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それでも日本の終戦は穏やかだった

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GHQ最高司令官マッカーサーを迎撃せよ!

昭和20年7月26日、ポツダム宣言が発せられた。
日本政府と軍内部では降伏派と抗戦派が激しく対立しながら、和平への天皇の意向強く、降伏終戦への流れができていた。

目次

断固徹底抗戦あるのみ!

己の全人生人格をこの戦争に懸けてきた、抗戦派軍人たちの焦燥は限りなく深かった。

鈴木貫太郎内閣打倒計画

8月10日、御前会議での天皇御聖断により、ポツダム宣言受諾が決定。
しかし依然、軍部内には強固な抗戦意志があった。

陸軍省軍務局・参謀本部第二課の少壮将校らは、陸相、参謀総長、東部軍司令官、近衛師団長の各命令により、東部軍及び近衛師団出動。木戸内大臣、鈴木総理、東郷外相、米内海相など和平派要人の監禁または殺害、及び宮城遮断と戒厳令発布のクーデターを計画し、決行予定14日午前10時とした。

13日この計画は阿南陸相に上申されたが、14日午前7時、阿南と梅津美治郎陸軍参謀総長はこれを不支持。
紙一重でクーデターは回避された。

宮城事件

諦め切れない将校たちの阿南への再説得は、二度拒否された。
抗戦派の執拗な動きに対し、木戸内大臣と鈴木首相が御前会議を再召集。
玉音放送を含めた二度目の御聖断が下された。

それでも陸軍省や近衛師団の、抗戦の妄執に囚われた一部若手将校が、8月15日 0時30分、遂に独断で決起。
近衛第一師団長殺害、出動命令書偽造、宮城及び放送会館占拠などを強行し、玉音放送を阻止すべく録音盤を捜索した。
しかし東部軍司令官の中止説得により、虚偽命令が判明すると反乱は急速に鎮静化した。

皇太子拉致計画

宮城事件勃発時、日光疎開中の昭仁皇太子(現上皇陛下)警護の近衛師団・日光儀仗隊に、「皇太子を奉じ、抗戦継続すべし」との東部軍管区司令官命令を、東部軍参謀中佐がもたらした。
儀仗隊司令官・田中義人少佐は直属の近衛師団命令以外の命には従わずとし、武力を伴う皇太子拉致に対する防御態勢を敷いた。
間もなく虚偽命令が判明した。

19日、東京湾兵団参謀を名乗る中佐からの継戦命令があったり、水戸教導航空通信師団反乱が伝わるなど情勢は混乱していた。

厚木航空隊事件

総員5500名、稼働及び予備機470機の戦力を保持している、海軍厚木基地・第302海軍航空隊では玉音放送後も徹底抗戦を主張する小園安名司令が基地を占拠し、海軍からの独立を宣言した。
小園は米内海相や直属上官・寺岡中将の投降説得にも応じなかった。

折からGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーの厚木基地到着8月30日、同先遣隊到着8月28日が日本に通達され、早急な反乱鎮圧が必要となった。
反乱部隊は抗戦檄文を航空機で全国に撒き、他の基地航空隊に合流要請し、米軍進駐妨害のために広大な基地内全域に航空機残骸を放置した。

21日、小園の同期・佐藤六郎大佐が鎮圧のため基地に突入し、マラリアを発症して錯乱した小園を病院に監禁。(既に軍医の麻酔で昏睡との説あり)
士気旺盛だった部隊兵も徐々に佐藤の説得に応じた。
佐藤は基地出入り業者・大安組の協力で、貨物自動車・トラクター等250台、人員250名を投じ、不眠不休で基地内の膨大な航空機残骸を撤去。27日完了。
翌28日、先遣隊が無事到着した。

玉音放送後の特攻

15日、大分基地・第五航空隊司令部 宇垣纒司令長官は、玉音報道拝聴後、自ら特攻機に搭乗し、22名を率いて出撃した。
宇垣は常々、「お前たちだけを死なせはしない。最後の1機で後から私も行く」と出撃する隊員たちに訓示していた。

ドイツの東西分割に比して

日本降伏に先立つ5月7日、ドイツは西側連合軍に降伏していた。
しかしベルリンまで進軍したソ連は、自己の立場誇示のため、9日別個に降伏調印を求めた。
結果、ドイツ国民は戦後半世紀近く、母国東西分割の辛酸を舐めることになる。

他方、日本では各地で単発的に混乱が生じたが、米占領軍の速やかな進駐によりソ連侵攻は北方四島で止まり、北海道のソ連占領はなく、日本は分割を免れた。それは敗戦という最大の悲劇の中における、何にも優る幸いであった。

国境での米軍との戦闘やソ連のベルリン占領などで本国を蹂躙され、国土を二分されてしまったドイツと比べると、日本の終戦はまだしも穏やかだったいえる。

参考・出典
・玉音放送までの「日本で一番長い日」、タイムラインが物語る「戦争を終わらせる難しさ」(讀賣新聞オンライン)
・かくて太平洋戦争は終わった。亡国の危機から日本を救った男たち (川越重男 著)
・「私の体験秘録」厚木事件始末記 佐藤六郎旧日本海軍大佐 (三春昭進堂 高橋龍一)
・厚木航空隊事件 (ニコニコ大百科)
・終戦後も「徹底抗戦」ととなえた「反乱軍」が「明仁皇太子」を誘拐しようとした理由 (gendai.media 井上亮)
・「一人で死ね!」玉音放送を聞いたにもかかわらず  特攻機に乗り込んだ司令長官・・・見送る兵士たちの悲痛な叫び (文春オンライン 戸高一成)

歴史大好きじいさんです。戦争を終わらせるのは誠に難しい。

※イメージです。

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