MENU

ドライブ帰りに消えた5人~未解決事件ゲイリー・マティアスの失踪

当サイトは「Googleアドセンス」や「アフィリエイトプログラム」に参加しており広告表示を含んでいます。
  • URLをコピーしました!

令和5年度における日本の失踪者数は男女合わせて9万人以上。国土が広大なアメリカではさらにその倍の人数が蒸発を遂げ、現在に至るまで発見されていません。
2003年にはアメリカ合衆国ミネソタ州チザムで5歳の幼女リアナ・ワーナーが失踪し、1980年代にはアイオワ州デモインにて新聞配達をしていた10代前半の少年、ジョニー・ゴッシュとユージーン・マーティンが行方不明になりました。
今回はそんな数ある未解決事件の中でもとりわけ謎めいて人々の関心を惹き付けてやまない、ゲイリー・マティアス失踪事件を取り扱います。

目次

2月の夜の惨劇 ドライブ中の四人組はどこへ

ゲイリー・マティアス失踪事件は1978年、2月24日夜にアメリカ合衆国カリフォルニア州で発生しました。なおゲイリー・マティアスとは失踪者の1人の名前に過ぎず、他に4人の成人男性が行方不明になっています。にもかかわらず彼の名が冠されたのには、後述の深刻な理由がありました。

2月24日当日、25歳のゲイリー・マティアス含む友人5人組は、カリフォルニア州ユバシティからチコに訪れていました。目的はカリフォルニア州立大学で行われた大学バスケットボールの試合観戦。ゲイリー以下のメンバーは29歳のビル・スターリングと24歳のジャック・ヒューイット、32歳のテッド・ヴェイヘルと30歳のジャック・マドルガ。
全員の共通点は軽い精神疾患か知的障害を持っていること。テッドとジャックは正式な診断は受けていませんでしたがが、学習障害や発達障害を患っており、自立した社会生活が困難でした。彼等はいずれも実家住まいで家族と同居しており、周囲には人間には愛情をこめ、「the boys」(坊やたち)と呼ばれていました。

5人を引き合わせたのは共通の趣味だったバスケットボール。精神的なハンディキャップを負った人向けに地域が支援するスポーツプログラムに参加し、チーム「ゲートウェイ・ゲーターズ」で交流をするうち、プライベートで行き来するまで友情を深めていったようです。5人は家族公認の仲で、車で遊びに出かけることも多かったといいます。が、ゲイリーの悩みは一際深刻でした。
理由は70年代初め、西ドイツでの兵役時代に負ったPTSD。従軍中に薬物に手を出したことでさらにエスカレートし、除隊後は統合失調症と診断され、カリフォルニアの実家に戻ったのち暴行事件を起こしています。とはいえ他4人と知り合うころには大分症状が改善され、1978年には主治医に「私の担当患者の中で一級品の成功例」と太鼓判を押されていました。

事件翌日にあたる2月25日、ゲーターズの面々はスペシャルオリンピックス主催のトーナメント初戦を控えていました。24日に準備をすっかり終えたのちも興奮は冷めやらず、車を出してカルフォニア大の試合を見に行くことに決まります。
運転手を務めたのは免許を持っているジャック・マドルガで、愛車に仲間たちを乗せ、チコに向けて出発しました。

雪山で何が起こったのか?乗り捨てられた車と情報提供者の証言

無事チコに着いた5人は試合観戦を楽しみ、その後はチコ州立大のキャンパスから繁華街に伸びたベーアズ・マーケットに車を走らせ、夜10時の閉店時刻直前に店に寄り、大量の飲食物を買い込みました。
店主曰く来店時のゲイリーたちは大層ご機嫌で、紙パック入りの牛乳やソーダの他に、ピザやハンバーガーなどの軽食を買い占めたそうです。彼等がギリギリに雪崩れ込んできたせいで閉店作業が遅れたことに店主は腹を立てていましたが、自分が最後の目撃者になろうとは思いもよらず、暗闇の彼方に走り去る車をプリプリしながら見送りました。
そこでゲイリーたちの消息は途切れ、寝ずに帰宅を待っていた家族たちが翌朝警察に届けを提出。

