神奈川と東京の境にある公園「こどもの国」をご存じでしょうか?
自然があふれる広大な公園の中には、たくさんの遊具が設置され、ヤギやヒツジ、牛などふれあえるこども動物園、ボートやドラム缶イカダ遊びのできる白鳥湖、プールやサイクリングコース等、子どもたちが一日遊んでも遊びきれないぐらいの施設です。
実際に筆者も子供の頃に何度となく遊びに行き、学校行事の遠足やマラソン大会が行われ、さまざまな思い出が蘇る場所でもあります。
ところがこの「こどもの国」は、昔から幽霊を見たという話が多発する心霊スポットという噂があるのです。
なぜそう言われているのか、考えてみたいと思います。
こどもの国の概要
こどもの国は、JR横浜線・長津田駅から専用の「こどもの国線」に乗り、鶴川方面へ向かった先にあります。
現在こそ周囲に住宅地が広がっていますが、かつては「横浜の秘境」とも呼ばれるほどの山深い場所でした。
だからこそ、豊かな自然が残るこの地が、子どもたちのための広大な公園の用地として選ばれたのでしょう。
1959年の上皇・上皇后両陛下のご成婚を記念し、国民から寄せられたお祝い金をもとに整備され、1965年5月5日に開園しました。
ここまでは、幽霊が出現する理由が見当たりません。
ところが「こどもの国」の場所は第2次大戦中に使われていた弾薬庫として使われていたのです。
こどもの国の歴史
戦時中、旧陸軍田奈弾薬庫補給廠として、旧陸軍田奈部隊の管理のもと、戦地に送る弾薬を保管・発送・製造していました。敷地内には33基もの弾薬庫が構築されていましたが、殆どは埋没して現在は十数基が残っています。
園内の内周道路を歩いていると時々見える、コンクリートで囲われた緑色の扉が弾薬庫の名残りです。
今では記憶の限りでは、昔はもっと”そのまま”の状態で放置されていて、生々しかったようの思います。
1938年には、国家総動員法で住民であった農家は強制的に退去させられ、弾薬庫工事にされます。戦時中、空襲を受けたことはありませんが、近所の学生は学徒動員で毎日駆り出され、重労働をさせられていました。
暴発事故のような痛ましい事件も起こっています。
こういった負の歴史から、幽霊を見たという噂がたったのでしょう。
こどもの国に幽霊はでるの?
幽霊は「軍服の兵士」に関するもので、「立っているのを目撃した」、「行進していた」、「追いかけれた」という内容の噂がほとんどです。
この世に未練を残したり、非業の死を遂げた者が幽霊となるとすると、幽霊の噂そのものが眉唾物にしか聞こえてこなくなります。
たしかに現在の中央広場がある場所で、爆発事故がある、軍属作業員の方が6名亡くなりましたが、それ以外の死亡事故はありません。もしかしたら、作業中に吸い込んだ有害物質をすいこんだ方や重労働に末に亡くなった学徒動員の生徒さんがいたかもしれません。
園内には戦争に関しての慰霊碑もあります。
また「こどもの国」の側には戦時中の防空壕が残っていて、心霊スポットとして有名ですが、ここ、空襲はなかったのに・・・と思う次第であります。
結論からすると「軍服の兵士」が亡くなった事実は、ほぼ皆無といっても間違いではなく、こどもの国にが出る謂れはほとんど無いでしょう。
おそらく歴史的な事実を曲解した、ステレオタイプな噂であると言えます。
最後に思うこと
こどもの国近くに住む友人から、「昔はこんな柵がなく、いつでも好きなだけ裏口から入れた。夜も入れたので肝試しによく行った」と聞いてて、怖かったけれど幽霊を見たことはないらしい。
マラソン大会でサボっていると、兵士に追いかけるという噂もありますが、著者は学生時代に真面目に走った事がなく、幽霊に追いかけられたこともありません。
ましてや上皇后両陛下のご成婚を記念した施設なので、旧日本軍の兵士がでて来られる訳がありませんよね。
ただ、本当に幽霊がいたとしたら、子どもたちが楽しく遊びまわっている姿に平和を胸に抱き、心安らかにお眠りくださることを祈ります。
※画像はイメージです。


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