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断頭台~ギロチンの意外な事実

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ギロチンについてちょっと調べたところ、意外な事実が分かったのでお知らせしますね。

フランス革命時とその後の恐怖政治などで大活躍したのは、ギロチンという名の断頭台でした。
ギロチンは英語でフランス語ではギヨティーヌは、開発した人物の名前が付けられていること、考案した人は医者だったなどが知られていると思います。
しかし、よく調べると色々と誤解があり、意外な事実もあったんです。

目次

ギロチンは平等の証?

まず、この断頭台が出来たきっかけは、身分や金持ちかどうかで処刑の形態が違ったことからでした。
一般人は絞首刑、貴族は斬首と決まっていて、処刑人が斧か剣で首を斬るんですが、処刑人の技術が未熟な場合、何度も失敗して悲惨な場面になるので、裕福な死刑囚は腕の良い処刑人を雇えたという事情があったんです。

フランス革命は、王族や貴族の圧政に立ち上がった市民革命ですが、こういう処刑の不平等も是正したいということになりました。そこで受刑者に無駄な苦痛を与えない、しかも身分や貧富に関係なく人道的に名誉ある斬首の刑が出来る機械の開発を議会で提案したのが、ジョセフ・ギロタンというセレブ専門の内科医から国民議会の議員となった人物だったのです。

実際にギロチンを設計したのは、外科医アントワーヌ・ルイがそれ以前の装置を研究して設計し、ドイツの楽器製作者のシュミットに依頼して試作品を作らせたのでした。

この設計図を見たルイ16世が、刃を三日月形ではなくて斜めの形にすればどんな太さの首でも切断できると提案したので、刃が斜めになったと言われていますが、シュミットの考案という説もあります。
ルイ16世は狩りと錠前作りが趣味だったのですが、まさかその後自分がこの装置で処刑されるとは思っていなかったでしょう。

名前の由来

断頭台の正式な名称は「ボワ・ド・ジュスティス(正義の柱)」でしたが、最初の頃は設計者のアントワーヌ・ルイにちなんだ、「ルイゾン 」とか「ルイゼット」の愛称で呼ばれたそうです。
しかし断頭台の人道性と平等性を議会で喧伝したギヨタンの方が有名になったために、ギヨタンの子供の意味の「ギヨティーヌ」という呼び名が定着したのでした。
ギヨタンは不名誉な名称だと強く抗議したものの改められなかったので、その後ギヨタンの家族は改名したそうです。

そしてフランス革命でギヨティーヌは大活躍し、マリー・アントワネット王妃や貴族達の、次にその後の恐怖政治でロベスピエールら革命家たちや市民たちの首をはねまくり、あまりの犠牲者の多さに「ギロチンの嘔吐」と呼ばれるほどでした。
なお、ギヨタンもギヨティーヌで首をはねられたという話がありますが、これは同姓同名の別人で本人は天寿を全うしたということです。
フランスでは1977年にギロチンでの死刑が執行されたのが最後でした。

現代人にとって、歴史上や国によって様々な価値観の違いが最も興味深いことです。
しかし現在では死刑そのものが残酷だと廃止になる国も多いのに、ギロチンの開発理由が、身分や貧富の差をなくす平等な死を!ということだったとは、開いた口が塞がらなかったです。

featured image:http://anarcoefemerides.balearweb.net/, Public domain, via Wikimedia Commons

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