ところがビュート郡ユバ郡の合同捜索でも5人は見付からず、ただ時間だけが過ぎていきます。数日後・・・プラマス国立森林公園のレンジャーが、25日頃に道路沿いに停まっていた車を見たと証言します。それはゲイリーたちが乗っていたモンテゴに他ならず、車内には空の紙パックや包装紙、スナックの空き袋が散乱していました。

不可解なのは車の発見地点。チコからは110キロも距離があり、故郷に帰るルートから大きく外れていたのです。さらには5人とも防寒具を身に付けておらず薄手のコートだけ纏った状態、極寒の雪山に入るのは自殺行為。あれだけバスケを楽しみにしていたのに翌日の試合をほったらかすとは思えません。付け加えるならゲイリーたちにアウトレジャーの趣味はなく、土地勘もさっぱりなかったのです。

唯一考えられる可能性はエンストでしたが、警察が点検した結果、問題なくエンジンは動きました。ジャックの用心深い性格を踏まえれば、窓の一枚が下りているのも不自然です。
警察の捜索は続いたものの、悪天候を理由に数日後には打ち切り。地元メディアが情報提供を呼びかけた所、サクラメント在住のジョセフ・ショーンズが名乗りを上げます。
ジョセフは2月24日から25日にかけ、週末の家族旅行に備え、山小屋の下見に訪れていました。午後5時30分頃、山道を登っている最中に心臓発作に襲われたジョセフが車を停めて休んでいると、後方からヘッドライトの光が接近し、数人の男が周囲に群れているのが目に留まりました。

車を下りて話し合っている一団の中には赤ん坊を抱いた若い女性もいましたが、ジョセフが必死な思いで助けを求めても無視し、ヘッドライトを消してしまいました。5・6キロ離れた地点に1台のピックアップトラップが止まり、彼等を監視しているようにも見えたそうです。
赤ん坊を抱いた女性は一体誰なのでしょうか?ヒッチハイクにしろ場違いなので、何かの事件に巻き込まれたのかもしれません。近くの小村ブラウンズビルの雑貨店のオーナーも、失踪から2日後に行方不明者のうち4人が赤いピックアップトラックに乗り、店に立ち寄ったと証言しています。彼の証言が確かなら、何故モンテゴは放棄されたのでしょうか?

布に包まれた腐乱遺体と未開封の缶詰

5人の失踪から4か月後の6月4日、モンテゴの発見地点から30キロ離れたキャンプ場にて、バイカーたちが腐乱遺体を発見しました。アメリカ森林局が管理するトレーラーハウスの窓が割れていたのを不審に思って覗いていた所、中にテッド・ヴェイヘルが倒れていたのです。

翌日プラマス国立森林公園に集結した捜索隊は、森林の中からビル・スターリングとジャック・マドルガの腐乱遺体を回収します。両者の遺体は獣に食い荒らされ、スターリングに至っては骨しか残っていませんでした。死因は低体温症・・・即ち凍死です。

2日後にはジャック・ヒューイットの父親がトレイラーハウスから北東に3キロ行った場所で息子の服と骨を見付けました。最後の1人となったゲイリー・マティアスは行方がわからずじまいです。結論から言えば、それが遺族と世間の憶測を煽る事態に繋がったのでした。
テッドの遺体は8枚ものシーツで包まれ、足は酷い凍傷で殆ど壊死していました。死因は飢えと低体温症。彼はトレーラーハウスで13週間ほど生存していたと見られ、むさ苦しく髭が伸びていました。
貯蔵庫には成人男性1年分相当の乾燥食品と軍用缶詰があり、これを食べれば余裕で生き延びられたはずです。なのに何故テッドは死んでしまったのでしょうか?

ゲイリー・マティアスの行方は?

以上、アメリカ版ディアトロフ峠事件ことゲイリー・マティアスの失踪の解説でした。
世間の見方としては何らかの理由で雪山に迷い込んだ男たちが吹雪に巻かれて凍死し、最後に生き残ったゲイリーとテッドがトレーラーハウスに避難したというのが主流です。

シーツに関しては死体が動くはずないので、ゲイリーが巻いたと見るのが妥当でしょうね。
5人の間に一体何があったのでしょうか?本当に仲間割れをしたのでしょうか?真相は謎のまま、一日も早い解決が待たれます。

※画像はイメージです。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

思った事を何でも!ネガティブOK!

コメントする

コメントは日本語で入力してください。(スパム対策)

目次