自称未来人ジョン・タイターがネット上に降臨したのは2000年のことだった。タイムトラベラーのご登場とあっては、エドガー・ケイシーもババ・ヴァンガも黙って引き下がるしかない。なにせ相手は近未来社会の目撃者なのだから。
いやいや、早とちりはいけない。
ここはタイターが示唆した「書き込み通りにならない可能性」にも注目すべきだろう。わたしたちが今いる世界と彼がいた2036年の世界では空間座標にズレがあるから、というのがその理由らしい。つまり、タイターが言う2015年の第三次大戦勃発や中国の日本併合はあくまで彼のいた世界線の出来事であって、わたしたちの世界線の出来事ではないということになる。
だとすれば、心配するには及ばない。タイターの書き込みは予言とはいえない。予言とは、同一世界線上の未来を知覚するものであろう。少なくとも、「あら、隕石衝突は外れて当然よ。だって、あれは別の世界線についての予言ですもの」などと弁解する予言者はみたことがない。
ジョン・タイターと一連の騒動については、のちに社会実験的な試みであった可能性が指摘された。しかし一方で、現代人が意識だけタイムワープして未来の人間に乗り移り、未来社会で見聞きしたことを現代に戻って記録したという逆パターンの話もある。身体そのものが過去や未来に行くのではなく、意識のみが時空を超えてしまったケースだ。
ある朝目が覚めたら、そこは1985年先の世界だった。男は未来からのメッセージを託されたのだろうか。スイスのタイムトラベラーによる衝撃の手記をご紹介しよう。
昏睡中に遠い未来へ意識がスライド
2016年に米国で『CHRONICLES FROM THE FUTURE』という書籍が刊行された(電子版は2015年)。タイトルの直訳は「未来からの年代記」で、サブタイトルに「パウル・アマデウス・ディーナッハの驚くべき話」とある。発売後にはアマゾンのジャンル別ランキングで2位を記録し、読者の半数以上が「5つ星」をつけるなど評判は上々だった。
サブタイトルにあるように、著者はパウル・アマデウス・ディーナッハ。1884年生まれ、スイス人、職業は言語学教授。フランス語やドイツ語を教えるかたわら研究にも熱を入れる真面目な教職者だったという。
彼は生まれつき身体が弱く、意識障害にも悩まされ、過去に嗜眠(しみん)を経験したことがあった。嗜眠とは意識混濁のひとつで、放っておくと眠りつづけ、強い刺激を与えなければ反応も覚醒もしない状態のことをいう。
その数年後の1921年、今度は嗜眠より重度の昏睡状態に陥ってしまった。
医師が回復を絶望視するなか、ディーナッハは昏々と眠りつづけた。そして1年がたったとき、彼は奇跡的に意識を取り戻す。
しかし、驚いたのはこのあとだった。長い眠りのあいだ、彼の意識は西暦3906年の世界にスライドし、ある人物に乗り移って、その男の人生を生きていたというのだ。虚言癖などまったくない、真面目な教師の訴えに周囲は困惑するばかりだった。
未来からの年代記
ディーナッハによると、3906年の世界では意識のシフトは周知の現象であるという。未来社会の人々は彼を温かく迎え入れ、21世紀から39世紀までの歴史を語り聞かせた。20世紀についての情報開示を制限したのは、ディーナッハが元の世界に戻って歴史を操作するのを防ぐためだったと思われる。
やがて1年がすぎ、彼は1922年の世界で目覚めた。意識が現代に戻ってからも体調はすぐれず、穏やかな気候を求めてギリシャに移り住んだ。そして、覚えているかぎりのことをノートに書きとめた。結核でこの世を去ったのは1924年と伝えられる。問題のノートは教え子のゲオルギオス・パパハジスに託され、パパハジスが翻訳に着手したことで出版にいたったというわけだ。
当初、パパハジスはこの手記をSF小説かなにかだと思ったという。ノートには西暦2000年から3906年までの壮大なスケールで人類史が克明に書き込まれていたからだ。しかし翻訳を進めるうちに、これらは師が未来社会で体験した事実であることを確信する。
では、肝心の手記の内容を駆け足でみていこう。
2300年までの人類社会は、人口過密、環境破壊、経済格差、紛争などの問題が山積し、荒廃の一途をたどる。2200年代には火星コロニー化計画が完了して2000万人が移住するが、移住先で大規模自然災害が発生して入植者が全滅。火星コロニーの夢は砕け散る。
