駐在武官ーー在外公館に駐在し、軍事に関する情報収集や、情報交換をするお仕事。あまり耳慣れない職種だが、およそ19世紀から各国で制度化され、現代日本でも「防衛駐在官」と名前を変えて運用されている。
今回ご紹介する『明日の敵と今日の握手を』(原作 カルロ・ゼン 漫画 フクダイクミ)は、そんな駐在武官が主人公の架空戦記。駐在武官で架空戦記。近いようで遠い二つの要素が組み合わさって、一体どんな物語が展開されているのか。今日はその魅力に迫ってみよう。
剣も大砲も蒸気もなし!あるのは外交と機密費と二枚舌!
今回ご紹介する漫画『明日の敵と今日の握手を』は、先ほど少し触れたように、駐在武官の活躍を描いた作品だ。と言っても実在の国や地域を舞台にしたものではない。
舞台となるのは蒸気機関文明が隆盛を極め、戦艦が空を飛ぶ豪華絢爛な世界。舞台となるのも、「ドラゴンフライ」「ブリタニケ」などなんとなく元ネタは察せられるものの、異世界の架空の国々である。いわゆる架空戦記やミリタリー要素強めのファンタジーに位置づけられる本作だが、従来のそれらの作品とは少し毛色が異なる作品となっている。なんと、本作のメインは空飛ぶ艦隊のド派手なバトルも、名将たちの知略を駆使した頭脳戦でもない。
本作において、主人公たちの主な任務となるのは、在外公館における駐在武官の活動、派遣先の国での外交や情報収集。特に駐在先での駆け引きや、交渉、情報収集がストーリーのメイン。
艦隊も戦車もあまり関係がない。
なんというか地味なストーリーラインだ。
でも大丈夫?
でもがっかりする必要はない。
本作の原作を担当しているのは、カルロ・ゼン氏。『幼女戦記』では転生チートハードミリタリーを、『売国機関』では嫌われものの治安部隊をメインにポリティカルスリラーを描いてきたこの道のヒットメーカーだ。
確かに本作はスチームパンク世界を舞台にしながら、ド派手なバトル描写はほとんどない。その代わりに投入されるのは、駐在武官と彼を取り巻く敵・味方のヒリつくような駆け引きだ。
最初は世界情勢の複雑さや、相手の裏の裏の裏をかく情報戦、知能戦に面くらうかもしれないが、主人公側の策略がピタリとハマればハマるほどだんだん面白くなってくる。また、複雑な駆け引きや心理戦はともすればダレがちだが、漫画ならではのオーバーリアクションな描写もあって、さほどダルさを感じないのもありがたい。
ギャグスレスレの誇張描写を笑っているうちに、複雑なストーリーに夢中になってしまう。漫画としてはなかなかバランスのよい作りをしていると言えるだろう。このあたりは、個性豊かすぎる登場人物含め、大ヒットドラマ『半沢直樹』に通じるところもある。
世界観やストーリーラインはやや複雑だし、駐在武官という耳慣れない職種を扱っているが、本作はいわばお仕事バトルもの。日曜夜のドラマを楽しむ感覚で、気軽に楽しんでみてはいかがだろうか。
一歩間違えば大戦勃発!送りこまれたのは?
駐在武官の活躍を描く戦記ファンタジー『明日の敵と今日の握手を』。
ここからは主人公ハラルドの人となりを中心に、さらに作品について深堀りしていこう。まず、本作で描かれる世界情勢について。先ほど説明したとおり、本作の舞台となるのは、蒸気文明が発達し戦艦が空を飛ぶ、スチームパンクな世界。
文明のレベルとしては私たちの世界でいう19世紀末?20世紀初頭ぐらいだろうか。この世界では、軍事力によって隆盛を極める『皇帝同盟』サイドと、かつて栄華を誇ったが今や落日の道を辿る『協商』サイドが対立を深めており、非常に緊迫した情勢が続いている。
そんな世界情勢の中、主人公ハラルドが属する「ドラゴンフライ皇国」では、表向き中立の立場をとりながら、今までの同盟関係を維持して協商側に着く。国際秩序を守るべしとする「条約派」と、皇帝同盟に与して列強に加わるべきと考える「艦隊派」が水面下で熾烈な暗闘を繰り広げていた。
その緊張は今やピークに達し、ドラゴンフライがどちらに着くかで世界秩序のバランスが崩れ、世界大戦に発展するのでは?と予想されるほど。そこで、登場するのが本作の主人公、海軍中将ハラルドである。
世界秩序の維持をのぞむ、バリバリの条約派であるハラルドが、国際的な緊張がピークに達した同盟国「ブリタニケ」に単身駐在武官として乗り込み、両国の同盟関係を維持しつつ、外交によってドラゴンフライの生き残りをはかる…少し説明が遅くなったか、本作の大まかなあらすじはこんな感じだ。
トップクラスの曲者主人公現る?
