アメリカンドリームを抱いて皆が西を目指した西部開拓時代には、冒険活劇のロマンを感じますね。
されど中には目的地に辿り着けず、隊員の大半が命を落とすケースもありました。
今回は西部開拓時代に起きた凄惨な事故、ドナー隊の悲劇を解説します。
一攫千金を狙い西を目指す大家族たち
1846年春。還暦過ぎのジョージ・ドナーは愛する妻子を伴い、ミズーリ州インディペンデンスからカリフォルニア州へ旅立ちました。そのドナーと意気投合し道行きを共にしたのが、アイルランド系移民のジェイムズ・リード一家。
旅の滑り出しは至って順調でした。その証拠にタムセンはスプリングフィールドの友人に「この先酷い事件が起こらなければ問題なさそうよ」と手紙を書き送り、後年のヴァージニアも「最初の頃は幸せだった」と回想しています。ドナーとリードは仲が良く、各世帯の子供たちも一緒に遊び、カリフォルニアに着いたらどんな家に住んで何をしたいか、無邪気な笑顔で夢を語り合っていたと言います。
が、和気藹々とした団欒は長くは続きません。開拓団のリーダー、ランスフォード・W・ヘイスティングズから手紙が届き、俄かに雲行きが怪しくなり始めます。
正規ルートと新しい近道、どちらを選ぶ?
ドナーたちが受け取った手紙には「早く行きたければ私が勧める近道を使いなさい。ブリッジャー砦で待ってるよ」と書いてありました。
ブリッジャー砦を目指すにあたり改めてリーダーを決めることにした一同はドナーを指名しました。彼が選ばれた理由は癇癪持ちのリードと比べ、寛大で温厚な人柄だったから。リードはこの決定を根に持ち、ことあるごとにドナーに食ってかかるようになりました。
紆余曲折を経て再出発した一行を、またもやトラブルが襲います。なんとブリッジャー砦を目前にしてヘイスティングスと行き違い、置き去りにされてしまったのでした。
進むべきか戻るべきか……運命の分岐を前に苦悩するドナーでしたが、「道は平坦でインディアンもいないよ、350マイル(560キロ)も旅程を短縮できるなんてツイてるじゃないか」とブリッジャーに唆され、最悪の決断を下します。即ち、ヘイスティングの近道を行くことにしたのでした。実際は急峻な斜面や断崖絶壁が数多く存在する、危険地帯であるにもかかわらずです。
ブリッジャーがドナーを騙したのは、彼らが近道を使いヘイスティングスに追い付けば、その噂が広まって自分の交易所が儲かると考えたからでした。早い話が打算です。
そうとも知らずドナー隊はヘイスティングスの近道を進み始めます。
数日後、最初の難所にさしかかりました。斜面が急すぎて馬車が滑落しかねない為いちいち車輪をロックしなければ進めず、ここで大幅に遅れを取ります。途中の木にはヘイスティングが指示を記した手紙が貼り付けられていたものの、風雨でインクが掠れて劣化し、まるで役に立ちませんでした。
その後も度重なる障害に難儀してヘイスティングスとの合流を諦めた一行は、ここから引き返して旧道に戻るか、ウィーバー峡谷の難所を抜けるか、ヘイスティングスの助言に沿って新しいルートを開拓するかを話し合い、リードの主張で三番目の提案が採択されます。
結果、事態はさらに悪化。ドナー隊の行く手には鬱蒼とした森林が広がり、馬車を通すために逐一木を切り倒し、大小の岩をどかさなければならなくなります。当然の如くストレスは募り、絶え間ない諍いが勃発し、メンバー同士で憎み合いました。おまけにインディアンの奇襲に遭い、100匹近い家畜が惨殺されます。
とりわけ不憫なのが結核にかかっていたルーク・ハロランで、誰も彼の面倒を見る余裕がなく、各世帯の間をたらい回しにされていたといいます。遂には開拓団の最後尾に位置するグレイブス家に追い付かれ、ドナー隊は総勢87名の大所帯に膨れ上がりました。
