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エクソシストって何?知られざる悪魔祓いの実態を調査

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あなたはエクソシストをご存知ですか?ホラー映画や小説ではよく目にしますが、その実態や成り立ちを正しく知っている人は、東洋だと意外と少ないのではないでしょうか。今回は謎に包まれたエクソシストの真実を、追いかけていきたいと思います。

目次

エクソシストの成り立ちとは?

エクソシストは「悪霊を追い出す人」を意味し、14世紀後半に使われ始めた言葉です。語源は後期ラテン語に遡ります。
これはカトリック教会の黎明期から設けられていた下級叙階で、トリエント公会議で定められた三種の下級叙階の一角に組み込まれ、神に仇なす邪悪な存在を討ち滅ぼす「守門」を担います。

彼等の仕事は主に洗礼時における悪霊の追放で、キリスト教に改宗した人間から不純物を取り除いていました。
西暦250年に教皇コルネリウスが公会議を行った際の記録によると、ローマだけで56人のエクソシストが存在していたそうです。
オカルト的見地から言えば悪魔の討伐を仕事とするエクソシストですが、心理学的分析を加えると、別の側面が見えてきます。キリスト教が発足間もない頃、改宗には大変な心理的抵抗が伴いました。

特に多神教を信仰していたローマ人の葛藤は激しく、改宗時に取り乱す事例が多く報告されます。
エクソシストの役目は彼等の不安を取り除くことで、必ずしも悪魔を祓うのを目的としていません。
しかしキリスト教は他宗教の神々を悪魔として取り込む特徴を持っているので、邪神への信仰を捨てさせることがエクソシストの務めというのも、あながち間違いではないかもしれません。

近代におけるエクソシストの印象の変化

近代になると化学が発達し、オカルトが否定されます。それに伴いエクソシストの地位は低下し、カトリックは祓魔師の位階を廃止。新たに教会奉仕者の役割を設け、そこにエクソシストの性格を引き継がせます。

『エクソシスト』の役割が世間一般に知られるきっかけとなったのが、1973年に公開され、社会現象を巻き起こした映画『エクソシスト』。本作は少女に取り憑いた悪魔と、エクソシストの神父の死闘を描いた物語で、爆発的なヒットを記録します。
以降似たような内容の映画が量産され、エクソシストと悪魔の対決は、ホラー映画における人気ジャンルとなります。

実在のエクソシスト~ガブリエーレ・アモルト神父の伝説

2023年に公開された映画『バチカンのエクソシスト』は、実在のエクソシスト、ガブリエーレ・アモルト神父と悪魔の戦いを描いた作品。
アモルト神父は2016年に91歳で亡くなるまで、16万件の悪魔祓いを断行した伝説的人物。
生前はカトリックの総本山・ヴァチカンにて、ローマ教皇に仕えるチーフ・エクソシスト……即ち、エクソシストのトップでした。
さらにはAIEこと国際エクソシスト協会を起ち上げ、2000年に引退するまで会長を務め上げます。

AIEには全世界で活動する250人の腕利きエクソシストが登録しており、自身や親族が悪魔に憑依された信徒の依頼を受け、日夜過酷な任務に当たっているとのこと。
そんなアモルト神父ですが、本人は至って剽軽な人柄で、初対面の記者にもフレンドリーに接する好々爺として知られています。

1925年イタリア北部モデナに生まれ、第2次世界大戦時はパルチザンとしてファシストに徹底抗戦した気骨の持ち主。
戦後は聖職者の道に進んだものの、1986年にローマ司教代理に命じられ、イタリア最強のエクソシストに弟子入りします。優れた師のもとで修業を積んだアモルト神父はメキメキ頭角を現し、エクソシストとして第一線に立ち、大勢の人々を救ってきました。神父曰く、悪魔とはラテン語で会話しているそうです。

