きさらぎ駅は2004年に「2ちゃんねる」オカルト板のから発生した都市伝説。
しかし似たような話は、日本人に限ったものではない。日本から遠く離れたスウェーデン、ストックホルムの地下鉄にも異界駅は存在する・・・それは「キムリンゲ駅」。
しかも、インターネットが普及する以前から。
ストックホルム午前三時発キムリンゲ駅行き
ある週末の夕刻、首都近郊に住むひとりの少女は地下鉄に乗り、ストックホルムにある歓楽街へと赴いた。
通い慣れたディスコに着いた少女は友人たちと踊り、飲み、他愛のない馬鹿馬鹿しくわいざつな交流で、日ごろ学校や家庭で溜め込んだ憂さを発散した。
誰もが体力の続くかぎり踊り、ディスコの時計が午前三時まえに差し掛かるころには、フロアにいるほとんどの人達が疲れを感じていた。
少女もそのうちのひとりで、遊び続けたい感情より身体を休ませたい欲求が強くなり、友人たちに先に別れを告げ、ひとりディスコを後にした。
少女は深夜の街路に出たものの、どの公共交通機関も夜の午前三時過ぎには動いていない。ともあれ酔っ払ってしまった彼女は最寄りの地下鉄駅に向かい、そこで始発電車を待つことにした。
ぼんやりと駅のベンチに座って時間を潰していれば、気がつくと始発電車がやって来る。これまでも何度か、同じことをディスコの友人たちとやったことがある。
見知らぬ銀色に輝く車体の電車
少女が千鳥足で地下鉄駅の改札をとおり、誰もいないプラットホームに向かって階段を降りていくと、ちょうど電車がホームに入ってきた。日ごろは見かけることがない、塗装されず銀色に輝く車体の電車。
少女は首を傾げた・・・「こんな時刻に動いている地下鉄なんてあった?」。
少女はホームに停車してドアを開けた電車を目にすると、はやく帰宅したい気持ちが先走った。渡りに船とばかりに、見慣れない電車に飛び乗って駅を離れた。
電車に乗ってみると車内には数人ほどの乗客がいたが、深夜帯だけに車内は空いている。少女は近くにあった椅子に身をゆだねて身体を休めた。
酔いが少しずつ醒めてきて、少女はなんとなく周囲を見まわしてみたとき、電車内の雰囲気がなにか妙なことに気づいた。まばらな乗客たちの眼つきは誰もが一様に虚ろで、顔色は棺桶のなかの死体のように白い。
生きている人間が放っている生気がまるで無い。
車内で過ごすうち、ふと「そういえば、この電車に乗ってから何処かの駅に停まって、誰かが別の駅に降りたり乗てきたりした?」と疑問を感じはじめた。
止まるハズなのに
そのうちに電車は、乗り換え路線が集中するストックホルム地下鉄のセントラル・ステーションに差しかかった。
帰宅するためにはここで下車し、別の路線に乗り換えなければならないのでドアの前に立ったが、電車はホームに差し掛かっても、いっこうに速度を落とす気配がない。
全ての電車は必ず停車することになっているセントラル・ステーションのホームを、全速力で素通りしようとする。
「なんで停まらないの?運転手のミス??」
慌てた少女は咄嗟に、ドアのそばに設置されている非常ブレーキに手をかけて強引に緊急停車を試みた。それでも電車は停車する気配をみせない。
そのまま電車はセントラル・ステーションを通過、少女を乗せたまま彼女の行ったことのない路線へと走り去ってしまった。
乗り合わせた乗客たちの気配は不可解だし、停車するはずのセントラル・ステーションには停まらない、非常ブレーキは効き目がない。電車は知らない場所へと向かっている。
車内の雰囲気もあいまって少女は混乱状態におちいっていると、しだいに電車は速度を落とし、彼女が見知らぬ駅に停車した。
キムリンゲ駅
少女が窓から駅の看板に目をやると「キムリンゲ」と書かれている。
この電車から一刻も早く離れ、セントラル・ステーションに戻りたい彼女はこの「キムリンゲ駅」で降りた。
すると何故か、ほかの乗客たち全員がのろのろとキムリンゲ駅のホームに降りてくる。乗客たちの眼つきは相変わらず虚ろで、視線が定まっていない。電車は乗客たち全員を降ろすと、キムリンゲ駅を離れていった。
キムリンゲ駅の構内は他の駅とは異なって、まったく塗装されていなければ広告も見当たらない。駅そのものが建設途中で放棄されたようで、ただ無機質で打ちっ放しのコンクリートだけが剥き出しになっている。
歩みの遅い乗客たちの足取りを追って、少女がキムリンゲ駅の出口に向かうと、ドアは外側から固く施錠されていた。鉄製のドアは錆びついて、長いあいだ誰かが開けた形跡がない。
その正体は
「これじゃ外に出られない・・・ここは何処なの??」
困り果てて廊下に立ち尽くす少女の眼の前で、ひとりの乗客が閉じた鉄製のドアを難なく「すり抜けた」。ほかの乗客たちも同じようにドアや壁をぬけて「外」へと出ていった。
乗客の誰もが肉体を失った存在だったから、鉄の扉やコンクリートの壁をぬけるのは造作もないのだ・・・、少女をのぞいて。
少女が電車を目にした覚えがなかったのは、ストックホルム市内で死んだ人間たちを乗せるために姿をあらわす幽霊電車で、乗客たちは、みな肉体を失って死後の世界へと赴くためキムリンゲ駅を目指すのだ。
