1991年3月28日のことだった。当時、幼い私と兄弟、両親は夕飯の席を囲んでテレビを観ていた。
番組は夜7時から8時54分にかけて放送された日本テレビの「木曜スペシャル」枠。
番組の名は『緊急リポート!!これが世界の怪奇現象だ』。
心霊映像・未確認生物・UFOなど、オカルトの定番ジャンルを取材したフェイクドキュメンタリーを、スタジオ司会者とコメンテーターのトークを挟んで紹介していく番組内容であった。その番組中、鹿児島県指宿市にある池田湖に棲むとされる、「謎の水棲獣・イッシー」を撮影した8ミリビデオと撮影者インタビューが放送された。
もちろん、謎の水棲獣が捕獲されてテレビカメラの前に全貌を晒すことは有り得ない。しかし番組の構成や演出の見事さと相まって、子どもの感情をときめかすには充分だった。いま住んでいる自宅から車で移動できる距離に、恐竜の生き残りか、未知の怪獣が棲んでいる湖がある!。
このハナシは、長らく私と弟たちの心を捉えて離さなかった。小学校に入学する頃には、表紙に首長竜のイラストをあしらった文庫本『謎の巨大獣を追え?未知生物「ヒドン・アニマル」の正体を徹底検証』(廣済堂出版 1993)を書店で発見。未確認生物のエピソードと写真が満載された同書を舐めるように読んだ。同書には池田湖を取材したページがあり、「池田湖に墜落した自衛隊機を捜索中のダイバーが、正体不明の怪物に危うく喰われそうになった」といった、魅力的な体験談が掲載されていた。墜落した自衛隊機を捜索中に怪獣に襲われるダイバー。私と弟が同じころに観た『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)前半のようでないか。
こうして無知だがロマンティストであった、90年代の小学生を魅了したイッシー。2024年現在、イッシーは池田湖周辺の住人のあいだでも過去の遺物となり、キャラクターとしての存在感をすっかり失ってしまった。今回は戦後ニッポンの元祖ご当地キャラ・イッシーの栄枯盛衰を追いかけてみたい。ちなみに、未確認生物の略称を意味する「UMA」という呼称が普及し始めたのは1993年以降である。『緊急リポート!!これが世界の怪奇現象だ』では使用されておらず、1993年の『謎の巨大獣を追え?未知生物「ヒドン・アニマル」の正体を徹底検証』で少しばかり言及されてある。
1979年
西日本新聞フォトライブラリーに目を通すと、1979(昭和54)年2月14日付の写真に「池田湖 イッシーで話題」とキャプションが付されたモノクロ写真が見つかる。指宿市観光協会が設置した「池田湖イッシー無人観測所」の前に5名の観光客が並んで、なにか窓のようなものを覗き込む。コンクリート製のイッシー無人観測所には首長竜のイラストをあしらった看板が取り付けてあり、観測所の壁には、実在する企業のカメラやフィルムを使用しているのか書かれている。これは監視カメラで池田湖を記録、あわよくばイッシーの姿を撮影しようとの設定で建てられた観光地である。
大変ありがたいことに、イッシーの目撃情報は公的機関が纏めている。観光庁のwebサイトには、鹿児島県の霧島錦江湾国立公園地域協議会が作成した『イッシー目撃情報年表』があるのだ。しかも英語版まで存在する。
鹿児島県が作成した『イッシー目撃情報年表』によると、1978(昭和53)年9月3日、イッシーが立てたと思しき「不思議な水音」を湖岸にいた小学5年生の集団が耳にしたとある。ただし同じ協議会が作成した『漫画家集団が訪れた』では、「1978年9月3日、謎の白い生き物が、池田湖をものすごい速さで泳いでいるのが目撃されました。この生き物は巨大で、約5メートル離れた2つのこぶを持ち、その生き物が通った跡は体から数十メートル広がっていたと報告されました」とある。日付は共通するものの具体的な記述が食い違う。
