1988年11月25日、東京都足立区綾瀬で17歳の女子高生が行方不明となった。約40日後、江東区の工事現場で、ドラム缶に入れられた遺体が発見される。
後に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」と呼ばれ、日本犯罪史に残る残虐事件として社会に衝撃を与えた。
事件の経緯と加害者の人物像、社会的影響について要点を整理して解説する。
あまりに酷い犯行
犯行は計画的で、加害者4人はいずれも16~18歳の少年だった。
当時の1988年はバブル景気の最盛期で、世の中全体が浮かれていた時代。その中で、暴走族や半グレの走りのような不良少年が社会に目立ち、暴力や威圧を誇示することをかっこいいと考える風潮が一部にあった。
加害者たちもこうした価値観に影響されていたとされる。
被害者の少女は帰宅途中、少年グループの一人に声をかけられ、些細なことをきっかけに脅迫を受け、主犯格の少年宅へ連れ込まれ、少女は約40日間にわたり監禁され、暴行・性的暴行・拷問を受けた。
監禁場所は一般住宅であり、家族が在宅している環境下であった点が重要。家族は少女の存在を認識していたとされ、少なくとも「家に少女がいる」状況は把握していた。
しかし、監禁や暴行の実態にどこまで踏み込んで理解していたのかは解らず、結果として通報は行われず監禁は続いた。
暴行には主犯格の少年がだけでなく、交友関係にあった複数の少年が出入りし加担していたことが確認されている。
少女は繰り返し性的暴行や殴打を受け、火傷を負わされるなどの虐待も加えられた。排泄物をゴキブリを無理やり摂取させる行為、鉄球などによる暴行も行われたようだ。
監禁中、少女は逃げようと警察に連絡を試みたが、気が付かれてしまい未遂に終わった。
少年たちの暴力はエスカレートしていき、監禁41日目、主犯格の少年がギャンブルで負けたことをきっかけに激しい暴行を加え、頭部打撲による脳挫傷で死亡した。
遺体の処理に困った少年たちは、ドラム缶に入れてコンクリートで固められたうえ、江東区の空き地に遺棄したのだ。
その後、事件は主犯格の少年が別件で逮捕されたことを契機に発覚した。
4人の主犯
犯行に関与したのは4名は、いずれも主犯格を中心とする非行グループの交友関係にあり、暴走族との関係や問題行動があったようだ。いわゆる時代に勘違いしている系のヤンキーといった印象だが、単純なレッテルで説明できる事件ではない。
4人のこの事件での立ち位置を、それぞれの生育歴や交友関係、家庭環境を検証する。
事件では主導的立場にあった主犯Aは、柔道経験があり将来を期待された時期もあったとされるが、非行グループとの関係を深め、暴力行為を重ねるようになった。
父親は証券マンで、当時の価値観としては「エリート」、母親はピアノ教師、外見からは安定して裕福な家庭に見える。ただし家庭内の実情については複数の証言があり、一概に恵まれていたとは言い切れない。
主犯Bは両親の離婚後、スナックを経営する母親のもとで暮らしていた。家庭は必ずしも安定していたとは言い難い状況にあり、グレてしまい地域の不良グループと結びつき、非行を重ねていく。
少年Cは主犯格の少年Aの不良グループの一員で、暴力にも加わっている。両親は日本共産党の幹部で、父親は「赤旗」を配るなど熱心な活動家だった。
自宅を監禁場所として利用させ、母親や兄が被害者の存在に気づきながら動かなかったという点を含め、両親の思想や家庭の空気が少年Cの意識に影響していなかったと言い切ることはできない。
最後に少年Dだが、4人の中では一番目立たず、性格は内向的だったと一部で言われている。姉が主犯格Aと関係にあったことから、巻き込まれる形でグループに加わったと考えられる。性格については諸説あるが、暴行への関与は裁判で認定され、有罪判決を受けている。
4人の家庭環境はそれぞれ大きく異なり、一括りにはできない。
共通していたのは、普段から不良仲間とつるみ、暴力や悪事に関わる環境で生活していた点だ。
裁判と判決
逮捕された後、4人の加害者はいずれも未成年だったため、少年法の枠内で裁かれた。監禁・暴行・性的暴行・拷問・死亡という凶悪性の高い犯罪であることが争点となったが、量刑は成人刑と比べると軽く、最長で20年、短ければ5年ほどで刑務所を出られる。
少年Aは懲役20年の刑を受け、2009年に出所。
以降は各地を転々とし、2013年には電話のかけ子で再び逮捕された。ネット上で勤め先まで特定されることもあったが、現在は行方不明で、噂では暴力団の下っ端をしているらしい。