生きた人間の前に姿を現す電車ではないが、ときおり少女のように生きた人間が知らず知らずにに乗ってしまう場合もある。
少女はあの夜から帰宅することなく、両親から失踪届が出されていた。
それから一週間ほど経って、警察は閉鎖されているキムリンゲ駅がある森のなかで少女の遺体を発見する。
ヨーロッパで最も有名な異界駅
ディスコから帰る途中、あの世行きの地下鉄に乗ってしまう少女。
このストーリーには幾つかのバリエーションが存在しており、怪異に遭遇して錯乱した少女がキムリンゲで発見、保護される生存ルートもある。
この噂は1978年から80年代前半にかけて、ストックホルムの歓楽街、学校、オフィスなどで、まことしやかに語られた。やがてヨーロッパ中に広まり、有名な異界駅としてキムリンゲ駅は知られている。
「きさらぎ駅」等の日本の異界駅と大きく異なる点は、すくなくても実在することだ。
キムリンゲ駅(Kymlinge)は1970年代後半、首都圏から微妙に離れたスウェーデンのスンドビュベリに、ストックホルム地下鉄が建設しようとした駅。
拡張建設を進める過程で都市計画が変更され、77年ごろに建設途中で工事が中断、それっきりキムリンゲ駅は現在まで、同時に開発される予定だった森のなかに放置の状態。
路線は使われているので建設途中で廃墟状態の駅に電車は通過するが、駅に停車することはない。
2024年現在、鬱蒼とした森の中にコンクリートのプラットフォームの部分と構造が確認できる。
周囲は森林地帯でまったく人家がない。
この路線を利用する乗客たちは廃墟化したキムリンゲ駅を、昼夜を問わず車窓から目にしては素通りする状態が数十年も続いているので、幽霊談のひとつくらい生まれてもおかしくはない。
シルバーアロー
この都市伝説に欠かせない存在が、1965年から96年にかけてストックホルム地下鉄が運用していた車両で、他とは異り、いっさい塗装が施されていないアルミニウムの質感が剥き出しの車体、通称「シルバーアロー」だ。
乗ったことがない、しかし夜中だけに目にする銀色の電車・・・あれは、いったいなんなのか。
地下鉄を利用する乗客たちの間ですら目にする機会が少なく、人気のない終電前の駅でヌッと構内に入ってくる「シルバーアロー」は不気味な印象を与えたのだろう。
主に乗客の少ない深夜帯に運行されていたことや、終電が終わった後に操車場へと向かう姿が「正体不明の電車」として噂されはじめた。そして、「目撃」した人たちの間で尾ひれがつき、地下鉄をさまよう幽霊列車や死者の魂を運ぶ列車と言われるようになって、キムリンゲ駅行き「シルバーアロー」の伝説が生成されたという。
キムリンゲ駅の都市伝説では、「シルバーアロー」は死者たちを運ぶ役割を果たしている。
あの世へむかう死者たちを運ぶ終電車の物語は、世界的に多く存在する。
鉄道に関してそっくりな話が造られるのは、人が鉄道に対してなにか潜在的な恐ろしさを持っているとしか思えないのだ。
きさらぎ駅になくキムリンゲ駅にあるもの
きさらぎ駅とキムリンゲ駅と比べてみると、決定的に異なる要素がある。
きさらぎ駅はオンライン上で発生し、初めのうちは真贋解らぬまま話は進み、やがて幾人もの有志の解析によって創作と断定されたが、中には初めから創作であることを自覚して楽しんでいた方も少なくないと思う。
オンラインと現実社会を往復しているうちに広く知られるようになり、多くの人達に知られ、きさらぎ駅に類似する異界駅が日本各地の地方にも登場する程に話題となった。
キムリンゲ駅には、とりわけ生活の匂いがただよう。ストックホルムでの暮らし、通勤や通学、地下鉄を利用する住人たちの息づかいが聞こえてくる。
「キムリンゲ駅行きシルバーアロー」の噂が生成の過渡期にあったころ、ストックホルム周辺の学校やBAR、地下鉄の車内で語られ、より生々しい感触が備わっていた筈だ。時間の感覚を失った深夜のディスコの一角で、ふと少女たちが「帰りの足はどうしよう」などと考えた刹那、キムリンゲ駅とシルバーアローは現実にヌルっと滑り込んで、奇怪なリアリティを帯びただろう。
ストックホルムで生活する無数の人々が、その足と耳と口を通じて生成していった異界駅がキムリンゲ。
個人の語りから個人の耳へ、別の社会集団へ、さらに別の都市から国境を越えていくプロセスに関与した人々のあいだに、はたして自覚的に「異界駅を創作する」といった概念はあったのだろうか。
まだ生活空間と情報空間のあいだに隙間が生じやすく、その隙間を埋める役割をフォークロアが担っていた時代のものなのだ。
そうして異界駅としてのキムリンゲ駅は2001年、スウェーデン公共放送(STV)がテレビシリーズ『ゴースト・ナイト』のエピソードのひとつとして映像化された。
featured image:Unknown sourceUnknown source, CC0, via Wikimedia Commons
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