2024年に入りアメリカの航空宇宙関連の軍需企業の雄・ロッキード・マーチン社は、同社が生産する所謂第五世代戦闘機のF-35ライトニングⅡの生産数が合計で1,000の大台に達した事を発表し、注目を集めている。
ロッキード・マーチン社が手掛けるこのF-35ライトニングⅡは本国であるアメリカを始め、日本を含む同国の同盟国や友好国に広く採用されており、殊に西側諸国においては最も知名度の高いステルス戦闘機となった感がある。
このF-35ライトニングⅡは、空軍仕様のA型、短距離離陸・垂直着陸が可能なB型、カタパルトを有する航空母艦用専用のC形の3種が存在するが、西側諸国が現時点で入手可能な唯一のステルス戦闘機としてそのしシェアを独占している。
しかしアメリカ軍では既にこのF-35ライトニングⅡのシリーズに替わる次世代戦闘機開発を進めており、その計画はNGAD(ニュー・ジェネレーション・エア・ドミナンス)と呼ばれ、所謂第六世代戦闘機と喧伝されている。
アメリカ軍自体では映像等の情報を公開はしていないものの、既にこのNGAD(ニュー・ジェネレーション・エア・ドミナンス)の試作機は初飛行したと述べており、双発で航続距離が長い仕様だとされている。
その為このNGAD(ニュー・ジェネレーション・エア・ドミナンス)の機体については、アメリカ軍がこれまでに公表しているイラスト等で機体形状の概要は伝わっているが、精緻な予想図はあまり見かけない。
近いうちに何れ公開されるであろうNGAD(ニュー・ジェネレーション・エア・ドミナンス)については、情報化時代を反映してか憶測による予想図の類は少ないようにも現状では感じられる。
しかしかつてインターネットが一般に普及する以の1980年台には、実際には存在しないアメリカ軍の戦闘機として、F-19と称された機体が模型を中心に大きな盛り上がりを見せた一件があった。
アメリカ軍の正式採用機における形式名称と型番
今回取り上げるF-19は実際のアメリカ軍には実在しなった架空の機体であったが、そもそもアメリカ軍の正式採用機における、その航空機の形式名称と型番には絶対とは言えないが、ある程度の法則が存在する。
それは今から62年前の1962年にまで遡り、それまでアメリカ軍では海軍と空軍とで個別に管理されてきた正式採用機における形式名称と型番を、基本的に空軍の流れに沿って採用順に連番で管理する事となった。
大半のアメリカ軍の戦闘機に付けられている機種を現す記号である「F」とは言うまでも無くFighter:戦闘機を指しており、第四世代機にあたる機体は10番台でほぼ連番で呼称される事となった。
こうした実例が海軍機のF-14トムキャット、空軍機のF-15イーグル、F-16ファイティング・ファルコンであり、同時期の海軍の航空母艦用の主力戦闘機F/A-18ホーネットのみが少し異なる呼称に落ち着いた。
これは艦上の制空戦闘機としてのF-18と、艦上の対地攻撃機としてのAttacker:攻撃機を示すA-18と言う用途の機体を1機に統合した為で、F-14トムキャットから続いた連番から外れる例外となった。
F/A-18ホーネットに続くアメリカ軍の機体は、ノースロップ社が開発したF-20タイガーシャークが充てられたが、同機は元々は連番であるF-19が割り振られる予定だったとされている。
しかし開発元であるノースロップ社は、それまでの10番台の所謂弾四世代戦闘機と差別化し、同機の主目的であった海外輸出において革新的な響きを希求し、空軍にF-20とする事を了承させたと言われている。
この為、アメリカ軍の戦闘機としての連番としてはF/A-18ホーネットからF-20タイガーシャークとなった為、19が飛ばされた形となり、その後のF-19と言う架空の機体の逸話を醸し出す一因ともなった。
新世代機開発が公然の秘密となっていたアメリカ
アメリカでは1960年代のベトナム戦争での戦闘機の実戦経験を経て、特に空軍において敵側のレーダーの捕捉から逃れるべく、機体に照射されたレーダー波の反射を抑える技術、今のステルス化が進められた。
今でいうこの航空機のステルス化は戦闘機に限らず、偵察機や爆撃機など様々な分野の機体に使用する事が企図され、アメリカ空軍と各軍用機の開発企業はその開発を進め、軍事を扱うメディアでは公然の秘密となっていた。
これがメジャーな場で報じられたのは1980年夏頃からであり、ワシントン・ポスト紙等の複数の有力なマスメディアがこうした特徴を備えた機体をステルス機と呼ぶ事を記事にし、当時の国防長官が記者会見でその内容を大筋で認めた。
