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ごちそうさまという言霊

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何年か前に、「飲食店で食べ終えた後に『ごちそうさま』は言うべきか」というブログ記事か何かがあった。
時折蒸し返されるが、先日また、SNSのXだかで話題にした例があったようだ。

結論が出ない問いというのは、往々にして問いそのものが間違っている場合がある。
この問いの間違いは、「ごちそうさまを言う」という部分の定義を明らかにしていない事である。

1歩戻って「ごちそうさま」を理解するところから始めよう。

目次

ごちそうさまは、何に向けた言葉?

「ごちそうさま」とは、食後の挨拶である。
「馳走」は「馳せる」「走る」の合成語であり、乗り物や自分の足などで「急いで移動する」意味である。
ここから転じて、食材を求めて駆け回る、労力をかける、というニュアンスになる。

ごちそうさまは「御馳走様」と書くが、「御○様」は

  • 「御世話様」
  • 「御苦労様」
  • 「御待ち遠様(おまちどおさま)」

などの言い回しがあるように、間に挟まる○に対して、労い感謝するニュアンスがある。

つまり、この食事のために、労力をかけてくれた人への感謝の言葉、という意味だ。
「ごちそうさま」は、料理を作ってくれた人や、人を動かし用立ててくれた人、金を出してくれた人など、何かしらその食事を成立させる事に尽力した人に対して感謝の意を伝える言葉と言える。
食前でなく食後なのは、食べなければその食事の味が分からず、感謝が空虚になるからだろう。
感謝は内面的なものだから、先の疑問に対しては、「言いたい時に言えば良い」という当たり障りのない結論に辿り着く。

命は「いただきます」

ごちそうさまには、もう1つの説もある。
「命を頂いた食材に対する感謝」が含まれるという説である。

これはしかし、言葉の意味から考えればかなり応用的だ。
馳走しているのは、食材を扱う人達の話で、食材が元気に馳走していたのは狩られる前の事だ。
この食材達に対して「御馳走様」と言ったところで、「え、何に対してお礼言われたの?」と、理解出来ない。

不意打ちのお礼は、会社勤めしているとたまに起きる現象でもある。
これはちょっと良い気分になれるので、人には優しくするのは自分の為にもなると言えるが、度が過ぎるとただの都合の良いヤツになるので加減と「やってやったアピール」は必須だ。

食材に関しては、やはり「いただきます」の方がずっと良い。
命をいただく、というのは輪廻転生の「命のバトン」「魂の繋がり」といった感覚から受け容れ易い。そして食事の「いただきます」は、ごちそうさまのように、料理を作った人に対して言う訳ではない。

これは実際にやってみると分かる。
食事を用意して貰った人への「ありがとう、いただきます」というやり取りを済ませた後、本当に食前に相対し、食べる直前、無意識レベルで手を合わせ「いただきます」を呟く時、人は食事に視線を向け「祈り」の姿勢を取る。
この時、「いただきます」は、鎮魂や食物の存在自体への感謝の祈りの要素が大変強い儀式である事に気付く。

ごうちそうさま

オカルト儀式としてのごちそうさま

ごちそうさまの方は、オカルト的な意味を持つか考えてみよう。
ごちそうさまは、言う事に意義がある。
周囲の人目がある時は、人の注意を惹かないように、小声になるが、それでも声に出すという人は、結構いるのではなかろうか。

誰かに対する言葉なら、小声は理屈に合わない。自分しか聞かないなら、声にする必要はない筈だ。
なのに何故、声に出さなければ気が済まないのか。
これは、ごちそうさまという発声自体に意味があるからだろう。
つまり、言霊として利用しているのだ。

「ごちそうさま」を言霊と考えた場合、どのような働きがあるか。

言霊は多くの場合、指向性のある力だ。
誰かに害意を持ち、「転んでしまえ」と言えば言霊は相手に向かう力になる。
自分の病気を治したい時「健康になるぞ」と言えば、言霊は自分の内面に向かう力になる。
「ミュージシャンになる!」「正社員になる!」「絶対に50歳までに結婚する!」など、夢を口にする言霊も、目標に向けて自分を後押しするベクトルだ。

では、食後のごちそうさまは、どこに向かうだろう。
食材説は「いただきます」に譲った。だとすると、馳走してくれた相手に対する力である事は間違いない。
馳走されたものを食べる目的は、一体何であるか。栄養で腹を満たし、味で心を満たす事だ。満たされた先には、命や活力がある。だが、社会生活において、貰うばかりという関係性は長く続かない。

だからこそ、馳走で得た力の一端を返す、または、次の馳走は自分がするという後押しとして、敢えて言霊として声に出す。
それがごちそうさまではなかろうか。

言うべきか議論で稼げたら

外食時にごちそうさまを言うべきか、という話は、前述のようなごちそうさまの意味を、互いが共通認識にしない限り、永遠に平行線だろう。もっとも、平行線の話だからこそ、結論に辿り着けず議論はダラダラと続き、閲覧数を稼ぎたいSNSユーザーにとって「おいしい」結果になるのだろう。

閲覧数稼ぎでこの話題を持ち出した方は、欲しいだけの閲覧数が稼げたら、きちんと「ごちそうさま」と声に出す事をお勧めする。
馳走されたものを、自分の才覚や実力で掴み取ったものと思ってしまうと、自分を見失い、蹴躓いてしまうものだ。

※画像はイメージです。

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