1978(昭和53)年の深夜。ひと組の新婚夫婦が乗った自動車は宿泊先である旅館をめざして、宮崎県の日南海岸沿いにある道路を走っていた。夜でも道路の見通しはよく、時間帯ゆえに他の自動車の数は少ない。自動車は宿泊先の旅館に着くため、かなり速度をあげて走っていた。
あるとき、自動車の後ろを走ってきた茶色のセダンが速度をあげて追い抜いていった。暫くすると、速度をあげた茶色のセダンが、ふたたび自動車を追い抜いていき、カーブを曲がった。自動車がカーブを曲がると、すでにセダンの姿は見えない。ドライバーは同伴者に、さきほど追い抜いていったセダンについて尋ねた。すると同伴者は「おなじ茶色のセダンが、何台も追い抜いていった」と答えた・・・。
ドライバーを化かす自動車の怪異
この怪談を、私は2002年に再刊された書籍で読んだ。「私の友人が十年ほど昔、九州へ新婚旅行に行った時の話である」と記述されてあるが、書籍が最初に刊行されたのは1988年。であれば、「十年ほど昔」とは1978年前後だろう、と私は考えた。
道路を走る自動車を、同じセダンが何度も追い抜いていく。怪談のキモは、追い抜いていくセダンが恐らく人間の乗った自動車ではなく、怪異であろうと感じさせる点にある。怪談のなかで自動車が走っていた日南海岸に沿う道路は、そもそも新婚旅行で宮崎を訪れるカップルの移動と観光を前提として開発された道路だった
土地勘のない者でも運転がしやすく、太平洋が見渡せるように開発されたため、道路の見通しがよい。その分だけ土地勘のない人物が訪れる機会は多く、深夜になると些か心細さを感じることもあるだろう。往年の狐狸よろしく、怪異がヒトを化かすには丁度よいシチュエーションでもある。
ただし同様の怪談、怪異が伝えられたのは宮崎県だけではない。個人的に確認したところ、同様の怪異が兵庫県の六甲山、熊本県阿蘇市の道路にまつわるものとして記録されてあった
大筋は同じだが、地域によって細部は異なる。熊本県阿蘇市では修学旅行生の乗った観光バスに、赤いスポーツカーが同様の怪異を起こした。兵庫県ではセダンではなく白のスカイラインが、六甲山の道路に出現。車内には4人の人物(らしきもの)が乗っており、追い抜く自動車を見つめながら笑っている。
同じ4人組がニタニタ笑いながら何度も自動車を追い抜いていく六甲山の方が、怪異はイヤガラセとしての側面に磨きが掛かり、宮崎県や熊本県の怪談と比較してドライバーや聴き手の癪にさわる。だが、この怪談と怪異は2024年現在、どうも宮崎県、熊本県、兵庫県ともに姿を消したらしい。少なくとも、オンライン上の噂にはのぼっていない。何故か?。
自動車保有者の世代交代と仮説
自動車のセダンとは、エンジンルーム・乗室・荷室の3ボックス構成、4ドアの自動車を定義してセダンと言う。またスカイラインは日産自動車の車種のモデルを指す。
宮崎県の怪異は1978年前後の「体験談」を採集したものと思われるが、熊本県の怪異は1994年、兵庫県の怪異は1996年に刊行された書籍に収録されている。ここで提示する考察と仮説は、妖怪あるいは幽霊にされた対象が、1978年から1996年にかけて社会的位置付けが如何に変化したのか、である。それに応じた怪談や怪異が生まれ、衰退したのか。
1980年日本の自動車生産台数は約1104万台にのぼり、世界最大の自動車生産国だった。その後は好景気の波にのって高級車が国内でセールスを上げ、自動車の保有率も上昇する。
自動車をめぐる怪談・都市伝説・怪異は少なくないが、言及した怪異の特徴は「セダン」と「スカイライン」という固有名詞が、怪談と怪異にとって欠かせない点にある。1978年以降、購入したばかりの自動車を所有する個人や、遠方に旅行へと出掛ける機会が増えたことが、「セダン」と「スカイライン」という固有名詞と結びついた怪談と怪異を生成させた要因のひとつに思える。
やはり同じ頃に生成されたと思しき怪談に「白いソアラ」がある。中古車販売店に新品同様のソアラが売りに出されているが、買った人物は例外なく事故で死亡。修理された呪いのソアラは、澄ました顔で中古車販売店に並んでいる、という都市伝説だ。ソアラはスカイラインと同じく日産自動車の高級自動車であり、全盛期は1981年から90年代半ばごろ。2005年を最後に、ソアラの名の付いた車種はカタログから消滅した。
セダンとスカイラインとソアラ
セダンとスカイラインとソアラ。恐らく車好き同士の交流関係の中から、いつともなく生成と波及が生じて、活字メディアに登場するほど普及したのが「セダン」「スカイライン」「ソアラ」の怪談、怪異、都市伝説ではないだろうか。日南海岸のフェニックスロード、阿蘇市と六甲山の道路はともに都市部から離れた分だけ、自動車の運転がしやすい。現に六甲山は走り屋の名所となって、今でも地元住民のあいだで問題化している。
自動車の保有率が低下する2000年代以降、怪異の対象としてのセダンやスカイライン、ソアラは全国的な存在感を失ったのではないだろうか。ちょうどビデオテープをめぐる怪談や都市伝説が、DVDからストリーミング配信へとメディア媒体が移るにしたがって消滅したように。
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