中国ビジネスに身を置いて四半世紀。
現地での都市発展のスピードを肌で感じながら、闇も感じてしまう日々を送っています。
1995年、改革開放政策で中国が大きく舵を切り混沌とした時代にインターネットが普及し、この「北京330番バス事件」が一気に広まり、三十年以上が経った今もなお、都市伝説として語り継がれているのです。
1995年 極寒の北京駅バスターミナル
話は1995年の極寒の北京駅バスターミナルから始まります。
330番の最終バスの乗客は若い男性客1人だけ、定刻となったため運転手はヘッドライトを照らし、郊外にある目的地へ出発しました。
舗装もされていない郊外の寂しい道を走っていると、停留所のない所で三人組がバスを止めようと手を振っていました。バスが近づきライトに照らされたのは白い衣装を着た老人男性、その両脇には若い男女、なぜか3人とも顔が青白く見えたのです。
運転手は疑問に思いながらも、困っているだろうとバスを停めて 3人を乗せました。
老人は比較的手前の座席に座り、若い男女は老人の前に立つのを確認し、運転手はバスを発車させます。
最初から乗っていた若い男性客がふと正面に座った老人に目をやると、老人は震えていたので「寒いですか?」と声をかけました。
すると老人は「こ、この二人は足がないんじゃ」と囁き声で返してきます。
疑問に思いながら、男性客は男女の足元を見ると暗い車内もあったのでしょうが二人の足が全く見えません。そして、バスが揺れているにもかかわらず微動だにしない事に気付きました。
さらによく見ると、男女がつり革と反対の手で持っていた紙袋の中身がうっすら見え、それは骨のような白いものだったのです。
男性客は恐怖におののきながらも、平静を装って運転手に声をかけました。
「すみません、ここで降ろしてもらえませんか」
運転手は怪訝そうにバックミラー越しに彼を見て、落ち着いた口調で言いました。
「次の停留所にトイレがある。そこまで行こう」
停留所までの数分がこの男性にとても長く感じたことでしょう。
降りる間際に老人がすっと手を差し伸べ、「このお守りを持っていきなさい、決して山の方には行くんじゃないぞ」と紙切れを渡してきます。
男性は夜道を逃げるように自宅へ帰り、翌日、テレビで驚くようなニュースを観たのです。
「数日前に行方不明となっていた330番のバスが、山奥の崖下で廃車となって発見され、運転手と乗客1名が亡くなっていた。」
映像には運転手と亡くなったと思われる乗客の写真が映し出されていましたが、前日乗ったバスで見た2人の顔そのものでした。
また、老人と一緒に乗って来た男女はいなかったようですが、事故現場の映像では男女が立っていたあたりに大量の冥幣(死者に供える紙幣) が散らばっていたのでした。
消えた報道と北京330番バス
私が2007年に北京へ駐在していた頃、この話は現地メディアでも紹介されていました。
当時の中国はインターネットの急速な普及に伴い、政治的に敏感な話題は検索制限や削除の対象となり、報道も当局の管理下に置かれ、すでに明確な情報統制が敷かれていました。
2008年の北京五輪を控え、社会の安定維持が優先されていた時期でもあります。
ただ統制があったからといって、政治や政府への批判ではない、交通事故が完全に記録から消される事はすくなく、
死者が出るバス事故であれば記録が残るのが通常です。
むしろ当時は、ネット上の怪談や実話と思われる記事がポータルサイトに転載され、半ばニュースのように紹介される状況でもありました。
その後、サイト閉鎖や記事削除によってアーカイブが消えることは珍しくなく、改めて記事を探してみても見つかりませんが、あまりにも情報を見つけられないのは不自然です。
結局のところ、330番バスの話は実在事件というより、インターネット時代に生まれた創作の一つだった可能性が高いと考えられますが・・・真相は分からないままです。
※画像はイメージです。


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