すぐに全国紙で報道されたとするブログも目にしたが、現時点では私の力量不足のため、確認が取れていない。当時の鹿児島県で発行されていた地元紙を辿れば、リアルタイムの目撃談を伝える記事が発見できるかもしれない。少なくとも宮崎日日新聞のオンライン記事(2023年8月31日付『ネッシーもイッシーも』)には、「池田湖に怪物出現」との記事が掲載された、とある。
約2カ月後の『週刊サンケイ』11月号(扶桑社)では既に「懸賞金も出た池田湖の怪獣イッシー」の特集記事が、12月の『小学六年生』も児童向けに特集記事を組んでいる。半年もしないうち、イッシーは全国的に名前と存在が知られる事態になった。
最初の目撃情報から約2ヵ月後に、全国で流通する雑誌媒体で特集記事が組まれた背景には、地元自治体の思惑が垣間見える。『イッシー目撃情報年表』には、目撃情報から1カ月後の10月1日、指宿市観光協会が「イッシー対策委員会」を設立した。もう11月1日には「池田湖イッシー無人観測所」が設置されている対応の素早さである。
最初の目撃情報の翌月には、既に「イッシー対策委員会」を設置するスピード対応。こうした鹿児島県の対応と目的とは、未知の生物や恐竜の生き残りを発見、生物学的に研究するべく保護するため…ではない。池田湖を観光地化するためだ。
ご当地UMAという観光資源
広島県庄原市のwebサイト『庄原観光ナビ』には、「ヒバゴン~実在した謎の類人猿」という記事がアップされている。ゆるキャラにアップデートされたヒバゴンのイラストや着ぐるみがあり、ヒバゴンネギや「ヒバゴンのたまご」(饅頭。美味そう)が載っている。2008年には豪華キャストで映画『ヒナゴン』まで作っているから、ちょっと驚く。
往年のUMAがそうであるように、雪男やビッグフットといった類人猿も存在感やリアリティを失って久しい。だが半世紀まえの日本国内や周辺では、しばしばUMAが出現して世間を楽しませていた。
1970(昭和45)年7月20日から8月にかけて、庄原市の比婆山周辺で雪男を思わせる「類人猿」の目撃情報が、地元住民のあいだで頻発。当初は本気で恐れられた形跡も『庄原観光ナビ』の行間から漂う。また「ヒバゴン」の名で全国的に知られるようになると、好奇心に駆られて比婆山を訪れる「野次馬」が増加。地元自治体は、かなり悩まされた形跡もある。
それが1973年、懸賞金を贈呈するツチノコ捕獲キャンペーンを西部百貨店が行うなど、当時のオカルトブームの波にあわせて「未知の生物」「恐竜の生き残り」に商品価値がつく。岡山県も1977年には、NHKの番組にヒバゴンのぬいぐるみを登場させるなど、観光客を呼び込んで地域経済の活性化を図るため、ヒバゴンを積極的に活用する方向へ向かう。ゆるキャラと化したヒバゴンのイラストは、そんな往時の名残である。この動向に鹿児島県も追従する。
漫画の神様もやってきた
とにかく1979年以降の鹿児島県は、観光スポットとして「恐竜の生き残りが棲息する湖・池田湖」のブランドを確立するべく力を入れた。観光庁のwebサイトにある『漫画家集団が訪れた』とは1979年5月、著名なイラストレーターや漫画家たちを現地の池田湖に呼び、思い思いにイッシーのイラストを描いてもらう、というイベント。『11ぴきのねこ』の馬場のぼる、日本酒「黄桜」のイメージキャラクターをデザインした小島功、果ては『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』で大ブレイク中であった松本零士まで起用した。
いったい、いくら税金を使ったのか?
