春が来るのは、嫌いじゃなかった。
けれど今年だけは、桜の咲くことすら、胸に突き刺さった。
卒業式の前の日、私たちは、何でもない会話を交わしていた。
「卒業したら、旅行行こうね」
「大学入ったら、一緒にバイトしようね」
そんな約束を、いくつも、いくつも。
だけど、卒業式の朝、絵美は学校に来なかった。
川沿いの桜並木の脇道で、まだ咲ききらない桜の下で、冷たくなっていた。
車に轢かれた、というのが公式の発表だった。
運転手は見つからない。目撃者もいない。
絵美のスマホは、事故現場から何十メートルも離れた場所で、画面が割れたまま落ちていた。
それでも、春は来る。
桜は、咲く。
川沿いの桜並木は、桜の名所として知られている。
行かないと決めていたのに、四月の終わり、夜風に誘われるようにして、気がつけば歩いていた。
桜並木は、驚くほど静かだった。
吹き溜まりには、花びらが積もっていた。
歩くたびに、さらさらとした音が足元から広がっていく。
そのとき、ふと、視界の隅に、白い影が揺れた。
立ち止まると、川辺の、一本だけ小さな桜の木の下に、誰かが立っていた。
白いワンピース。細い肩。黒い髪。
それが絵美だとわかるまでに、時間はかからなかった。
怖かった。
でも、それ以上に、なぜだか、悲しかった。
絵美は、何も言わずに、手に持った何かを差し出してきた。
それは、白い手紙だった。
その瞬間、背後から、急に冷たい風が吹き抜け、私に手紙を押しつけてきた。
驚いて受け取ると、絵美の姿は、すうっと消えた。
まるで、初めから存在しなかったみたいに。
震える手で封筒を開けて、手紙を読んだ。
「ごめんね。あの日、ちゃんとさよならできなかった。」
ただそれだけ書かれていた。
「まだ、ここにいる。はやく、XXXXXX」
二枚目は、震えるような文字が並び、小さな血のような染みで全部読めない。
私は、理由はわからないが無性に恐ろしくなった、怖くて、でも目を離せない。
足元に、桜の花びらが雪のように積もっていく。
振り返ると、さっきまでいなかったはずの桜の木の下に、無数の白い影が、ゆらり、ゆらりと揺れていた。
その中に、絵美も、いた。
目を閉じたまま、微笑んでいた。
私は、手紙を抱きしめるように胸に抱いて、走った。
足がもつれるほど、必死で。
追いかけてくるものはなかった。
けれど、走っても、走っても、耳元で誰かが呼んでいる気がした。
「また、あえるよ」
泣きそうな声だった。
それは、もう、絵美の声じゃなかった。
今も春になると、あの川沿いには白い手紙が落ちているらしい。
拾ってしまった人は、必ず手紙を読んでしまう。
そして、また、ひとり、桜の下で姿を消す。
春は、優しい顔をして、すべてをのみこんでいく。
誰も、拒めないまま。
※画像はイメージです。
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