真の地獄の開幕 人肉で命を繋ぐひとびと
8月20日、ドナー隊はグレートソルト湖を見下ろす丘に到達。ワサッチ山脈を抜けるにはそこからさらに2週間かかる上、丸2昼夜かけて草も水もない荒野を歩き通さねばなりません。
同時に食料と物資が底を尽き始め、衰弱著しいルーク・ハロランが真っ先に息を引き取りました。
その後も家畜の衰弱死が相次ぎ、一行が追い込まれていた矢先に事件が起きます。馬車の衝突が原因で喧嘩になり、ジョン・スナイダーに鞭打たれたリードがカッとして彼を刺し殺してしまったのです。これが原因でリードは追放され、家族と離れ離れになりました。
リードの殺人が契機となってドナー隊は完全に分裂。生存に適さぬ弱者から見捨てられ、理不尽な死を遂げていきます。ある老人はそれまで乗せてもらっていた馬車を下ろされ、「歩かないなら死ね」と宣言されました。心配した一人が数日後に見に戻ると、足が腫れ上がり裂けた状態で小川のそばに蹲っていたと言います。その後の行方はわかりません。
追い討ちをかけるようにトラッキー湖畔で猛吹雪に見舞われたドナー隊は、食料が尽きた状態で野営せざるを得ませんでした。
10月30日。標高2千メートルのトラッキー湖畔で遭難した一行は、即席の丸太小屋を作って冬を越すことにします。しかし吹雪は激しさを増す一方で、二度ほど派遣した別動隊も帰って来ません。人々は牛の皮と骨を繰り返し煮込んだ出汁か小屋に迷い込んだネズミしか口にできず、どんどん痩せ衰えていきます。特に女子供の消耗は激しく、赤ん坊や小さい子から死んでいきました。
遂にドナー隊の一人、エディが決断を下します。なんと、昏睡状態に陥った仲間を食べようというのです。当初は難色を示していた面々も空腹に抗い切れず、吹雪の最中に死んだ5人を煮込んでたいらげました。
1月1日にはドナー隊に同行していたインディアンのガイドが撃ち殺され、フォスター一味の食料になります。これにエディは「死にかけの人間を食べるのとはわけが違うぞ」と怒り、ドナー隊はまたしても分裂。以降は略奪と殺人が日常化し、栄養失調で次々倒れ、矛盾脱衣の症状で全裸になって駆け回る者も出ました。
生き残った者たちは死体の肉を剥いで干し、保存食に加工します。エディも最後には空腹に負け人肉を貪り、フォスターは「慈悲を与える」と告げ餓死寸前の仲間を射殺。ドナーも壊疽が原因で苦しみ抜いて死に至り、その弟のジェイコブはバラバラにされ雪穴に投げ込まれました。
生き地獄を味わった生存者たちの後日談
リードが救助隊を募りトラッキー湖畔に着いた時、ドナー隊は48名に激減していました。心を病んで失明してしまった女性や救助隊の靴紐に噛り付いた子供もおり、飢餓の過酷さが偲ばれます。救助隊が踏み込んだ小屋には人肉の詰まった鍋や骨の欠片が残されていたそうです。
生存者の証言によって命乞いする仲間を殺した事実が暴かれたフォスターは全米の非難を浴び、エディは我が子を食べたキースバーグに復讐を誓い、ドナー家の孤児はリード夫妻に引き取られました。夫を亡くした女たちはそれぞれ再婚し、各地に散っていきます。
リード家がドナーの子供を養育したのはせめてもの罪滅ぼしでしょうか。ドナー隊の悲劇を引き起こした遠因であるリードとその家族は、他家の惨状を尻目に全員生き残っていました。
いずれにせよカニバリズムをタブー視する社会で「人喰い」が嫌悪されるのは否めず、餓死か人肉の二択を迫られた生存者たちが、凄まじい誹謗中傷に晒されたことは想像に難くありません。
自分ならどうしたか、考えてしまいますね。
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