拓銀支店6人殺し

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昭和25年、春。
まだ雪深い北海道の小さな町で、日本犯罪史に残る、静かなる虐殺が起こりました。
奪われた巨額の現金、闇ルートで流出したと思われる薬品、一切の躊躇無しに急所を断つ凶刃。
一家を襲った惨劇は幼い子供を含む6人もの命を奪いながら、なぜ、犯人の尻尾一つ掴ませぬまま闇に消えたのです。

戦後最恐の未解決事件「拓銀美深支店六人殺し」の深淵に迫っていきます。

目次

深夜の静寂を切り裂く影

1950年4月2日午前1時、北海道中川郡美深町、北海道拓殖銀行美深支店の支店長宅にて、戦後犯罪史に刻まれる惨劇が、その幕を開けました。
この銀行の建物は、事務室と支店長宅が内部で繋がった「職住一体」の構造。
事件の夜、支店長一家と宿直当番の支店長代理夫妻、二つの家族が静かな夜を過ごしていました。

犯人の侵入経路は事務室横にある薪小屋、経年劣化で釘が浮き、外れかかっていた外壁の板の隙間。
管理の行き届かない建物のほころびを正確に突いて、音もなくその身を屋内に滑り込ませました。

異変を最初に察知したのは、三女Aさん。
彼女は次女や四女と同じ六畳間で眠っていたのですが、飼っていたテリア犬の鳴き声で目を覚まします。
布団に丸まっていたはずの犬がいないので、声が聞こえる方に目を凝らすと、数センチほど開いた襖の先の闇の中、隣室の父親の部屋の前で立ち尽くしていている犬の姿が見えました。
しかし、そこには犬の他に、刀を携えた「侵入者」の姿が見えたのです。

Aさんは予想外の事に恐怖を感じて固まっていると、低く細い声で金を要求する男の声が聞こえます。
支店長である父親は「金はここにはない」と抵抗すると、犯人は「この金を届けなければならない。届けたら青年のために。それまで騒がれては困る」と、逃走するどころか処理を開始したのです。
宿直のため事務室に泊まり込んでいた支店長代理夫妻も、異変を察知して駆けつけてきたところを餌食となりました。

犯人の手口は手慣れていてい、機会のように正確でした。
なにかの薬剤を注射して動きを止め、躊躇なく喉を切り裂いていく。
両親の部屋で寝ていた五女と六女の「きゃっ!」という短い悲鳴が止んだあと、家の中には静寂が訪れました。

Aさんは同じ部屋にいた、次女や四女と「黙っていよう」と話あい、しばらくして男が立ち去ったことを確認した後に襖を開けると、鮮血に染まった6人の遺体が横たわっていたのです。

浮かび上がった容疑者

奪われたのは、父親の財布から2,100円(現在の価値で18,000円相当)、金庫の現金約105万円(現在の価値で900万円相当)。
遺留品はガーゼのマスクと血まみれの注射器、そして雪中に捨てられた上着の切れ端と血痕を拭き取った紙。
これほど凄惨な現場でありながら、犯人を特定する指紋や足跡は、当時の未熟な現場保存と混乱の中で、決定打にはなり得ませんでした。

事件直後、警察が最初に捜査の矛先を向けたのは、現場からわずか110mの至近距離に住む男Bさんでした。
彼は戦前に樺太で医療専門学校の体育教師を務めた経歴を持ち、元衛生兵として薬品の扱いに精通していただけでなく、剣道2段という武道の素養も備えていました。
犯人が見せた「薬物による制圧」と「急所を正確に突く刺突」というあまりにプロフェッショナルな手口に対し、Bさんは警察にとって、これ以上ないほど合致するの条件だったのです。

しかし、この捜査の背後には、何者かによる狡猾な誘導の影がちらついていました。
警察がBさんの逮捕に踏み切った決定打は、公民館に届けられた無記名の投書でした。そこには「Bさんは事業に失敗して4万円もの借金を抱えている」「支店長に融資を断られ、強い恨みを抱いていた」といった、犯行の動機を補完する情報が克明に記されていたのです。

警察は、Bさんの妻による「事件当夜は夫と友人で麻雀をしていた」というアリバイ証言を、身内の庇い立てとして冷淡に一蹴しました。強引な取り調べと薬物所持の疑惑追及が進められましたが、皮肉にも真実は別の場所から姿を現します。
共に麻雀を打っていた友人たちが次々と証言を裏付け、さらにBさんが所持していた薬品も、現場で使用されたものとは型が一致しないことが科学的に証明されたのです。
決定的な物証を欠いたまま、Bさんは冤罪として釈放を余儀なくされました。

同時に国家の威信をかけた警察当局はのべ数千人の捜査員を動員し、なりふり構わぬローラー作戦を展開しました。
捜査線上に「将校服に身を包んだ不審な男」や「近隣の商店主」など、72人もの容疑者が浮上し、膨大な供述を引き出しながら決定打にならず、結論として結果は「ゼロ」。

結局、1965年(昭和40年)9月22日、この事件は殺人罪の公訴時効を迎えました。

犯人の言葉から見えてくる事件

ここからは、あくまでも著者の推測にすぎませんが、事件に推測します、

三女Aさんが耳にした、「この金を届けなければならない。届けたら青年のために」という言葉。
犯人が言い放ったとされる一節に、この事件の本質が見えてくると思います。

1950年前後の北海道には、大陸からの引き揚げ者が流入し、炭鉱地帯を中心に労働運動が活発化していました。
共産主義者や労働運動に関わる人々が職場から排除される動きが広がり、その影響もあって、左派・右派双方の政治活動が地域社会に緊張をもたらしていました。

ここでの「青年」とは、地下に潜った旧軍組織や政治団体の「活動家」であった可能性が高いと思います。
105万円という巨額は、個人の生活苦を凌ぐためのものではなく、組織活動費であったと推察するのが論理的整合性に適います。

また、事件現場に残された薬品は「クロロホルム」、「アモバール(アミタール)」の可能性が極めて高いと記録されています。事件当時としても、一般人が入手し、かつ即座に抵抗を奪うほど熟達した投与を行うのは困難を極めます。
おそらく戦時中に軍が隠匿した「特殊薬品」の流出、あるいはそれらを扱う特権的な立場にいた者の犯行を裏付けています。
頸動脈を狙った一撃必殺の刀捌きも一般人とは言い難く、訓練を受けた元軍人の仕業と考えられます。

犯人の行方や未解決事件になった原因は、捜査に人員不足や検問の遅れといった物理的な欠陥が散見されます。
しかし、活動資金の調達を目的とした犯行だとすれば、組織的な隠蔽が考えられます。
仮に地域社会に深く根を張った「有力者」や「旧軍関係のネットワーク」に守られ、警察が太刀打ちできない状況だったのでしょう。

大金を手にした犯人、その後一度としてその金を使った形跡を見せず、忽然と姿を消したことを考慮すれば、ありえない事だとはいいきれません。

参考
最後の頭取 北海道拓殖銀行破綻20年後の真実 ダイヤモンド社
ウィキペディア 北海道拓殖銀行

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