ともあれ、話題づくりと観光地化には成功した。もっぱら水産業の場所であった池田湖はすっかり「首長竜の棲む湖」として観光地化された。水面に浮かぶコブや波しぶき程度の目撃談で首長竜のイメージが定着したのは、ネッシーのイメージを鹿児島県とメディアで積極的に流布したことが功を奏した。
当時のイベントを辿ると、当時の鹿児島県は恐竜の生き残りに興味を示すのは主に家族連れの観光客である点に自覚的であった節がある。大人は温泉と食事と地酒を求めて近場の指宿温泉に足を向けるものだ。恐竜の生き残り、などという対象に関心を向けるのは、もっぱら漫画を熟読する当時の児童層である。漫画雑誌や児童向けの書籍には世界の未確認生物をテーマとした漫画やグラビアが掲載されていたのだ。このジャンルに鹿児島県は見事、乗っかることに成功する。
1983(昭和58)年11月13日。北海道の屈斜路湖に存在するとされた未確認生物・クッシーの造形物を取り付けた筏と、同じくイッシーの造形物を取り付けた筏を対面させるイベントを鹿児島県は催した。そのイベントの目玉はイッシーではない。ゲストであった漫画の神様・手塚治虫である。話題作り、池田湖の観光地化も極まれり、というものだ。いつまで経っても、本物の首長竜はいっこうに姿を現さないのだが…。
地域密着型の未確認生物が持つ弱点は、時間が経つにつれ捕獲されるなどして存在が実証されない場合、ゆくゆくは存在のリアリティを失ってしまう点にある。1978年の目撃談から『緊急リポート!!これが世界の怪奇現象だ』が放送された1991年まで、すでに13年の歳月が流れていた。首長竜らしき未確認生物が棲息するには、鹿児島県のカルデラ湖は狭すぎる。姿を隠した時間が長引くほど、何故いつまで経っても大勢の観衆のまえに、堂々と姿を見せないのかと首を傾げる気持ちが強まっていく。
また未確認生物はUFOと異なり、VFXが普及する以前には動く姿を撮影した映像がない。『ジュラシック・パーク』が製作される以前は、動く未確認生物の映像を制作するにはストップモーション・アニメなど特撮を駆使せねばならず、莫大なコストや手間がかかる。出来上がったとして、コマ撮りのカクカクした動きや合成など粗が目に付く「未確認生物を撮影した映像」が、広く信じられたとは思えない。
1991年にイッシーを撮影したビデオは、そうした需要に応える側面があったかもしれない。だが、その未確認生物は背中というか波のような…。
小学生男児三人組、池田湖に見参
『緊急リポート!!これが世界の怪奇現象だ』と『謎の巨大獣を追え?未知生物「ヒドン・アニマル」の正体を徹底検証』では、どちらも池田湖に出現したイッシーを撮影した…ことになっている同じ写真が紹介されていた。大きく口を開けた大蛇のような影が水面に浮かんでいるカラー写真だが、いま思えば往年の心霊写真と同じように、どこかのメディア関係者が制作したのだろう。
1996年、私は両親や兄弟とともに池田湖を訪れた。地元と変わりのない景観を目にするうち、未確認生物のリアリティが急速に薄れていくことを実感した。車が池田湖に着くころには、とにかく道端に建てられたコンクリート製の首長竜のモニュメントが沢山ある。そうしたモニュメントや土産物を大量に目にした瞬間「あ、やっぱりイッシーはウソだな」と、不思議なほど素直に納得した。落胆は感じなかった。治安の悪い地元の子どもは皆、暴力的でバカではあったが、歳相応の知恵はつく。未確認生物を信じるほど無知ではなくなっていた。
鈍い灰色をした池田湖の湖面を眺めたとき、小学生ながら、なにか清々とした気分でいたことを憶えている。
屈斜路湖の夏
先に言及した、1983年の池田湖のイベントで使用された、北海道の屈斜路湖に棲息するクッシーの造形物。これと同一のものと思しき造形物は、現在も屈斜路湖の土産物店で目にすることが出来る。
HTB北海道ニュースが2023年8月31日に伝えたところによれば、1983年の屈斜路湖ではクッシーの造形物を囲んで盆踊り大会が開かれるなど、地元自治体は観光地化に力をいれ、当時はなかなかの経済効果があったという。
クッシーの造形物を囲んで盆踊りをする光景には、『ウィッカーマン』や『ミッドサマー』のような異様さはない。毎年、神社に奉られた怪獣に因んだ盆踊りをやっているような、牧歌的なムードが漂う。そのクッシーも2000年代から目撃情報が途絶えた。
ではイッシーとクッシーは、なにも残さなかったのか。そうとも言えない。YouTube動画を観ると鹿児島県では地域振興の一環として製作された『イッシー音頭』が、ご当地ソングとして定着。毎年、鹿児島県の幼稚園児たちは楽しんで、『イッシー音頭』を踊っているようだ。
※画像はイメージです。
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