これは怖いというより不思議なお話です。
私は寺の住職をしています。寺の仕事は煩悩を持つ我々がどのよう生きたら日常生活を豊かにできるかです。
そして、その教えの中でどうしても命の終焉ついても触れていかねばなりません。
命の終焉、皆さんにとっては通夜、葬儀という事がそれに該当するのではないかと思います。
檀家さんが亡くなる時
檀家さんが亡くなる時、基本的に電話で連絡があります。あるいは近くの方は直接来られる場合もあります。
ご遺族からすれば早めにお寺と連絡をとり、通夜葬儀の段取りをしたいので、仕方がない事ですが割合みなさん落ち着きのない様子で連絡があります。
しかし、父に言わせるとこう長く寺におりますと数年に一度、その連絡無しに人が亡くなったのではないかと事前にわかる(ような)時があるんだそうです。最近ですと私は3年ほど前にその体験がありました。
父との会話
ある秋の夕方、父親が私を呼びました。
父「おい、なんか本堂が音がするんだけど誰かいる?」
私「いや、誰もいないはずだけど」
父「そうか。でもなんか気になるから見てくる」
私「はいはい」
本堂を見に行った父が、落ち着いた声で私を呼びます。
父「おーい、ちょっと来いよ」
私「え?誰もいないんでしょ?ならめんどくさ」
父「違うんだよ、人はいないけど来てみろよ」
私「なんだよ、まぁわかった」
私は本堂へ行きました。
父「わかるか?」
私「わかる」
父「そうかわかったか」
私「どなただろうね」
父「それは分からんけどな」
本堂でなにがあったのか?
父と私が本堂に行って何があったのか。
何も見ていません。しかしわかるのです、
全ての戸や窓は閉まっているのにそよ風のような爽やかな風が本堂内で感じられるのです。
ただ、確かに爽やかな微風ではあるのですが、風の向きが一方向ではなく、時に正面からすると左右からと忙しく方向がかわってくるのです。
決して不快な風ではないのです、しかし落ち着きがない、定まらない、安定感のない風を感じるのです。
父「ざわついてる感じがせんか?」
私「そうだね、落ち着つきがないというか何というか」
父「やっぱりそう感じるか、となると、どなたかお亡くなりなってしまったかな」
私「そういうもんかね?」
父「俺たまに感じるんだよねこのざわついた感じの本堂をさ、大体これ感じるとその日か翌日に告げがある。
分からんけどな、亡くなると古い体から魂が抜けてどうしていいかわからん、落ち着かない感じみたいなのがあるんじゃないか?」
私「分からんでもないね、しかし確かにこの本堂内の気流は普段ない気がする」
それから
それから30分ほどでしょうか、電話が鳴りました。
夏のお盆には元気にお参りに来られたおばぁちゃん。
その後も元気だだだそうですが、亡くなる三週間前から食欲が急に減退し内臓機能が低下、それが元手で亡くなったそうです。
しかしいわゆる「気立のいい」方だったので、そこかしこにお友達がいらっしゃいました。私の祖母とも仲が良かったのであちこちに「風」となってご挨拶に伺ってたのかななんて今では思いますね。
千の風になってという歌がありますが、あの歌詞のように吹き渡っていかれたようであります。
※画像はイメージです。


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