1970年から90年代にかけて、日本ではしばしば「幽霊の声が録音された歌謡曲やJ-POP」という噂が流布した。
その代表的なケースが岩崎宏美「万華鏡」(1979)だが、同時代のアメリカにも似たようなケースが散見される。ただし「心霊」ではなく、リアルな犯罪が絡んでくる点はアメリカっぽいと言えようか。
ファンクバンド「オハイオ・プレイヤーズ」
アメリカのブラックミュージックにおける一大ジャンルであるファンク。ファンクの作風は大まかに東海岸、西海岸、南部、それに御大ジェームズ・ブラウンが居を構えたオハイオ州シンシナティのある中西部によって異なる。
1964年ごろのジェームズ・ブラウンがファンクの誕生に磨きをかけた都市こそシンシナティで、そのためかリスナー、ミュージシャンともにオハイオ州=ファンクという連想がはたらく。
オハイオの名をそのままグループ名としたオハイオ・プレイヤーズ。
1975年11月に、シングル「LoveRollercoaster』(邦題は『愛のローラーコースター』)をリリース、翌年1月にビルボードのHot100、ソウル部門ともに1位を獲得。これによりゴールドディスクもゲットした。
その最中のこと・・・。
ブレイクダウンの断末魔
『Love Rollercoaster』がチャートを駆けあがっていく過程で、アメリカ国内のラジオでは妙な話が飛び交い始めた。「間奏に女性が殺害された時の叫び声が録音されてある」。
『Love Rollercoaster』にはシングルのヴァージョンとアルバムのヴァージョンが存在するが、アルバムのヴァージョンでは2分32秒~36秒のあいだ、間奏(ブレイクダウン)の部分に「断末魔」が録音されてあるらしい。
というわけで、YouTubeでアルバムヴァージョンのを何度か聴いてみたが、「うーん、これはタダのボーカルだろう…」。いくら聴き返しても、殺される女性の声には聴こえない。
岩崎宏美『万華鏡』に収録された「幽霊の声」が、何度となく聴いても男性コーラスとしか聴こえないように、不気味さの欠片もない。それも当然で、この「叫び声」はオレの声だとキーボードを弾くメンバーがのちに白状しているのだ。
この噂には幾つかのヴァージョン違いが存在しており、もっともポピュラーなものは「アルバムジャケットのモデルとなったエスター・コーデットが殺害された際の叫び声」というもの。
エスター・コーデット(Ester Cordet)はエロ雑誌の元祖『プレイボーイ』1974年10月号で「今月のプレイメイト」に選ばれたことのあるヌードモデル。『Love Rollercoaster』シングル盤リリースに先立つこと約半年前、同楽曲を収録したアルバム『Honey』のジャケットのモデルを務めていた。
『Honey』と『Love Rollercoaster』と今月のプレイメイト
『Honey』のジャケットでは、セミ・ヌードのエスター・コーデットが右手に蜂蜜の詰まったガラス容器を、左手に蜂蜜がしたたるスプーンを手にして口を開けている。露骨なエロはブラックミュージックの定番だが、アルバムを開けるとエスター・コーデットは際どい部分は隠しているものの、ヌードで全身が蜂蜜まみれ。
レコード全盛期ならではの仕掛けだが、このアルバムジャケットとデザインが、あるときラジオDJのあいだでジョークのネタになった。
そのジョークがラジオやリスナーを通じて広まり、徐々に都市伝説へと発展していく。
先述のとおり、『Honey』はアルバムジャケットを開くとセミ・ヌードのエスター・コーデットの写真があしらわれ、このとき彼女は仰向けになるようスタジオの床に座っている。ラジオを通じて完成した『Love Rollercoaster』の「叫び声」と『Honey』ジャケットにまつわる都市伝説の代表例は、以下のような内容。
『Honey』スタジオ写真のセットの床部分はファイバーグラスで出来ていた。エスター・コーデットが全身に塗りたくった蜂蜜と、ファイバーグラスはなぜか化学反応を起こし、コーデットの身体とファイバーグラスの床が接着されてしまう。
