スコットランド北西沖にフラナン諸島という辺境の島々がある。
中世には「7人の猟師」と呼ばれる寒村があり、礼拝堂も建てられたが、外界から隔絶された絶島であることから、いつしか住みつく者はいなくなった。そのなかの最大の無人島アイリーン・モア島には、古来「侵入者を拒む悪霊が棲む」という伝承がある。
1900年のクリスマスに近い冬のある日、この島で3人の灯台守が消えた。
きちんと閉ざされた門扉、日常生活が継続していた痕跡。争いや逃亡の跡もなく、ただ3人がどこかに消えてしまった。
「嵐の終わり。神はすべてを支配しておられる」。
業務日誌の最後の一文はなにを意味するのだろうか。
海を照らす男たち
昨今は灯台の自動化が進み、人間が常駐する有人灯台はほぼ姿を消した。しかし、かつては灯台守と呼ばれる職員が灯台へ通い、施設の維持や管理を行った。無人島の灯台には、数週間から数か月にわたり交代で住み込んで業務にあたる。
事件が起きた1900年代、灯台は最上部の投光レンズを分銅の重みで回転させる旧式だった。くる日もくる日も沖を通る船を確認し、2~3時間おきに分銅を巻き上げて光源の回転を保つ。レンズを磨き、気象を観測し、海霧がでれば霧笛を鳴らす。
昼夜を分かたず持ち場を離れることができない苦役、それが灯台守だ。
フラナン諸島近海は岩礁が多く、難所として名高い。1899年12月、航海の安全を確保するためアイリーン・モア島に灯台が建てられた。それからちょうど1年がすぎた1900年12月、島に常駐していたのが物語の主人公となる3人の男たちである。彼らの名はトーマス・マーシャル、ドナルド・マッカーサー、ジェームズ・デュカット。いずれも元船乗りで、海を知り尽くしたスペシャリストだった。
電話やラジオはもちろん、冷蔵庫もない時代のこと。海に囲まれた無人島での勤務は過酷で、単調で、孤独だ。
窮屈な居住空間で男たちが共同生活をおくる。外部との接点は、2週に一度、食料・水・燃料などの物資を運んでくる定期船のみ。それも海が荒れれば接岸できずにUターンしてしまう。たとえ翌日に海が凪いでも、また2週待たなければ船はこない。
変化が極端に乏しいと、感覚が麻痺して時間の流れすらわからなくなる。海鳥だけが支配する、この閉鎖的環境のなかで、彼らはひたすら夜の海に規則的に明かりを投じつづけていた。船乗りの安全を祈りながら。
異変
ところが、12月15日に異変が起こる。
夜半に沖合いを航行していた貨客汽船アーチャー号がリース港に向けて転進しようとして、目印にアイリーン・モアの明かりを探した。しかし、光はどこにもない。
船長は冷静沈着な男だった。まず航海士に現在位地を計算し直させ、灯台の光が届く海域にあることを確認したのち、今度は双眼鏡で島の方角に目を凝らした。
やはり光はない。非常時には救難信号が投光されるはずなのに、それすらも確認できないのだ。
船長は信号灯で呼びかけた。
「アーチャー号からアイリーン・モア灯台へ。なにかあったのか?」
応答なし。
「こちらアーチャー号。灯台の明かりが消えているぞ。くり返す。灯光が作動していない。返事を請う」
依然として応答なし。
船長は考えた。ここしばらくは快晴つづきだから、雨風による破損や故障はありえない。緊急を告げる信号がでていないところをみると、深刻なトラブルではなさそうだ。おおかた最新式の放電管に慣れずに、ちょっとしたトラブルでも生じたのだろう。早く明かりをつけようと格闘しているのなら、こちらの呼びかけにも気づくまい。作業を中断させては申し訳ない。
船長はリース港に入港すると、これを北方灯台委員会に報告した。しかし、その報告は役人の不手際か、なぜかそれきり忘れ去られてしまったのである。
島に残る謎
それから10日あまりたった12月26日正午、定期船ヘスペラス号が物資を載せてようやく島に到着する。船着き場にはボートしか接岸できないため、ジム・ハーヴェイ船長はいつものように沖合いに停泊し、双眼鏡で島をながめた。
が、なんだかようすがおかしい。いつもなら歓迎の旗が旗ざおに掲げられ、3人が出迎えて手を振ってくれるのに、今日は人影がない。汽笛を鳴らしても、誰も姿をみせない。
「やれやれ、そろいもそろって食中毒にでもやられたか。今ごろベッドでうなっているかもしれん。おい、誰か行って、みてきてくれんか?」
ジョセフ・ムーアが志願した。
ジョセフは島に上陸すると、施錠はされていないものの、きちんと閉ざされた門扉を開けて灯台のなかに入って行った。
時計が止まっているほかはきちんと整えられている。しかし、ベッドに3人の姿がない。ベッドどころか、灯台に人の気配がまったくないのだ。
争った跡も、事件に巻き込まれた形跡もない。緊急用ボートは残されているから、逃亡も考えられない。もとより仕事を放りだして逃げだすような男たちではない。