2309年、地球規模の未解決問題が国家間対立の火種となり、大規模核戦争(世界大戦)が勃発。ほとんどの文明は崩壊し、黒人種と黄色人種がほぼ全滅。
2396年、平和と秩序を取り戻すための世界政府が樹立される。しかし、世界政府の専制に抵抗する国家もあり、人々が国家という概念を手放すのに数世紀を要する。貨幣がなくなり、全資産をすべての人に再分配。労働時間も徐々に減り、新たな暦が制定される。
3382年、人類の脳が「ハイパーヴィジョン」という新たな感覚を獲得。人類の創造力が飛躍的に向上し、思考にも変化をもたらす。
3400年、1000年にわたる暗黒時代がようやく終わり、黄金時代が到来。
3906年、人口は10億人以下に調整され、全人類が豊かな生活を送れるだけの資源が確保される。住居、食料、衣服等が無償になり、もはや私的所有物は存在しない。労働は生涯を通じて2年間のみとなる。この時代、人類は不安や悩みから解放され、幸福を享受する。悪意という感情も失われる。法律は、「2年間の労働」「交通と生産物の再分配の方法」「安定した人口を維持するための出産制限」という三条項のみ。
このほかにもAIを凌駕する人工知能、触覚まで再現するホログラフィー、地球外生命体との接触についても彼は言及している。SF小説で描かれる光景が、1985年先の世界では現実のものとなっていたのだ。
手記の信憑性
ざっと読んだところ、現在わたしたちが直面している宇宙移民構想や環境問題、経済格差、不穏な世界情勢のくだりはある程度の信憑性を与えている。しかし、火星の植民地化や世界政府、なんだかよくわからない脳の進化などは1920年代初頭の人間には奇抜な未来像だったはずだ。当時の時代風景を考えれば、なおのこと。
ディーナッハが昏睡状態から目が覚めると、そこは見知らぬ病院の一室だった。彼はパニック状態に陥って、自分になにが起きたのかを医師らに訊ねた。が、言葉がまったく通じない。
ディーナッハがドイツ語を話していることに気づいた一人が、「あなたは高名な物理学者のアンドレアス・ノラムで、大事故に遭ってここへ搬送されたのです」と説明した。
驚いて鏡をのぞくと、そこには見知らぬ男がいた。窓の外には超高層ビルが立ち並び、空飛ぶ乗り物が浮かんでいる。
ここは天国だ。わたしは死んだのだ。彼がそう思ったのも無理はない。
予言というものは、その信憑性について常に議論の対象となる。ディーナッハの手記をどうとらえるかも人それぞれだろう。懐疑的な
見方をすれば、白人至上主義、社会主義、共産主義の産物のようにも読める。個人的には、パウル・アマデウス・ディーナッハなる人物が実在したのかどうかまで疑ってしまう。
ただ興味深いのは、彼が生涯を通じてこの手記から利益を得ようとしなかったことだ。『未来からの年代記』が陽の目をみたのは、彼の死後90年以上が経過した2010年代半ばのことだった。ディーナッハは公表することを望んでいなかったのだろうか。それともファティマに舞い降りたマリアのように、予言の公開時期を指定していたのだろうか。
予言の功罪を考える
予言には、未来に起こる災厄を回避する効力がある。信じれば備えることができ、シミュレーションもできる。
厄介なのは、人間の脳にはイメージしたことを良くも悪くも実現させようとする特性があることだ。思考が現実をつくる、と言い換えてもよいだろう。
社会心理学に「予言の自己成就」という言葉がある。「根拠のない見立てや誤情報が新たな行動を呼び起こし、その結果、当初の見立てや誤情報が現実のものになってしまう」というメカニズムだ。たとえば、誰かが「A銀行は1年以内に倒産する」と予言したとする。すると、その予言を耳にした預金者が殺到して預金を引き出してしまい、実際に倒産してしまうという具合だ。「予言が当たった」と錯覚するケースのひとつといえる。
ネガティヴな予言や情報には注意を払い、それらが現実化しないように意識することも大切になってくる。
はたして、わたしたちが歩む未来はディーナッハの手記のようになるだろうか。記述の正当性は歴史の証明を待つしかない。しかし、この世界線にどんな未来がおとずれようと、その未来をつくりあげたのはわたしたち自身なのだ。
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