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なぜ日本のホラーは水を重要視する?

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日本のホラーは、水場や湿気の表現は有る種お決まりの表現としてすっかり定着している。
我々はそれに特に疑問を抱くことはないが、海外のホラーではあまり見られることのない表現だ。

なぜ日本のホラーにおいて、水場の表現が重要なのだろうか?
今回はそれについてちょっとした考察をしていきたい。

目次

和風ホラーと水

日本のホラー映画と聞いて、何を思い浮かべるだろうか?
リングや呪怨、仄暗い水の底から・・・日本のホラー映画には、海外ホラーにはない独特の雰囲気がある。この独特の雰囲気を醸し出している要素の一つに、「水場」というものがあると思う。
もちろん例外もあるが、水というキーワードは「和風ホラー」というジャンルにとって非常に重要だ。

和風ホラーで幽霊が出てくる演出では、決まって水が関わってくる・・・お手洗い、洗面台、台所、お風呂。
これらの水場のシーンに使う、もしくは、じめっとした空間であるような描写は必須に近いだろう。これは映画に限らず、2chのオカルト話からホラー小説に至るまで広く行われている。

水がもつもの

皆さんは、一度でもこれらに「一体なぜ?」と思ったことはないだろうか?
確かに怖いし嫌な感じはするけど、なぜ日本のホラーは水にこだわるのだろうと・・・筆者もかねてから、そのことについて疑問を持っていて、様々な言い伝えや風俗を調べていてわかったことがある。

それは、日本人はとにかく「境界線」にこだわるということだ。

例えば、村と村の境の境界線には道祖神がある。神道においては、神のための場所と人間の場所をしめ縄や鳥居で隔てるのは基本的な概念だ。こうした境界線を特別視するような思想は、いたるところにある。

そう考えたとき、最も古くから認識できて、一番生活に根ざした境界線とは、なんだろうか?
それこそが、おそらく水場なのだ。例えば、生きるためにはかならず水を汲みに行かなくてはならない。水汲みに行くのは当然川や池だ。川や池に行けば、水と地面との境界線を目にすることができる。そしてそこを超えて身を乗り出して、水を汲むのである。

境界線の概念

しかし、ここで問題が出てくる。先に上げたような人間の規定した境界線と違って、自然の境界線というのは曖昧なのだ。断崖絶壁と隣接する川や護岸工事をされている川ならともかく、自然の川であれば、どこからが川で、どこからが河原なのか、明確に答えることは難しいのではないだろうか。

石や土、砂の混じった地面から、徐々に湿り気が増し、水がたまり、水深が深くなって、シームレスに川へと移行していく曖昧な境界。これこそが我々が不気味に思う原初の感覚なのではないだろうか。

境界線は、場所と場所を隔てるためのものだ。それは神と人かもしれないし、村と村かもしれないし、死者と生者かもしれない。とにかくAとBの両者を隔てるための境界線、それが曖昧なのである。となれば、その曖昧な空間には何が居るのだろうか。
昔の人はそう考えたのかもしれない。

境界線と水がみせるもの

生活のために日常に訪れる場所、しかも定期的に人が溺れたり流されたりすることもある。そんな場所にある曖昧な境界線。そうして想像力を巡らせた結果として、彼らは水辺に幽霊や妖怪の幻影を見たのかもしれない。
そして、そのイメージこそが、未だに我々に恐怖体験と水のイメージを結びつけさせているのかもしれない。

一方、現代の我々は、一見そういった曖昧な境界線とは無縁に思える。
護岸工事のされた川、地図上で明確に線で区切られた土地…技術の進歩とともに、我々は全てを規定して、白黒はっきりとつけるように努めてきた。しかし、曖昧な境界線というのはいまでも無いわけではない。

たとえば踏切はどうだろうか。あそこは線路だろうか?道路だろうか?トンネルはどうだろう。あそこは地下?それとも地上・・・橋の真ん中は川の此岸と彼岸、どちらだろうか。

読者の皆様もこうした曖昧な場所を通る場合は注意したほうがいいかもしれない。
もしかしたら、ふとした瞬間に異界を垣間見ることができるかもしれないのだから。

※画像はイメージです。

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