この1980年当時のアメリカは民主党のカーター政権の時代であったが、与野党を問わず重要な軍事機密である筈の軍のステルス機・技術の存在がマスメディアに漏洩した事が政治的には大きな問題として取り上げられた。
ステルス機・技術が如何なるものかと言う本質的な問題は、この騒ぎの中では明確化されなかったとは言え、ステルス機の開発をアメリカ空軍が行っている事はこれによって一気に世界中が認識する事に繋がった。
こうした流れの中で前述したアメリカ軍の戦闘機の連番の中で、F-19が飛ばされていた事とそれが結びつき、いつしか開発中のステルス戦闘機こそがF-19であるに違いないとする憶測が広まる事となった。
模型化されて更に知名度があがったF-19
1980年の夏以降にワシントン・ポスト紙等の複数の有力なマスメディアがアメリカ空軍の新型機の情報を報じた事で、それが新技術であるステルス性能を持つ機体である事が一般に知られて行くきっかけとなった。
その後も後追いでこのステルス機きについての想像図等が報じられ、前述したようにそれがF-19の名称を持つアメリカ軍の新型機であるとの誤認が広まったが、遂にはその模型が1986年に発売されるに至る。
その模型はアメリカの模型製作企業であるテスター社から発売されたもので、同社のデザイナーがデザインした架空のものではあったが「F-19ステルス戦闘機」の名称でプラモデルとして世に送り送りだされた。
但しこのテスター社「F-19ステルス戦闘機」は発売当初は大きな注目を集めなかったが同社の地道な宣伝活動と、1986年7月にカリフォルニア州のシエラネバダ山脈において生起したアメリカ空軍機の墜落事故が追い風となる。
この事故に関してアメリカ空軍は報道管制を敷いた為、墜落した機体とは極秘にしているステルス機なのではないかという憶測を加速させ、その流れで必然的にテスター社の「F-19ステルス戦闘機」に注目が注がれた。
こうしてアメリカに留まらず世界的な耳目を集める事になったテスター社の「F-19ステルス戦闘機」は、1986年末までに凡そ70万個も生産・出荷される人気商品となり、アメリカの歴史上で最多販売されたプラモデルの座を獲得した。
テスター社の「F-19ステルス戦闘機」のデザインは、一部ステルス性を備えていたSR-71ブラックバード偵察機を縮めて全翼形状の戦闘機風にした曲線を基調としたものであり、完全な創作であった。
アメリカ空軍が最初に実用化したステルス機F-117ナイトホーク
アメリカ空軍が最初に実用化したステルス機はF-117ナイトホークだったが、1988年に入るとかなり正確な同機の情報が軍事関連の専門誌に掲載されるケースが発生、アメリカ国防総省は情報の開示を決断した。
アメリカ国防総省は結局同年11月に記者会見を実施し、最初に実用化したステルス機はF-117ナイトホークであると認め、同機は1983年より既に実戦配備されていた事、そしてその飛行する機体の写真も公開した。
公開されたF-117ナイトホークの写真は、機体の前後のサイズ感を誤認させるアングルからのものではあったが、テスター社の「F-19ステルス戦闘機」と異なり、直線を基調としたデザインであった事は明確となった。
そもそもF-117ナイトホークはアメリカ空軍が最初に実用化したステルス機ではあるものの、戦闘機ではなく攻撃機であり、またその名称が何故F-117であったのかについても確実な説明は成されていない。
新兵器の秘匿と言う政策が生んだ幻がF-19
結果としてアメリカ軍ではF-117ナイトホークに続き、B-2スピリット戦略爆撃機、F-22ラプター戦闘機、そして今のF-35ライトニングⅡとステルス機の採用を続けており、B-21レイダー戦略爆撃機も次期ここに加わる。
敵のレーダーに探知されにくい事で生存性を高め、航空優勢を獲得する事をこれらの機体は企図していると思われるが、テスター社の「F-19ステルス戦闘機」に象徴される騒動は新兵器の秘匿と言う政策が生んだものだと言って良いだろう。
既に初飛行を終えたとアメリカ空軍がコメントしているNGAD(ニュー・ジェネレーション・エア・ドミナンス)だが、同機も今後民間から想像図が流布されるのか、先手を打って軍側が先に情報公開をするのかも気になる状況ではある。
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