「人々は、自らの行いに恐怖した」
放送開始から45年の時を経て、令和の今にも続く「機動戦士ガンダム」におけるプロローグ。
後に「一年戦争」と呼ばれる事になる戦争で最初の一ヶ月で対立する双方の「約半数」を死に至らしめたというとてつもない物語が語られます。
人類が宇宙に進出した事を示す「宇宙歴(U.C)」が用いられるようになって80年足らずという短期間で、一体何がここまでの惨禍を呼び起こしたのか?
そんな「経緯の集積」こそが「物語としての歴史」であり、それを人が「如何にして読み解いていったか」という「結果」がまた物語を形作っていく事となります。
その「現実感」を背景として語られる「機動戦士ガンダム」シリーズを通じ、そんな「物語としての歴史」を楽しむ見方を案内してみたいと思います。
「機動戦士ガンダム」戦争の後先
「本編」となる「機動戦士ガンダム」の物語は宇宙歴(U.C)0079年
地球圏における政治構造が「地球連邦」という「一応の統合」を経て、資源の確保や人口増加等の諸問題を「宇宙への移民」という抜本的な方策によって「解決」が試みられ、一定の結果と次なる段階への移行を模索し始める頃。
「およそ80年」の時が流れた時期が開始点となります。
一方でこの時点は、既に「人類の半数が死滅した」とされる時期を過ぎ、人類史上最悪の抹殺行為「コロニー落とし」、のっぴきならない状況が「一年戦争」として進展した段階となっています。
この「およそ80年」という期間において「詳細な経緯」というものは無く、いくつかの作品や設定資料において断片的に語られるものとなっています。その記述についても一応の整合性が取られるものではあるものの、記述揺れが少なからず存在します。
ところがこの「不完全さ」は、少々強引な言い方になりますが、現実での「歴史(学)」が相手取る「史実」と似通った部分だと言える部分もあるのです。
過去の出来事=「歴史的事実」を「現実」として「俯瞰的に見る」事、それを「俯瞰的視点から直接操作する」事が出来る存在が居ない。
例え権力者であろうと、出来る事は多くの人間を介しての間接的操縦である。
以上、過去の出来事とは「結果論」として「無数の出来事が積み重ねられたもの」を「整理して見ている」ものだという事になります。
その是非や意味の有り無しについては、現実においても虚構においてでも、現在進行形で論争の的となり続けているものなので、あまり多くを語るべきではない慎重に扱うべき部分である。同時に歴史というものが「熱量を持って動き続ける」という事を直接的に感じ取る事の出来るエキサイティングな部分だと言えるでしょう。
「機動戦士ガンダム」シリーズにおいての「史実」
「機動戦士ガンダム」シリーズにおいて、この「史実」が意図的に塗り替えられた例と言えるのが「ギレン・ザビ」によって先鋭化された「ジオニズム」である。新たな「歴史的史料」の発見から「史実の更新」を巡る物語となったのが「機動戦士ガンダムUC」で描かれた『ラプラスの箱』を巡る戦いとなります。
「ジオニズム」とは一種の選民思想、即ち二元論的に自他を区別し、自分達の優越性を謳う事で自陣営(この場合は「ジオン公国」を中心とした宇宙移民全体を指すと見られます)の正当性を主張する政治思想。
その根底となったのが「ジオン・ズム・ダイクン」、後の「シャア・アズナブル」と「セイラ・マス」の実父が提唱した「宇宙コロニー技術を得た人類は広く宇宙へ進出すべし」とする思想と「宇宙に適応した新人類(ニュータイプ)の出現」の予言。
元来、穏健な政治家であった「ジオン・ズム・ダイクン」とその思想は、現実的な問題として、宇宙域から得られる資源が無くては生存を維持出来ない。故に「先行投資として」宇宙への移民と開拓を展開し、依存性が深い地球圏としての呪縛。人口問題への強制的な回答として宇宙へ送り込んだという経緯の蔑視。
作中における「スペースノイド」という表現が、意図されたものかは定かでないものの「-oid(似たようなもの、を意味する接尾辞)」となっている事から、人間が「宇宙人もどき」というようなニュアンスを込めていた可能性も示唆されるものと考えられます。
こうした積年の因習が蓄積した経緯がどのようなものであったかは推測の域を出ません。しかし、結果として地球連邦の政治家であった「ジオン・ズム・ダイクン」は自ら「サイド3」の移民として政治的首班の座に就いた。
「ジオン共和国」として独立を宣言、その後10年足らずの期間において「地球連邦」と「ジオン共和国」の関係は急速に悪化。
「ジオン共和国」の硬軟両陣営にとっても、少なくとも表向きには求心力となっていた「ジオン・ズム・ダイクン」が急死する事で穏健派は急速に失速。地球圏との戦争も厭わずとする急進派「デギン・ソド・ザビ(ギレン・ザビの父親)」を筆頭とする「ザビ家」によって共和制が廃され、君主制国家「ジオン公国」として「一年戦争」に邁進していく事となります。
人類の悲劇
ここまで大まかに「ジオン公国の成立」にまつわる歴史を眺めて見ましたが、実の所ここまでの物語を眺めても「コロニー落とし」を含む壮絶な戦争へ至る程の狂気。
「人類の半数を死に至らしめる」だけの「史実」は、少なくとも「それを主観的に是認出来るだけの強度を持った動機」を含め、はっきりと「これ」だと断言出来るものは無いように見えると言えます。
宇宙にまで拡がってしまった人間の版図が、それだけの憎悪を醸成させてしまう負の連鎖が起こってしまったのか?
