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明治維新の最新兵器は西部劇で??

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明治維新について、色々な本を読み直しておもしろかったことをご紹介したいと思います。
最近、なぜか幕末、明治維新についてはまってしまい、色々と本を読み直しております。

そこでわかったことですが、あんまり歴史に詳しくないと言う方は、幕末の志士たちが攘夷運動をしていたのは、ペリーの黒船が来て「泰平のねむりをさます上喜撰、たった四はいで夜も眠られず」からだと思ってるはず。

そして、ペリーの国書が日本国王あてだったので、幕府の徳川将軍でなくて京都の天皇がクローズアップされて、幕府を倒して天皇を奉じてという機運が高まった、日本に外国人を入れたくないということと天皇崇拝が一緒になったと思っているのではないかと思います。

しかし問題の核心はそこじゃないんですよね。

まず、ペリーが急に来たように思えますが、ペリーが来るずっと前から異国の船は日本近海にあらわれていたこと、そして1840年、日本で言えば天保11年に起こったアヘン戦争(イギリスと清国の戦争)で清国が負けて香港を割譲したことはいち早く日本に伝わっていて、日本が同じ目にあえばどうしようと国防意識が芽生えちゃったわけです。

薩摩藩や佐賀藩、宇和島藩などは藩政改革で余剰金が出来たら、海岸に砲台を築き、船を作って武器も自前でと、製鉄所を作るなどに取り掛かったくらいで、当時の先端技術が書いてあるオランダ語の本を読める蘭学者が引っ張りだこになったわけなんです。

それでペリー来航時の対応その他で、江戸幕府がしっかりしない、任せておけないというので志士たちが走り回ってなんとか新しい政府を作って列強の植民地にならないようにしようとしたのが倒幕運動なわけで、トップに据えるのが毛利や島津の殿様では権威がないから天皇を担いだわけ、そして攘夷だ外国人排除だと言いながら最新兵器は輸入し、自前で作る製鉄所を作ろうとしてたんですよね。

あの大村益次郎などは、大坂の適塾で学んだお医者さんだったはずが、オランダ書が読めることと的確に本質をつかむ才能があったため、兵学書などの蘭書を翻訳したり教えたりしているうちに、気が付けば長州軍の指揮官になっていた人です。ということで、戊辰戦争では、意外に早く終わったアメリカの南北戦争のための武器が日本にどっさり入ってきたと言われています。

それに戊辰戦争は最新式の武器と、古式ゆかしい先祖代々の槍や刀、火縄銃を持って戦った戦力の差が歴然としていたことでも有名です。

大村益次郎は、心配性の桂小五郎(後の木戸孝允)が第二次長州征伐のとき「勝てますか」、「施条銃(ライフル銃)を一万挺そろえれば勝てます」と答えたそうで、アスペルガー的に合理的すぎる頭を持った大村益次郎は、最新兵器が戦争に勝つ秘訣というのは明白だったみたい。

匿名Unknown author [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

上野の彰義隊との戦いでも、もうすっかり産業革命なっていた佐賀藩から拝借の最新式大砲のアームストロング砲を導入して、江戸城で落ち着いて待っているだけ、時計を見てそろそろ片が付きますと言ったとおり、火の手が上がって終了だったそう。

ただ最先端の武器を導入しても勝てなかったのは、越後長岡藩の家老河合継之助です。

この人は藩主の家代々の重宝を売り払ったお金で、横浜に行き、日本に3門しかないガットリング砲を2門買い付けたということです。
ガトリング砲というのは、西部劇でクリント・イーストウッドなどが荷馬車に隠し持っていたのを、悪人どもに手回しで撃ちかます手動の機関銃のことです。

Max Smith (Megapixie) [Public domain], via Wikimedia Commons

私はなぜか日本史とアメリカ史が繋がった瞬間として忘れられないガトリング砲ですが、河合継之助はせっかく大枚を払って手に入れたのに、長岡の山岳地帯で平地でなかったためガットリング砲の台を固定できず、役に立たなかったと言われています。

幕末、明治維新の歴史の本を読むと、ガトリング砲、エンフィールド銃、ミニエー銃、ゲベール銃、スナイドル銃、シャープス銃などとやたらと銃関係の名前が出てきますが、西部劇や南北戦争関連の映画なども一緒にご覧になるとわかりやすいのでお勧めします。

※画像はイメージです。

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