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戦前日本のナショナリズムについて対談集から読み解く

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「日本人と日本文化」歴史作家 司馬遼太郎と日本文学の権威ドナルド・キーンの対談集。
こういう対談って、歴史の専門家が色々調べてやっと得られるような小ネタとか豊富で、目からうろこのことも多いのでご紹介しますね。

目次

司馬遼太郎とドナルド・キーン

司馬氏はよく言われるように、長編小説を書く前に神田の古本街でトラック1台分の資料を買い集めたと言われる人。
キーン氏は司馬氏とひとつ違いのアメリカ人(最晩年に日本人になられました)ですが、太平洋戦争中から日本語を学び、戦後、京都大学に留学、能や狂言などにも通じているし、また日本の文化を調べるためにオランダ語も習得し、日本文学史などを書かれた日本文学の権威です。
なお、「源氏物語」の英訳者アーサー・ウエイリー、谷崎潤一郎らに実際に会ったり、三島由紀夫とは親しい友人だったというからすごいです。

この博学のふたり、対談が初対面でしたが、5分もたたないうちに何年も前からの友人のように意気投合し、キーン氏は後書きに、「自分が気が付いた新しい発見やおもしろい話、誰かに聞かせたいと思っていた新説を話す機会に恵まれた」と、話題が次から次にわいてきたということなんです。

実際、キーン氏は津和野に行って、あのズーフ・ハルマ、幕末の蘭学者のバイブルのようだった貴重なオランダ語の辞書の展示物を見て、「例文の豊富さにびっくりした、しかも手書きの洋文字のきれいさもびっくり、今あんなにきれいに書ける人はいないです」とか、日本は英雄のない国で、10人に聞くとみな違う人をあげるのは、分類があって好きな政治家と尊敬する政治家が違うからだとか、応仁の乱で平安時代の貴重な本が焼けて失われたことを残念と言うけれど、もし残っていたら新しい文学や歌は生まれなかったかもしれない、という、まさに目からうろこと思うことを話されているんです。

日本の武士は忠義を重んじる

で、キーン氏は司馬氏に、「日本の武士は忠義を重んじるのに、なんで壇ノ浦でも関ヶ原でも大きな合戦は裏切りで決着がついてしまうのか、おかしいじゃないですか」と聞いておられました。
すると司馬氏は、合戦はだいたいがその前の根回しで決まっているものだとして、「忠義と言うのは直接の主人に対してだけで、その上の主人は忠義の対象ではない、例えていえば子会社の社員は親会社には忠誠心がないというようなもの」
と言うのでびっくりしました、裏切りの構造ですね。

また、キーン氏は、赤穂義士の英訳をしたが、浅野内匠頭があんまり尊敬できない殿様なのに赤穂浪士が討ち入りをしたことに意義があるというのも、うなってしまいました。

生きて捕虜の辱めを受けず

それから、太平洋戦争での「生きて捕虜の辱めを受けず」というのも、日露戦争までは捕虜になると将棋の駒のように敵方に率先して情報を教えたりしたので、その弊害を防ぐために教育されたので日本古来の伝統ではないということでした。

豊臣秀吉の朝鮮の役でも、朝鮮側に降伏したあと、朝鮮軍の大将となって日本軍と戦った対馬の武士と思われる沙也可と言う人がいたが、日本側の記録にも別に裏切り者とは言われず不思議にも思われなかったということがあったそうです。
キーン氏は日露戦争で捕虜になった日本人将校の資料などを読んだが、国際赤十字社に国際条約に基づいているはずなのに、自分たち捕虜の待遇が悪い、ロシア人はスケートしてるのに日本人捕虜がスケートできないのはおかしい、などと実におかしいくらい明朗に文句を書いていると言うことでした。

また日清戦争のすぐ後の泉鏡花の短編に赤十字の人が捕虜になっても恥ずかしいことではないと書いてあるものがあるが、当時は発表されても問題はなかったが、昭和15年ごろに泉鏡花の全集が出たときはこの短編は発禁となったという話もされていました。

暗いナショナリズム

司馬氏は戦前の「暗いナショナリズム」が出来上がったのは昭和初期で、20年までほんの短い間にまるで日本古来の伝統のようにされてしまった、伝統をでっちあげて人々に伝統だと教え込むのに10年くらいかかるという話も興味深かったです。

この対談、続編もあって司馬氏によると「よく売れた」ということですが、ほんとに何度読んでも新しい発見があって歴史ファンには最高の対談のような気がしますです。

※画像はイメージです。

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