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イギリスの歌から、日本の君が代と日章旗

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意味のないものに後付けて深い意味があると言われても、元ネタを知っていると信じられないものです。
そこで真相をご紹介したいと思いました。

目次

イギリスの歴史

YouTube動画でイギリスの「プロムス・ラストナイト」でおなじみの「ルール・ブリタニア」が映像付きで登場。

巨大な大型帆船の海軍(どう見てもスペインの無敵艦隊との海戦)、ナポレオン時代のトラファルガー海戦、ネルソン提督やウエリントン将軍らしき俳優さん、そしてイギリス王室の行事で見る近衛衛兵と同じコスチュームで馬に乗って突撃する騎兵たち、歴代の国王の肖像、その後は第一次大戦や第二次大戦に出征する兵士たちのリアル映像が流れて行きました。
こうやって祖国を守って戦ってきたイギリスの歴史が歴然でした。

もう一つは、気の強そうなマッシュルームカットの美女、いかにも1970年代のウーマンリブの闘士という感じのフランスのシャンソン歌手ミレイユ・マチューが熱唱するフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」でした。
「血に染まった旗を持て、あなたの妻や子供の首をかき切りに来る敵を討て!武器を手に進め!」という英語の字幕が入っていて、フランス革命で戦い、自由、平等、博愛を勝ち得た市民たちの国歌ということが改めてはっきりしました。
他には「スコットランドザブレイブ」という、スコットランド愛を感じるバグパイプのお馴染みの曲などもあり、どれもその国の祖国愛を熱く感じるものでした。
しかしおススメの隅っこに日本のものがありました。なんと戊辰戦争の時の行進に使ったという「とことんやれ節」で、「宮さん、宮さん♪」と流れて来たのを聞き、なんか違うと思ったのは私だけでしょうか?

君が代と日章旗

日本の国歌「君が代」や国旗「日章旗」の意味について説明した日本人作成による動画も発見。
ちょっと思い出せないくらい、いかにも深い意味があるような解説で、感動のコメントが多数ありました。
しかしもとはと言えば「日章旗」は、幕末に開国後、船籍をはっきりさせるのに国旗を掲げる必要が出て、薩摩藩主島津斉彬が薩摩藩が(密貿易で)使っている「日の丸」を使えと幕府に進言し、松平春嶽ら藩主仲間の推しで決定。
それが明治新政府にも持ち越されたという、はっきりいって、島津斉彬が好みだったという以外にあまり意味がないものだと思います。
また、国歌「君が代」が出来たきっかけは、明治2年4月、ヴィクトリア女王の次男が海軍の一員として日本訪問したときで、初の海外王族の日本公式訪問でした。

この頃の日本は、まだ蝦夷では五稜郭の戦い中で、明治新政府はバタバタしている最中。
儀式とか接待などもどうしていいかわからないため、イギリス公使館の協力で必死にそれらしく準備したらしいです。
そして歓迎行事に国歌が必要だとイギリス公使館の軍楽隊長フェントンに助言され、当時の薩摩藩砲兵大隊長大山巌が、大隊長らと薩摩琵琶歌の「蓬?山」にあった「君が代」を選んだ。
または、忙しいフェントンに取り合ってもらえなかった静岡藩士が大奥の正月の儀式「おさざれ石」で使われた古歌を提案したが、これが「君が代」となったというふたつの説があります。

明治新政府も金欠とか他に色々な問題山積だったため、歌や旗にかまっている場合じゃなかった感がありますね。
その後、「君が代」は歌詞や曲が色々アレンジされて正式な国歌となり現在に至ると言う、「ラ・マルセイエーズ」の成立とはかけ離れた成立と言えるでしょう。
というわけで、こういう経過で国旗や国歌となったのは間違いないので、深い意味があるというのは後付けのこじつけもいいところだと思うのです。
しかしむしろこの方が曖昧な国日本らしい、私はそう思えるんですけが・・・。

※画像はイメージです。

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