実家のある地域には、変わった風習があります。
「それ」は、昔からそこにあることが当たり前で、何の違和感もありませんでした。
何故、そこにあるのかは説明ができない、けれど今でも「それ」は存在します。
お墓参り
実家は昔から農業を営み、所有する山に点在するご先祖様のお墓には天明や天保と刻まれていて、古くからこの地で暮らしてきたことがうかがえます。
一人墓ばかりなので余計に数が多く50基近くあるので、春と秋のお彼岸は墓参りするだけで1日潰れてしまう大変な作業でした。
軽トラックの荷台に、草刈り機、竹ぼうき、ミカン取りに使うコンテナ2つに満載した花としきび、スーパーの袋いっぱいのお供えのお菓子、水を入れたポリタンクを載せて、墓参りツアーへ向かいます。
草を刈って、枯葉を掃除して、軽く墓石に水をかけてきれいにしたら、お花、線香と米、お菓子を供えます。
名前も知らないご先祖様ばかりですが、一つのお墓を指して「この人はお酒ばかり飲んでいて仕事をしなかったので、田んぼを売ってしまい、かなり減ったんだよ」という話は、毎回聞きます。
ご先祖様も毎回言われてる・・・・と思っているかもしれません。
餓鬼の存在
そうしていると・・・。
「ここは、『餓鬼』はどこだっけ?」
「あっちにあったよ。そこそこ」
「ああ、ここだったか。あんたにもお菓子をあげるから、ちゃんとお墓を守るんだよ」
と他所の人が聞いたら、間違いなく疑問に思う会話が始まります。
『餓鬼』はだいたいが握りこぶし大の石や塩ビパイプが変わりになっていたりで、墓地の端に墓石とは向かい合うような位置関係で墓地に一つ、必ず置かれています。
餓鬼にもお供え物をして、墓に悪いものが来ないように見張っているように拝みます。
私は、それが当たり前だったのですが、結婚してから夫側の墓参りに行くようになり、『餓鬼』がいないことに気がつきました。
あれって何?
母親に聞いてみると、餓鬼は、「地獄の餓鬼」だと言います。
母親も嫁いできてから、餓鬼の存在を知ったようで、母親の実家のお墓にもないそうです。
ネットで調べてみると真言宗の法要で、「施餓鬼」という飢えや渇きに苦しむ死者の霊魂にお供えをして、供養するための儀式があるようです。
実家は真言宗なので、その関係なのかなとも思いますが、それとはちょっと違うと思います。
まわりの人たちに聞いてみたのですが、詳しいことは誰も分かりませんでした。
餓鬼という存在に花立てや墓石代わりの石まで置いて、形を持たせることに何か意味があるのでしょうか?
※画像はイメージです。
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