満州事変は軍部独裁の始まりでした・・・・
クーデターとは
クーデターとは、政権内部の権力移動が武力によって非合法に行われる事です。
武力、即ち軍事力がその手段となるので、軍によるものが多くなります。
国家の政策は政府が策定し、その政策を実現する一手段として、 政府下部の一つの組織である軍部とその軍事力があります。
しかしその軍部が軍事力を不当に行使して政権内既存勢力を駆逐し、 軍部自体または軍部の意のままになる傀儡政権が 国家政策を決定する立場に収まる行為がクーデターです。
満州事変
満州事変は柳条湖事件に端を発する、日本・関東軍と中華民国軍との一連の武力紛争で、 関東軍は約5ヶ月で満州全土の軍事的占領を果たします。
満州事変で注目すべき観点の一つは関東軍を始めとする軍部の行動で、日本政府は国際協調を旨として事態不拡大を方針にしました。
この政府方針に従わずに現地軍である関東軍は戦線を拡大し続けます。
軍中央は両者の間にあって、 関東軍の軍事行動を自衛の為の武力行使と主張する事で消極的に関東軍を指示します。
政府と、建て前では政府に従う姿勢をとる軍中央の意向を無視して、 関東軍は独断専行し既成事実を積み重ねていきます。
それに引き摺られる形で政府はその既成事実の追認を重ね、 最終的に満州国建国に至ります。
緩やかなクーデター
クーデターが国家政策の策定を行う政権の奪取だとするなら、 満州事変における関東軍の一連の行動は、 関東軍が政策を策定し遂行したという点ではクーデターに他なりません。
ただ、後の5・15事件や2・26事件の政府要人暗殺の様な実力行使がないので、 これは緩やかなクーデターと言えるでしょう。
また以後、政権内の軍部の発言力は日増しに強まり、 最終的には陸軍大臣・内務大臣・外務大臣など主要大臣を兼務する東条英機が総理大臣となって、 この内閣によって軍部独裁が完成する事を考えると、 満州事変以後の軍部の動きは時間をかけた一種のクーデターといってもよく、 満州事変はこのクーデターの出発点だと見る事ができます。
eyecatch credit: English: Osaka Mainichi war cameramen日本語: 大阪毎日従軍寫眞班撮影 [Public domain], via Wikimedia Commons
※画像は一部イメージです。
思った事を何でも!ネガティブOK!