のちにジョセフは報告書でこう伝えている。
「キッチンは調理器具や食器も含め、すべてきれいに片づけられていた。このことは、彼らがいなくなったのが夕食後だったことを示している」
ジョセフが手旗信号でヘスペラス号に報告すると、船長たちもボートに乗りこんで島に向かった。
螺旋階段を上がってみると、投光レンズはきれいに磨かれていて、ランプにも異常はない。いつもの灯台の光景である。が、そこに灯台守だけがいない。
さらに調査すると、トーマスとジェームズのオイルスキン(帆布に油を塗った作業用防水コート)がなくなっており、ドナルドのものだけが残されていることがわかった。また、島の西側に暴風雨の跡があることや、入り江の海蝕洞に常備してある用具箱が流されていることも判明した。
一見すると、トーマスとジェームズが嵐のなか、用具箱を回収しようとして高波にさらわれたように思える。しかし、ドナルドまで消えたのはなぜなのか。オイルスキンがなくなっている2人はともかく、オイルスキンが残されたままのドナルドが屋外で事故に巻き込まれるのは不自然である。
あるいは、2人に危険が迫るのを察知したドナルドが助けようとして慌てて外に飛びだし、ともに海に没したのだろうか。いや、この可能性も低いだろう。残されたオイルスキンの説明はつくが、きちんと閉じられた扉と門の謎が残る。
ヘスペラス号の乗組員はその後も捜索をつづけたが、3人の生きた姿はもちろん、遺体すらも発見できずじまいだった。投光を維持するために数名を島に残して、船はアイリーン・モアをあとにした。
北方灯台委員会の公式調査
ハーヴェイ船長はその日のうちに北方灯台委員会に電報を打っている。
「フラナン諸島で恐ろしいことが起きている。アイリーン・モア島で3人の灯台員が消えた。止まった時計から察するに、1週間ほど前になにかあったようだ」
「1週間ほど前」ではない。11日前の15日には、すでに異変は起きている。アーチャー号が通過した夜だ。時計は手巻き式だったのだろう。ゼンマイを巻く者がいなくなったから止まったのだ。
ただちに北方灯台委員会の最高責任者ロバート・ミュアヘッドが島に赴いた。
暴風雨の爪痕は生々しく、海抜60メートルの崖の芝生は10メートルにわたって引きはがされ、金属製の手すりは不自然に折れ曲がり、トロッコのレールはコンクリートからもぎ取られている。重さ1トンを超える岩ですら小石を転がすように押しのけられているありさまである。しかも奇妙なことに、被害はすべて島の西側に集中しており、東側は無傷なままだった。島は東と西でまったく様相が異なっていたのだ。
「西側の惨状は、実際に現場に立ってみないかぎり誰も信じないだろう」とロバート・ミュアヘッドは説明している。現場の調査から導かれたのは以下のような結論だった。
「確かなことは、彼らが12月15日土曜日の夕食時まで勤務していたということである。そのあとで、係留ロープや接岸ロープなどが保管されている用具箱を暴風雨から守るために岩場に下りたと推測される。そのときに予想外の大波が岩の表面を駆け上がり、彼らを一掃した可能性が高い」
文意だけをなぞれば、状況を合理的に説明しているように思える。が、ここでひとつの矛盾に気づかなければならない。
最初に異変に気づいたアーチャー号が、「ここしばらくは快晴つづき」と認識していることだ。アーチャー号だけではない。同時期に沖合いを通過した船長の誰もが「例年になく穏やかな海だった」と口をそろえる事実。この時期、この海域で暴風雨があったという観測記録は存在しないのである。
では3人が遭遇した嵐とは? そのときアイリーン・モア島でなにが起きていたのか。
不可解な業務日誌
業務日誌には奇妙な記述が残されていた。トーマスがつけていた記録である。
「12月12日。こんな大嵐は20年間みたことがない。波しぶきが灯台のてっぺんまで達した。沖を行き交う客船の明かりがみえる。ジェームズはひどく腹を立て、ドナルドは泣いている」
「12月13日。あいかわらずの暴風雨。ジェームズは落ち着いたようだ。ドナルドの祈りに合わせて、3人で神に祈る」
「12月15日。嵐は終わった。海は凪ぎ。神はすべてを支配しておられる」
日誌はそこで終わっていた。
どことなく違和感を感じるのは筆者だけだろうか。灯台の業務日誌とは、こういうものなのだろうか。トーマスは業務そのものより、むしろ同僚の観察に余念がない。
12日、ジェームズは誰に、なにに腹を立てているのだろう。また、豪気な気性で知られる古参のドナルドが、嵐ごときで「泣いている」? そして「沖を行き交う客船の明かり」? トーマスは不思議に思わなかったのだろうか。ここ20年来みたこともない大嵐だというのに、客船が悠々と運航していることを。
13日、3人は神に祈るほど怯えている。タフな海の男たちが、新築の堅牢な灯台のなかで?