少年Bは10年の服役を経て出所したが、会社勤めをしても身元が知られて退職、結局暴力団に関係するようになった。
中国人と結婚して離婚したのち、2004年には知人男性を暴行する傷害事件を起こし、被害者遺族には賠償金を支払ったものの、後に逆切れして被害者の墓を破壊するなど、再犯や社会的に逸脱した行動が目立つ。
少年Cは出所後、親とともに各地を転々としながら生活し、その後外国人と結婚。
東京都内でムエタイ選手としてデビューしたが、すぐに過去が身バレして「コンクリ、コンクリ」と批判を受けた。
性格は凶暴であるとされ、殺人未遂事件にも関与した。
少年Dは出所後、引きこもりになり生活保護を受けているという噂だ。
再犯の報道は確認されていないものの、情報が表に出ていないだけの可能性もある。
事件の余波はこんなところにも
事件の影響は、関係のない人物まで巻き込んだ噂やデマが広がるという副作用も生んだ。
まず語られることが多いのが、タレントの飯島愛に関する噂。
主犯Aと交際し、事件の最中、百人近いヤンキー仲間が集まった中に飯島愛でいて、被害者の顔に油性ペンで落書きをしたというものだ。
結局これは、飯島愛の出身地が江東区などから来た「デマ」ということらしい。
もう一つ有名なのが、お笑いタレントのスマイリーキクチをめぐる騒動。
2000年代にインターネット掲示板で同年代で不良だったことを原因に、事件の主犯を匂わせる投稿がされて炎上。
誹謗中傷が続き、スマイリーキクチ本人が警察に相談。2009年に中傷を書き込んだ人物が摘発される事態にまで発展している。
事件の衝撃が大きすぎたせいか、事実とは無関係の噂や憶測が広まり、関係のない人物まで巻き込む結果にもなった。
筆者の視点で事件の総括
この事件を振り返ると、どうしてこんなことが起きたのかと誰もが考えてしまう。
しかし記録を見ていくと、そこにあるのは思想や特別な理由はなく、むしろ拍子抜けするほど幼稚。
悪ぶっていた不良少年たちが仲間内で粋がり、つるみ、暴力の感覚がどんどん麻痺していく。そして気づいたときには、引き返せないところまで踏み込んでしまった。
言ってしまえば、「悪ふざけの延長」で人を殺してしまったようなものだろう。
象徴的なのが、遺体の処理方法。
この事件では遺体をドラム缶に入れ、コンクリートで固めた状態で空き地に遺棄された。裁判記録や当時の報道でも確認されている事実である。
ただし厄介なのは、その発想を誰が言い出したのかがはっきりしていないことで、裁判でも具体的な発案者までは認定されていない。
状況から考える、いくつか現実的な可能性は見えてくる。
当時は暴力団事件で「コンクリート詰め」という話が都市伝説のように広く知られており、少年たちは暴力団関係者と接点があったとも言われているので、裏社会の雑な知識を真似た可能性が考えられる。
また、ドラム缶とコンクリートというもの自体は建築現場などで珍しいものではない。
コンクリで詰めて捨てれば、遺体が見つかる事はないだろう、という短絡的な発想だった可能性もある。
そして、被害者が亡くなり「とにかく隠さなければならない」という焦りの中からの、雑な後処理だったと見る方が自然だろう。
つまりこの方法は、高度な犯罪計画ではない。
むしろ逆で、雑で短絡的で、どこか子供じみている。
この事件の怖さはそこにある、特別な怪物じみた犯罪者の天才的な計画ではなく、どこにでもいそうな不良少年たちの中途半端な悪知識と、集団の中で歯止めを失った暴走の結果なのだろう。
そして加害者たちは未成年だったため、事件後は少年法の枠組みの中で裁かれ主犯の4人は社会に戻った一方で、被害者の家族は深い悲しみを背負い続けることになった。
残された傷が簡単に消えることはない。
この事件は、少年法のあり方、報道の姿勢、そして被害者保護という問題を日本社会に突きつけた。
その後の少年法改正のきっかけの一つになったことも確かだろう。
ただ、それでも一つだけどうしても引っかかることがある。
極端な話をすれば、「誰か一人が途中でやめろと言っていれば起きなかったかもしれない事件」でもある。
人間はときどき、信じられないほど残酷なことをする。
だが多くの場合、それは特別な存在がやるわけではない。普通の人間が集団の中でブレーキを失ったときに起きる。
だからこそ、この事件は今でも不気味なのだ。
同じような「悪ふざけ」は、今この瞬間もどこかで始まっているかもしれない。
問題は、そのときブレーキをかける人間がいるかどうかだ。


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