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ひいおばあちゃんが告げた

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今は看護師しておりますが、東日本大震災が起きた当時は東北のとある港町に暮らしていました。
震災の話になると「大変だったね」「つらかったでしょう」とよく言われますが、あまりよく思い出せません。

目次

東日本大震災の日

震災当時、私は中学生で、あの日は熱を出して学校を休み、一人で留守番をしていました。
熱といってもちょっと風邪をこじらせた程度のもので、居間で漫画を読んだり録画のアニメを見たりして、ゴロゴロと過ごし・・・。

「お腹すいたな。お母さんが帰ってくるまで、まだ2時間もある」

そんなことを思った次の瞬間、高台に向かう人たちの中にいて、みんなと一緒になって小走りをしています。
「あれ? なんだこれは? 」と混乱しているうちに、後方から「ああっ!」と男性の声が聞こえてきました。
振り返ると立ち止まった男性の見つめる先で、町が轟音と共にどす黒い水に飲み込まれていくのです。

「XXちゃん! 見だらだめ、走って!」

東北訛りで声をかけてくれたのは、幼稚園からの同級生のお母さんでした。
そばに同級生やその兄弟たちの姿はなく、おばちゃんも一人で逃げてきたようです。

「一緒に行ぐべ!」と言うおばちゃんに手を引かれ、避難場所である高台まで逃げると、家があったはずの場所がどこだったかもわからないほど、町はめちゃくちゃになっていました。

おっぴちゃん

これが地震のせいで起きたことだと知ったのは、その後です。
「おっきい地震だったなや」「怖がったなぁ」と話す周りの人の会話や、おばちゃんの「地震のときは一人でいだの?」という問いかけが、初めは何の話をしているの解りませんでした。

地震があったのを知らなかった。いつの間にか逃げていた。
そう伝えると、おばちゃんは涙を流しながら話しました。

「XXちゃんのおっぴちゃんが守ってくれたのかもねえ。おっぴちゃん、XXちゃんのことが大好きだったがら」

“おっぴちゃん”というのは、この地域での「ひいおばあちゃん」の呼び方です。
同居していたひいおばあちゃんは、数年前に亡くなっていて、家族はみんな、それぞれの職場や学校などで津波に飲まれ、1人も帰って来ません。

「おっぴちゃん、どうせ守ってくれるなら、家族みんなを守ってくれれば良かったのに! 私だけ助かっても全然嬉しくないよ!」

やり切れない怒りや悲しみを、心の中で何度もひいおばあちゃんにぶつけてしまいました。

あれから

あれから10年以上が経ちました。
私は看護師になり、ある地方の病院で働くようなりました。
海が近い町なので少し怖いけれど、故郷を思わせる場所なので懐かしさも感じます。

あるとき、夜勤明けに一人暮らしの家で寝ていると、ひいおばあちゃんが夢に出てきました。

「XXちゃん、おっぴちゃんのせいでごめんね。つらい思いさせで、ごめんね。許してけろ」

シワシワの頬にポロポロと涙を流すひいおばあちゃんを見て、駆け寄って抱きつき、夢の中で2人で抱き合いながら泣きました。

「私こそごめんなさい。おっぴちゃんは何も悪くないのに責めたりして、ごめんなさい。私のこと、助けてくれてありがとう!」

※画像はイメージです。

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