直近で「人間の神という存在に対する認知」に関して考える機会があった。ほんの好奇心であったが少し調べるだけで「存在するか否か」だけでは括れない深みが見え隠れしたこの表題、せっかくなので紙面に軽くまとめる。
神がどういった存在なのかを説いたいわゆる信条は、宗教の数ほどというよりは、かつてより神論を研究してきた神学者の数ほど存在すると言ってもいい。紙面に限りがあるので抜粋になるが、改めて読者自身の中の『神』に対する認知はどこに帰属するかのある程度の指標になればいいと思う。
無神論・有神論
神の認知の入口ともいえる信条。文字通り「神が存在する」と思えば有神論、逆に「神はいない」と説けば無神論である。互いが互いの対義語に位置する二論で、ディベートは『神の有無』を論点とし「神はいないと主張する無神論者に対し有神論者が各々の信仰する経典を片手に神の存在証明を主張する」という姿勢で行われる。
無神論
無神論では「世界、すなわち天地や自分たち生命は神への信仰なしに生まれた」とあり、神の他にも天地創造に神が関わるとされる項目がある経典を否定している。
分類される信条としては、
- 無神論
「天地創造と生命誕生に神は関係しない」経典内の神の否定」 - 汎神論
「神=天地そのもの、ゆえに神という個体は存在しない」 - 不可知論
「目で見て確認できない存在はいないのと同じでは?」あるいは「目で見て確認できないなら『いる』とも『いない』とも断言できない」という主張も含む - 反神論
「神は存在しないと、我々は望むべきである」ただし、この信条は無神論や有神論とは論点が違うため厳密には無関係
などがある。
また無神論には、
- 積極的無神論
「神は存在しない」と積極的に主張していく姿勢 - 消極的無神論
「神は存在しない」という主張を持ってはいるがあまり進んでディベートの場に立とうとしない姿勢
の二種類がある。
『神の存在』を考えるにあたって『信仰の有無』と『天地創造の成り立ち』との関係が見えてきたところで、有神論に触れるべく次章に進む。
有神論
「神は存在する」という定義で一括りになっている有神論の中にも、先に述べた『信仰の有無』と『天地創造の成り立ち』ひいては『神という存在をどう捉えているか』によって細かく分類化され、場合によっては有神論同士でディベートが起こることもある。
- 有神論
「神は天地創造の主である」天地創造の過程、神の数(一神教・多神教・唯一神教など)は各宗教や教典に準拠し、内容によっては下記の信条に分類される - 理神論
「天地を創造したのは神、でもその後は無干渉」 - 万有内在神論
「神は世界より大きい存在、世界を含め全ては神の手の上である」 - 悪神論
「神は存在する、その上で神とは悪的存在である」少し特殊な信条、時に『神=世界』とする汎神論も有神論と捉えられる場合がある。
有神論の中では『神がどれほど創造した世界や我々に干渉するか』もっと馴染みのある言い方をするなら『神は迷える人間を救うか』という点でも信条が分かれる傾向がある。
これは神が行うとされる『天地創造』と『救い』をそれぞれ別物と捉えるため起こると推測できる。
改めて問う、『神』に対する認知
「神についてどう思う?」という話題はよほど信頼度が高い相手でなければ宗教勧誘を疑うし、日常生活においてもそんなに頻繁に触れるものではない。
よしんばこの話題が挙がったとしても大体「神を信じているか」と有神無神の二択で結論が出て終いになるので、あまり意識して深堀りする機会も今まで少なかったかもしれない。しかし、一部を軽く並べるだけでもこれほどにある信条、一考する価値は十分にあると思う。
周囲の誰かと意見交換をしてさらに認知を深めていけるかは読者諸君の交友関係次第だが、興味が湧いたならこれを機に、「神は人や世界を救うと思うか」「神とは自身にとってどのような存在か」「結論として神は存在するのか否か」と、自身の信条を思い思いに整理してみるといい。
※画像はイメージです。
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