撮影後、コーデットとファイバーグラスの床は強引に剥がされたものの、コーデットの肌は酷いダメージを負った。録音中のスタジオに殴り込んで、バンドメンバーやレコード会社を訴えると迫る。
スタジオ中が大混乱になるなか、口論になったマネージャーあるいはバンドマンは、魔が差して彼女を刺殺。そのとき、偶然にもスタジオの録音テープは回ったままだった。
炎上商法70’s
『Honey』のリリースは1975年8月だが、『Love Rollercoaster』をめぐる「ジョーク」は何処かのラジオ局でDJが口にしたらしい。「断末魔」と設定されたボーカルも、当初はDJが「アルバムジャケットのモデルの叫び声じゃないの?」と軽いノリでネタにする、その程度であったと思われる。
だが『Love Rollercoaster』がシングルカットされてチャートを駆けあがるにつれ、「本当に殺されたモデルの叫び声では?」と噂されるようになり、1976年の1月ごろには全米で放送されるラジオ番組でくりかえし語られた。
オハイオ・プレイヤーズのメンバーは事の真偽をインタビューで尋ねられても、笑いを堪えつつ曖昧に答えて質問をかわした。なぜオハイオ・プレイヤーズのメンバーは事実を語り、殺人事件の噂をかき消さずに放置したのか?
それは、噂がシングルの売上に貢献するだろうと計算していたのである。
ファンクやポップスに関心のないリスナーも、噂を確かめようとする目的から、または怖がるためにシングル盤を購入するだろう。この読みは功を奏した。実際、噂が広まって以降も『Love Rollercoaster』シングル盤の売上は上々だった。もちろん「殺された」ことになっているエスター・コーデットもグルだ。
普通に考えてみれば不可解なストーリーだ。本当に殺人事件を記録した音声テープが存在するならば、なぜ隠滅せずにアルバムにミックスするなどと警察の足がつくヘマをやるのか?
アルバムかシングルを耳にした警察は動き出して、オハイオ・プレイヤーズやレコード会社社員、カメラマンの取り調べに動かないのか?
噂が駆け巡っていた頃、なにかの出版媒体にエスター・コーデットのグラビアが掲載されていたなら、彼女は影武者なのか・・・等々。
理由の裏には
これは人種差別の問題と絡んでくる話題だが、70年代のファンクには犯罪のイメージが付きまとう。
公民権運動が失速して以降に量産された映画のジャンルである、ブラックスプロイテーションムービーのサウンドトラックには、ファンクのミュージシャンが積極的に参加している。
他人種に舐められない、タフでドスの効いたアフリカ系アメリカ人のイメージ、その映像と音の量産と拡散、定着。
ストリートの生存闘争を描写するファンクのリアリズム。それらは現在の視点から眺めたとき、まだ大らかな幻想を抱かせはするが、当時としては深刻に受容されていた。
ファンクの受容の在り方を、オハイオ・プレイヤーズは冷徹に把握していたのだろう。噂から漂う、ファンクやゲットー・リアリズムのネガティブなイメージを敢えて利用したのだ。シングル売り上げやグループのために。
さらには『Honey』ジャケットのモデルが何処の誰なのか、スマートフォンどころかインターネットすら存在しない社会では確認が困難であったろう。
エスター・コーデットの写真が掲載されていたのは専ら男性誌であり、成人指定だ。実際のところ、アメリカは性に関してヨーロッパほど「寛容」ではない。
人種や宗教、地域性によってバラつきはあるものの、ある所は驚くほど大らかであると思ったら、別の場所は極端に「厳格」であったりする。『Honey』ジャケットのモデルの生存を確認しようにも、現在と比較して遥かに難しかった筈だ。色々な意味で。
そうした土壌ゆえに『Honey』のジャケット写真は一種の神秘性を帯び、『Love Rollercoaster』の噂に合わせて広まったのだろう。こと深夜ラジオは音楽もDJも、昼間とは異なる磁場が作用したものだ。
こうした「都市伝説」となった噂には、ネットが普及する以前の味わいを感じるのは私だけだろうか。
※画像はイメージです。
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