場に立って見聞きした話だ。
当時、私が通学していた高等学校は、何十年もの昔からスポーツ強豪校として世間に知られていた。歴代の学校経営者たちは、体育会系の部活動で成績を上げることに力を注いできた。
そのためか、鉄筋コンクリートで建造された体育館は年季が入っているものの、二階建ての大きなものだった。
一階部分は、剣道部など部活ごとのトレーニング室に区切られており、授業や卒業式などは二階の大体育室で行われていた。
館内には、一階から二階へ行き来するための大きな階段があった。一階にある踊り場の壁が不自然なかたちで盛り上がっていることに、どうしても目がいってしまう。
せわしない学校生活を乗り切ることに誰もが必死だったが、この壁を目にするたびに、そのような現実の領域から一瞬だけ、生徒たちの意識は逸れた。
密室
体育館内部にある階段の一階、コンクリートで作られた踊り場の壁は、一面がクリーム色のペンキで塗装されていた。踊り場から屋外へと出る廊下の途中に、クリーム色の塗装で誤魔化そうとしてあるが、あとからコンクリートで「塞いだ」ように、不自然なほど壁が盛り上がった箇所があった。
問題の箇所のまえに私が立ってみると、かつては何らかの部屋へと通じる入口が存在し、それを後から塞いだように当時の私には映った。長方形に盛り上がった壁は、人が出入りするドアと同じほどの縦幅と横幅に、すっぽりと収まる大きさに感じられた。
閉塞の方法はコンクリートを用いた頑丈なものだ。こじ開けるにはドリルなど解体工事の機材を用いて、本格的にコンクリートを砕かなければならない。
体育館の一階廊下を歩いて屋外に出ると、体育館の外壁には少しだけ開いた窓があった。先ほど目にした、コンクリートで塞がれた部屋の内部であるらしい。だが窓のある部屋へと入るドアが、周囲のどこにも存在しない。
窓からは錆び付いたシャワーヘッドを、かろうじて窺うことは出来た。それでも、窓は私が立っている地面から2メートルほどの高さにあって、背伸びをした程度では窓の中を覗き込むことは出来ない。どうしても窓の向こうを見たければ脚立を使うほかに手段はないが、そんな変態めいた行動に出る者は、私を含めて誰もいなかった。
シャワーヘッドのある部屋は確かにある。しかし部屋に入るための出入口が、周囲のどこにも見当たらない。では過去には出入口があったのか?
あったとすれば、長方形のコンクリートで「塞いだように見える」体育館一階にある問題の壁、そこの他には思い当たる場所がない。存在しているが入れない部屋。
どうした意図なのか、誰も入れないよう出入口が閉鎖されたと思しき部屋。
塞がれた部屋の謂れと省察
かつて、体育館の一階にはシャワー室があった。あるとき、高校の名門である柔道部の部員が、女子生徒を性的に暴行した。
事件当時、柔道部の顧問は地元警察やマスコミ関係者に顔が効いたので根回しをした。柔道部や高校経営者の社会的名誉を優先、事件の隠蔽に成功した。だが被害者である女子生徒は事態を受けて、シャワー室で自殺。
その後、自殺した女子生徒の幽霊が出没するようになり、シャワー室の出入口は固く封印された。体育館の一階の壁が不自然に盛り上がっているのは、かつてシャワー室の出入口があった場所を塞いだためである
・・・という噂を、あるとき私は学校内で耳にした。そのような暴行事件や幽霊騒ぎは現実に起きたのか。現在まで、私は事実関係を検証したことが無い。ただし、幾つか疑問を感じる噂ではある。
暴行事件が起きた。事件の隠蔽に成功した。隠蔽工作に絶望した被害者が、体育館のシャワー室で自殺し化けて現れた。被害者が化けて現れては困るから、出没する場所ごと塞いで誰も入れなくした。
これで事件関係者は万事オーケー?
よく考えなくてもヘンな噂である。
おかしいと思われる理由
第一に、そう簡単に暴行事件の隠蔽は可能なのか。事件が起きたとすれば、またたくまに通学する生徒・家族・交流のある不特定多数の個人のあいだに事態が伝達される筈だ。
その中から、名前を隠してメディアに情報を売ろうと考える人物が現れるなどして、事件の発覚を完全に隠蔽できるとは思えない。自殺が生じれば、尚更である。
第二に・・・百歩ゆずって、心霊的な解釈をしてみる。自殺した被害者が幽霊となってシャワー室に出没するとする。
それが、コンクリートで入口を塞いでしまえば幽霊もセットで閉じ込めることに成功する、というのもヘンだ。
生きている加害者や隠蔽に加担した人物を、呪うなり祟るなどして、報復する力のない幽霊なのか。幽霊なのだから、コンクリートの壁くらい抜け出して加害者の前に現れることだって、出来そうなものではないか。
この噂だが、口にした人物も聞いた私も互いに信じていなかった。
なぜなら噂に登場する「事件の隠蔽工作をはかった柔道部の顧問」は、私が通学していた当時も老年ながら現役の教員であり、威圧のために生徒や後輩教員を(ヤンキーが恐喝するように意味もなく)殴打することに余念がなかった。「このジジイを祟るなどして殺せない幽霊など、大した存在ではない」。
噂を耳にしてから、そんな感情を抱いたような記憶がある。柔道部の顧問は生徒だけではなく、OBや教員からも恨みや敵意を抱かれていた。
階段の真意
この、シャワー室が塞がれた理由と幽霊談にとってコアとなっているのは死者ではない。長年にわたり高校に君臨しつづけ、政治力を発揮していった柔道部の顧問である。
彼に対する怨嗟が集合的な物語として結実した結果が、シャワー室の幽霊談だろう。
この噂は、八〇年代から九〇年代にかけて流布した素朴さのある怪談と、二〇〇〇年代以降に流布する犯罪型都市伝説の中間に位置する。おそらく二〇二四年に流布するとしたら幽霊は登場せず、もっぱら教員と学校経営者の暴力性や反社会性に特化した物語となるだろう。
不定形だが巨大で集合的な怨嗟や憎悪が、二〇二四年の都市伝説を育む感情的なモチベーションとなっているように、私には思われる。
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