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「歩兵第五聯隊第二大隊遭難記念碑」であった怖い話

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八甲田山は冬場はスキー、スノーボードで人気のある場所で樹氷の観光地ですが、1902年(明治35年)にたくさんの軍隊の人々が遭難し凍傷で亡くなった、八甲田雪中行軍遭難事件が起こった場所でもあります。
地元の子供ならば学校なんかで教えらる悲劇の話で、「八甲田山」という映画にもなっており物語的に伝承されています。

学生時代、友人達と車に乗り、夜中の「歩兵第五聯隊第二大隊遭難記念碑」へ肝試しドライブに行った時の話です。

目次

肝試しドライブ

記念碑へ到着し駐車場に車を止めて山道をすこし登ると、記念碑として遭難発覚のきっかけとなったという後藤伍長の銅像が佇んでいます。
特別不気味な雰囲気でもなく幽霊を観たとか感じたという事は無かったのですが、気温が思ったより低く、友人の一人が尿意をもよおしてしまったのです。

どうにも我慢できず、「みんなこっち見るなよ!」と叫んで銅像のある高台から山へ向かって立ちションをはじめました。
全員がやれやれと思って背を向けていてあげていると、肩を叩かれたのです。
「え?!」と驚き後ろを振り向くと誰もいません。それどころか、アレをほぼ丸出しの状態で立ちションをしていた状態の友人が悲鳴を上げながら向かってきた。

え?!

それにつられるかのように全員、駐車場までダッシュ、車に飛び込んで逃げ帰ってきたのでした。
帰る途中の車の中で、立ちションしていた友人に理由を聞くと同じように肩を叩かれ、いたずらするなよな~と振り向くと悲壮な顔をした昔の軍人のような人が立っていたと言います。私たちは肩を叩かれただけですが、彼は姿もみたようです。

歴史的にも悲劇的な遭難事件が起こり、現在も訓練中の自衛隊が山で発生した毒ガスで命を落としたというこの山。
ふざけて肝試しなんかするもんじゃないと反省したのでした。

※画像はイメージです。

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