「日本の重要な文化財が多くある京都だから、太平洋戦争中、米国は京都の空襲をしなかった」とはよく聞く話ですが・・・その真偽はどうなのでしょうか。
京都空襲はあった
結論から言うと、小規模ながら実際には計5回の空襲がありました。
市民の動揺を抑える為とする厳しい報道規制により、新聞などで被害軽微という記事が載っただけで、今に至るも詳細は不明ですが、京都初となる馬町空襲(東山区)では死者30~40名、被害家屋約140戸、最後の西陣空襲で死者50名、被害家屋292戸など被害が判明しており、それぞれの地に石造りの碑が遺されています。
東京や大阪など大都市部の比べると軍需工場や軍の重要施設が少なかったので爆撃の優先順位が低かった事が、空襲の小規模や少回数の原因だと推測されますが、それ以上のある重大な、そして恐ろしい目的が米国にはあったかもしれないのです。
原爆投下予定地の第1候補だった
文化財の保護どころか、米国が原爆投下候補地の上位に京都を選定していた事は、現在では事実として認定されています。
米国が原爆を実戦で使用した目的は、日本の降伏を促して米軍兵士の損害を少なくする為であると、特に米国国内で喧伝されていますが、少なくともそれは目的の一つであり、人類初の核兵器使用にあたり実際に現れる効果の測定も重要な一方の目的でした。
京都は三方が山に囲まれている事や市街地の広さなど原爆投下候補地の条件に見事に当て嵌まっていました。
原爆の効果を正確に判定する為には、通常爆撃などの破壊あると判別が難しくなるので、なるべく街が無傷なのが好ましいのです。
また日本精神の拠り所ともいえる京都が原爆で破壊され尽くす事は、日本人の精神的ダメージが大きいだろうと予測されました。
結果としては候補地からは外れる事にはなりましたが、原爆投下予定地として通常爆撃を控えていた可能性は否定し切れません。もし京都が広島や長崎の様に壊滅していたら、外国人旅行者が大量に訪れる今の京都は、いったいどんな街になっていたのでしょうか。
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