エクソシストになる条件はカトリックの神父であり、所属教区の司教に任命されることのみ。早い話が上司からの指名制で、昔は一教区に必ず一人はエクソシストがいましたが、現在は数が激減し、絶滅の危機に瀕しています。
これはちょっとしたカウンセリング感覚でエクソシストのお世話になろうとする、イタリア人の国民性とも関係しています。大前提としてエクソシストは神父を兼任しており、通常業務に加え悪魔祓いまで担うのですから、多忙ぶりが推し量れるというもの。
実際の所悪魔に憑かれたと訴える信徒の中に、「本物」は非常に少ないとアモルト神父は言います。とはいえごく稀に人知を超越した現象が起こるのも事実なのでした。

エクソシストが被告となったエミリー・ローズ事件

2005年に公開されたスコット・デリクソン監督の映画『エミリー・ローズ』は、1970年代にドイツで起きた実際の事件をもとにしています。
アンネリーゼ・ミシェルは1952年9月21日、旧ドイツ連邦共和国バイエルン州の敬虔なカトリック家庭に生まれました。彼女は大変信心深く、教会のミサに週2・3度欠かさず通い、神に祈りを捧げていました。家族や友達はアンネリーゼの人柄を「内気で引っ込み思案」と評しています。

16歳の時、突如として激しい痙攣に襲われたアンネリーゼ。診断の結果側頭葉てんかんであると告げられたものの、投薬の効果は一向に出ず、大学進学後も慢性的な心身の不調に苛まれます。
精神病院に入っても状況は変わりません。医者は精神分裂病を疑い継続的に薬を与えるも、彼女は一日中悪魔の顔が見えると訴え、邪悪な幻聴や妄想に苦しみました。
さらには十字架の下を通りすぎることを拒み、聖なる泉の水を飲むのに抵抗を示すなど、以前の彼女らしからぬ言動が目立ち始め、親友や家族までも「悪魔に憑かれたに違いない」と確信。カトリック教会の司祭に会い、悪魔祓いをしてほしいと陳情します。

これを阻んだのは悪魔祓いに課された厳格な条件。悪魔祓いは司祭の許可が下りねば出来ず、当事者が直接教会に足を運び、悪魔が憑依していると認定された場合のみ行われるものだったのです。長期入院で衰弱し、情緒不安定な状態のアンネリーゼには荷が重いと言わざる得ません。

アンネリーゼの非業の死と裁判の結末

精神病を主張する病院側とアンネリーゼの意見は分かれて平行線を辿り、ますます症状は悪化。
司祭のエルンスト・アルトはアンネリーゼの両親と面会後に彼女と接触し、従来の癲癇とは異なると見極め、地元の司教に悪魔祓いの正式な許可を乞いました。
それを受けたヨーゼフ・シュタングル司教は、司祭のアルノルト・レンツに悪魔祓いを命令。

レンツ神父はアンネリーゼに悪魔祓いを施すものの上手くいかず、以降10か月間悪戦苦闘が続いた末、アンネリーゼは傲慢な若者や悪徳に染まった司祭の罪を自分が死んで償うと言い出し、断食を決行します。
1976年、アンネリーゼは享年23歳の若さで死亡。その時の体重は僅か30キロで、極度の栄養失調と脱水状態に陥っていました。

検察官はアンネリーゼの死をレンツ神父および両親の過失によるものとして訴えますが、誰一人として罪に問われず、司祭に罰金刑が課されただけで済みました。
はたしてアンネリーゼは本当に悪魔に憑かれていたのでしょうか?1999年、ヨハネ・パウロ2世は悪魔祓いの認可の基準を厳しく見直し規制。アンネリーゼの事件が物議を醸した余波で、ドイツでは公式に行われる悪魔祓いの件数が激減しています。

エクソシストの秘密道具

最後にエクソシストの秘密道具をご紹介。彼等が悪魔祓いに用いる三種の神器は十字架・聖水・紫のストーラ。ストーラとは聖職者が礼拝時に肩に掛ける布で、それぞれの色ごとに意味を持ちます。白は神の栄光や清らかさ、赤は愛と殉教と浄めの火、緑は希望と忍耐の美徳、黒は死と苦しみ、紫は回心と償い、及び贖罪と死者への祈り。

エクソシストが大一番に紫のストーラを纏うのは、悪魔に魅入られた人々に、信仰心を取り戻させる意味合いを秘めているのかもしれません。

※画像はイメージです。

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