龍といえばどちらかというと人気があり、西洋では考えられないモテモテぶりです。
何故なら西洋では龍ことドラゴンはヴィランとして描かれているからです。
何故そうなのか・・・というわけで、今回は西洋の龍のトリビアからヴィランなイメージに迫っていきましょう。
東洋と西洋では龍のイメージが違うのは何故?
龍、ことドラゴンの始まりは古代神話シュメールとバビロニアに登場するティアマトだとされています。
ティアマトは世界を創造した海水の女神で「巨大な蛇のような姿」をしており、最終的は他の神々と衝突。対決後にその亡骸はバラバラにされ、天の川やユーフラテス川など世界をつくるパーツとなりました。
同じく古代エジプトでは太陽神ラーに仕える大蛇・ネフベカウ、古代ギリシャではヘラクレスの逸話で有名なヒュドラが有名です。
ティアマト、ネフベカウ、ヒュドラ。
地域は別々ですが、これだけでもバリエーションが豊かなのが分かります。
ですが、現在における海外のドラゴンのイメージは邪悪な生き物であるのが一般的です。
それはやはりキリスト教の影響力も大きいのですが、ドラゴン退治に意味があると捉えていたのが基になっています。
たとえばキリスト教以前のヨーロッパの神話といったら、北欧神話が代表的です。
北欧神話ではファフニールという財宝の山を独り占めする龍が登場し、その龍はシグルドに倒されます。しかしこのファフニール、もともとは小人で、あまりにも欲深いことからドラゴンになったんですよね。
スウェーデンのベオウルフ王とドラゴンの対決もファフニールの物語並みに広く知られています。
バリエーションはどうであれ、西洋のドラゴンの物語は、「ドラゴンは人間の味方ではない」、「ドラゴンを倒す英雄は王や貴族もしくは立派な若者」が共通しています。
主人公が人間で、その物語が冒険譚だった場合、やはり敵は必須です。
その敵役としてドラゴンが選ばれたのではないでしょうか?
もともとドラゴンは洪水や噴火の原因として考えられていました。
最初はそうした恐ろしい自然が発端だったかもしれませんが、恐ろしい事件の犯人もドラゴンの仕業だと片づけていた時代もあるのはご存じだったでしょうか?
リンデスファーン修道院を襲ったドラゴンの正体!
リンデスファーン修道院はイングランド北部にある東岸沖の島・リンデスファーン島の修道院で、北部イングランドにおけるキリスト教化の拠点となった場所でもあります。
793年、ここで惨劇が起こりました。修道院が破壊された挙句、修道士たちも惨殺、宝物も奪われたのです。
その凄惨な現場から「ドラゴンの仕業」と囁かれましたが、瓦礫の下敷きになった数人の生存者によって、襲撃犯がヴァイキングだと判明。
実はヨーロッパではそれまでヴァイキングの襲撃はなく、このリンデスファーン修道院の襲撃が最初の事例だったのです。以来、ヨーロッパは数世紀にわたってヴァイキングの脅威を恐れますが、このリンデスファーン修道院の事件が知られていたのか、ヴァイキングの船を「ドラゴン船」と呼ぶようになります。
まとめ
西洋では海水の女神や太陽神に仕える大蛇などバリエーションが豊かな龍ですが、人間を苦しませる自然として捉えていたせいか、邪悪な存在として退治する物語が多いです。
リンデスファーン修道院の事件やそれにまつわる呼び名を思えば、そのイメージは根深いでしょう。
アニメやゲーム、映画などサブカルを通せば、そのあたりは一目瞭然ですね。
1959年のアニメ「眠れる森の美女」に登場する悪役・マレフィセントはドラゴンに変身していました。
が、時代が経つにつれ、ドラゴンへの新解釈も目立っています。
たとえば2004年の映画「ドラゴン 竜と騎士の伝説」、この作品では邪悪だと思われていたドラゴンが実は人間に友好的だったとして描かれています。
このようにドラゴンのイメージが変わっていくのを観察するのも面白いですね。
※画像はイメージです。
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