肝心の主人公ハラルドはというと、これが中々に曲者。原作者のカルロ・ゼン氏は、これまでの作品で様々に「癖のある」主人公を描いてきたが、ハラルドはトップクラスの曲者主人公だ。
そんなハラルドを一言で表した作品のプロモーション見てみよう。曰く「正論モンスター」……。
信念はある、むしろ信念しかないし、筋が通らないことが許せない(ハラルド自身は理解できないと表現している)のだが、そのためならば手段を選ばずやりたい放題。
甘い言葉を用いた籠絡や二枚舌はもちろん、相手のどんなズルでも見逃さず、執拗につついて弱みを握る。いわば正論のためならどんな卑劣も卑怯も辞さない「モンスター」というわけ。
従来、こうした「正論おばけ」なキャラクターは、その正論ゆえに周囲と衝突したり、疎まれたりするのがお約束だったが、ハラルドは卓越した観察眼と分析力で巧妙に衝突を避け、時に懐柔し、時に調略し、時に押さえ込んで、周囲を意のままに動かしてしまう・・・まさにモンスター。
まあ、ぶっちゃけかなり嫌な人物であり、あまり応援したくならない。はっきり言って「かなり嫌なオッサン」である。友達にはなりたくない。だが、彼が真の意味でドラゴンフライ皇国を思って行動しているのも事実。
有能だがかなり嫌なオッサン
そして世界の命運が「有能だがかなり嫌なオッサン」の肩に乗っているのも事実。ハラルドの「武人らしくない」振る舞いに最初はウッ・・・となりつつも、彼の本心や汚いやり口の裏に見え隠れする信念を垣間見ていると、ほんの少しだけ応援したくなったりならなかったりして、読者は心がむちゃくちゃになってしまう。
そんな我々読者と一緒にむちゃくちゃになってくれるもう一人の主役、それがハラルドの副官にして相棒、アメリアである。もはやカルロ・ゼン作品ではお約束と言っていい、曲者上司に振り回される部下の役どころにある彼女。今回も私たちと一緒にハラルドに振り回されてくれるのだが、彼女の役割が従来作品と少し異なるのはハラルドの「相棒」としての側面が強調されている点。
作中でも少し明らかにされるのだが、ハラルドは彼女を「自分に欠けた部分を補ってくれる存在」として直々に副官に任命しており、頼りにしている様子。
カルロ・ゼンワールドではめずらしい
『幼女戦記』に顕著だが、カルロ・ゼンワールドの曲者主人公たちは今まであまり「相棒」と呼べる存在を必要としていなかった。
今回ハラルドは(合理性から導き出した結論かもしれないが)自分から「相棒」を必要としており、今までになかったバディものとしての側面も楽しみなところ。内部、外部ともに駆け引きばかりの権謀術数渦巻く世界だが、ハラルドとアメリアの上官と部下でありながらくだけたやり取りは作中の癒しでもある。
作品を楽しむ際はぜひ、二人の関係性にも注目してみよう。
今回ご紹介した『明日の敵と今日の握手を』は戦記ファンタジーでありながら、日曜夜のお仕事バトルドラマの要素を加えつつ、個性溢れすぎる主人公が活躍する今までになかった作品だ。
駐在武官というやや耳慣れない職種がテーマのため尻込みしてしまう人もいるかもしれないが、しっかりした読み応えと漫画ならではのケレン味あふれるストーリー展開は最近一番で読む価値あり。
気になった方はぜひチャレンジしてみてほしい。
(C) フクダイクミ カルロ・ゼン 秋田書店
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