それを明らかにする手立てすら失われてしまった事をして「自らの行いに恐怖」する事になってしまったのが、この世界の「歴史」であるとするなら、それこそ悲劇と言わねばならないでしょう。
「人類の半数が死滅した」という事実は、推測を含む事にはなりますが、政治・経済・思想信条あらゆる側面から戦争が影を落す事になったと推測されます。
これもまた「後の物語」からの「結果論」という事にはなりますが、ほぼ全員死亡した「ザビ家」に責任を帰結させる形で「ジオン公国」は「ジオン共和国」へと復帰。
一方の「地球連邦」も大勢では勝機を押さえつつ損耗激しく「公国」側の残存戦力もまだあった中、「共和国」側が停戦の意思を示した事を幸いとして講和を成立させたとされます。
これによって「ジオン共和国」は本来の目的であった「自治権」を得る一方で「地球連邦」は「共和国」側の戦後復興や戦時債務から手を引くという、極めて政治的な決着がつけられるという形で停戦が為されました。
この後「ジオン共和国」は戦時中の遺産である技術を連邦側へ「売却」する事で、利益を得て債務を返済し戦災から復興、便宜を図った事で「地球側」での発言権を得ていったとされます。
グリプス戦役
一方で「見捨てられた」ような形となった旧公国軍人等は、いわゆる「ジオン残党」としてテロ活動などへ移行していく事となります。
「機動戦士ガンダムZ」において描かれた戦禍である「グリプス戦役」までの間で最大の事件となったのが、宇宙歴0083に起きた「デラーズ紛争」。
歪な終戦構造への強硬な反発を掲げる「デラーズ・フリート」によって苛烈な抗争が行われた結果、危険性を糾弾する形で地球連邦における「残党狩り」部隊である「ティターンズ」の結成。
という具合に、一つの戦争から利権や憎悪の連鎖が積み重なり「歴史」の呪縛が作られていく事になっていったのです。
なお「機動戦士ガンダムUC」については今回「本筋」となる部分から見て、「未来に明かされる出来事」となるため残念ながら割愛させて頂きます。
しかし、歴史的観点からは「新史料の発見が社会を揺るがす」という事態を、極めて直接的に描いたものとしてロマンを感じさせる切り口を持った作品になっています。
機動戦士ガンダムGQuuuuuuX
「機動戦士ガンダム」から始まる物語は、言うなれば「人類全てが無関係で居られなくなった戦争」の渦中から始まり、その呪縛から逃れられなくなってしまった世界を、様々な角度から焦点を当てた物語の数々だと思います。
「機動戦士ガンダムGQuuuuuuX」は、その渦中にあって一片の希望を指し示すかに見えた「小説版 機動戦士ガンダム」の物語、即ち「もしも(IF)の歴史」に端を発する形から始まっています。
自らの行いに恐怖した一年戦争、大きな犠牲が避けられてはいない情勢、ただしその後の趨勢が大きく異なり、言うなれば「双方の疲弊が更に大きくなる形」で「ジオン公国が勝利」する形での停戦の実現。
この結末によって「ジオン公国」は「戦勝国」という形で宇宙域における自治権を確立、「ザビ家」も残存し「一年戦争から5年後(0084~85)」頃の世界として描かれました。
しかし「地球連邦」が敗北する事でその政治力が大きく低下し、ティターンズのような「急進的勢力の拡充」にまつわる「巨大な経済的利権」と言えるものが乏しくなる事で、戦後復興の速度が停滞気味であるという事が予測されます。
逆説的には「健全」な戦後復興に近いという事も言えますが、復興の遅さは組織犯罪の台頭による法治の低下を招き、統治機構の劣化、経済的困窮を拡大させるという悪循環を構成すると考えられます。
劇中ではモビルスーツを運用出来る「警察」が存在している様子であり、危険をはらみつつもぎりぎりの所で支えられてはいるという「危うい平和」が成立している世界である事が伺われます。
憎悪の連鎖が唐突に断ち切られ、利権を追い求めるには懐事情が寒すぎる。
そんな行き場の無い鬱屈と爆発力を得られない野心が影のように堆積した世界で「キラキラ」したものが何をもたらすのか。
かつての「歴史」が逃れられなかった「呪縛」を越えて行くのかもしれないという「希望」が指し示されたと言えるのかもしれません。
かくしていよいよ「本編」となる物語の開幕した「機動戦士ガンダムGQuuuuuuX」。
筆者個人としては「語られざる断章」として終わっても満足していた所だったので、これから如何なる物語が語られるのか、どのような形になろうとも「期待せずに居られない」状態になってしまっています。
願わくは宇宙歴に降り積もった呪縛を振り払うだけの「希望」を見せて欲しいと願う所ではありますが、どのような結末が語られようとも何か納得が得られるような、そんな期待を感じてしまっています。
※写真はイメージです。
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