くり返すが、この期間、この海域で暴風雨は報告されていない。
やはり謎を解くカギとなるのは、島の西側だけを襲い、彼らをそこまで怯えさせた暴風雨の正体である。
誰かが狂い、殺人が起きた
3人の灯台守が跡形もなく消え、遺体すら上がらない絶島のミステリー。
この失踪事件は「アイリーン・モア灯台の謎」と呼ばれ、スコットランドのみならず、イギリス中でさまざまな憶測を生むことになった。
そのなかには、大海蛇・巨大な海鳥の襲撃説もあれば、島に棲む悪霊の呪い説、外国のスパイによる拉致説などもある。暴風雨は関係なしということか。
日誌がいうところの「大嵐」に着目した推理もある。「嵐」とは気象状況のことではなく、精神状態の暗喩だというのだ。「嵐が終わった」というのは、それが収束して平穏が戻ったということらしい。嵐=心象風景説では、しばしばこのように説明される。
閉鎖環境のなかで3人のうちの誰かが発狂し、仲間割れが起きて、2人を殺害した。彼は遺体を海に投げ込んだのち、自分も崖から飛び降りて誰もいなくなった。精神に異常をきたした男は、日誌をつけていたトーマスである。
しかし、これを裏づける物的証拠はなにもない。実際に島を襲った嵐はここでもスルーされている。
そもそも日誌の記述はすべて信のおけるものだろうか。ミステリーをドラマティックに演出する意図のもと、誰かが手を加えた可能性はないだろうか。
サスペンステイストが強まれば強まるほど真実がゆがめられ、よりミステリアスな方向へ流動していく事件がある。なぜなら、大衆がそれを求めるからだ。残念ながら、アイリーン・モアも同じ傾向に堕してしまった感がある。真実だけを伝えることは、いや、真実だけが伝わることは難しい。
暴風雨はどう読み解く?
では暴風雨はどう解釈すればよいのか。
島の西側の爪痕は、どう考えても人間が工作できる余地はない。よって、事実としか考えられない。少なくとも大嵐は本当にあったのだ。
だとすれば、ふたつの異なる事実が並び立つ。日誌が伝える「暴風雨」と、近海の船員が証言する「快晴つづき」の事実である。100年前に両者を合理的に説明できていれば、この事件は解決に向けて進展していたはずだ。
21世紀の現在では気象学的な仮説は成り立つ。大嵐の正体は、おそらくダウンバーストではないか。
ダウンバーストとは、海では「白い嵐」と呼ばれる気象現象で、航空機を墜落させたり、地表に衝突して災害級の被害をもたらす凶暴な下降気流である。地表にぶつかって水平に吹きだす対流の広がりが4キロメートル以内のものをマイクロバーストといい、範囲が局地的であればあるほど風速は早く、勢いも強まる。嵐の痕跡が西側にしかみられないということは、ダウンバーストの突風が扇状に西側に吹きぬけたことの裏づけにもなるだろう。
また、昨今よく耳にする線状降水帯のように、積乱雲が途切れることなく連なっていたとしたら、雨は短時間ではやまない。ただ、それが島の西側だけという極端に狭い範囲であったため、近海を航行していた船舶は快晴としか認識できなかった。「馬の背を分ける」という現象は夕立にかぎらず、ゲリラ豪雨でもしばしばみられる。
トーマス、ドナルド、ジェームズを連れ去って消したのは、ほかならぬ自然の驚異だったのではないか。
1971年の自動化以降、アイリーン・モア島の灯台に灯台守は常駐していない。
3人の魂は今も深い海の底で眠っているのだろうか。
※画像はイメージです。
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