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「城丸君誘拐事件」を簡素に説明

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1984年(昭和54年)、札幌市豊平区に住んでいた当時9歳の城丸君が誘拐された。
どう考えても犯人だと考えられる容疑者が逮捕されたが、事件が解決する事はなかった。

目次

事件の概要

事件は1984年(昭和54年)1月10日の午前9時35分頃、電話が鳴った事から始まる。
電話を取ったのは城丸家次男の「城丸秀徳」君で、どうやら彼にかかってきた電話であった。

通話が終わり、受け答えに違和感を覚えた母親が内容を尋ねると、「ワタナベさんの母が借りたものを返したいから取りに来てくれ」と答えて、家を飛び出していった。

行動の不審さが気にかかった母親は、城丸君の兄に様子を伺うようにお願いし、兄は後を追ったのだが途中で見失ってしまった事を母に報告するために家に戻る。

母は兄がみつけた「ワタナベ」の家に向かい、家にいた者に尋ねると城丸くんは来ていない、電話もかけていないと話された。その後も兄と共に探すのだが見つけることはできず、警察に捜索願いを出したのだ。

城丸くんは資産家の息子だったので誘拐事件の可能性があるとされ、事件性が確認された事で捜索を開始するが、身代金の要求が一向に来ない事を理由に、失踪と判断し公開捜査に切り替えられた。

母親の証言を手がかりに聴き込みを始めると、住民から近所に住む女性「工藤加寿子」の住むアパートに城丸君が入っていったと証言が得られた。だが、工藤加寿子を重要参考人として事情聴取するが裏付ける証拠はない。

進展のないまま2年の月日が流れた、1986年(昭和56年)12月30日、札幌市豊平区から約70km離れた新十津川町の火災事故が起き、死亡したのは「工藤加寿子」の元夫。

現場から白骨が発見され、当時の技術では判断できなかったが、1998年(平成10年)にDNA判定によって城丸君の骨と断定。
これがきっかけとなり同年12月7日に「工藤加寿子」は逮捕された。

事件の顛末

結論を話すと、犯人であるはずである「工藤加寿子」には無期懲役が求刑されたのだが逆転無罪となり、図々しくも国に対して刑事補償請求を行って勝訴し、賠償金の930万円まで手にしたという。

無罪の理由は時効寸前というタイミングで確実な証拠を固める事ができない事と狡猾にも黙秘権を行使し、事実上で逃げ切ったのだ。

その後「工藤加寿子」の足取りは解らず、生きていれば70歳近い年齢で今ものうのうと暮らしている。
なんともやるせない事件である。

参考:城丸君事件 wikipedia

※画像はイメージです。

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