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仮面の奥の化粧

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「絶対にすっぴんを見られたくない女VSなんとかサインをもらわなければいけない配達員」
というテキストが付いた動画が炎上していたようだ。
品性のなさや本件の善悪、ジェンダー論については有識者に任せる。

全く事情を知らない立場で、このテキストのみを見た時、多くの人は女性の感情にある程度共感するだろう。
これは、単なる羞恥感情だけでなく、すっぴんの無防備性に対する共感である。
逆に言えば、化粧には人を守る力がある、という事である。

目次

いつから人は化粧をしたのか

化粧とは、肌に何かしらの物質を塗りつけ、美しくする、というだけではない。
歌舞伎の隈取りのように、役割に合わせるためのものであったり、結婚式の白塗りのように儀礼や象徴的な用途の場合もある。顔に合わせて髪型やヒゲを、衣装を、姿勢を整えるのも、化粧の延長線にある。

広義には何かしら外的手段で見た目などを変化させる事全般と言って良く、明確な線引きが難しい。

化粧の最古の記録は古代エジプトである。
これは比較的理解しやすい。
化粧習慣が全くない世界で、ツタンカーメンのマスクのようなアイシャドウは描かないだろう。
エジプトにおける化粧の目的は、見た目の美しさだけでなく、日焼け止めや虫除けの効果も期待されたという。
ただし、鉛を材料とした白粉が、有毒性が知られた後も使われ続けたといった事例もあり、健康上の効能はあくまで二の次だったようだ。

古代ギリシャにおいては、反面的に肉体の美しさが持て囃されたとされるが、古代ローマ時代には化粧が復権している。

日本においては、3世紀頃の様子が『魏志倭人伝』に記されており、化粧や入れ墨をしていたようだ。入れ墨も当然、化粧の延長線上にあるものだ。

化粧は仮面

化粧の最も大きな力は「本来の自分と異なるものになる」という性質である。
ハロウィンの仮装はその分かりやすい例だろう。
年の区切りの悪霊が多く出現する時期に、自らが人ならざるものになる事で、難を逃れるという考え方だ。

宗教儀礼の中に、神や精霊に扮する事で神託を受けたり力を得るというのもあるが、こちらも化粧の機能であろう。
もちろん、化粧の出番はそのような非日常場面に限らない。

家に居る本来の自分と、仕事中のよそ行きの自分という、生活内の区切りとしての機能も持つ。
装いも化粧の一部と考えれば、サラリーマンが着るスーツや、儀礼の時の礼服も当てはまる。
そして、人に合わせて言葉を変えたり、自分のやりたい事に合わせて振る舞いを変える、場面に合わせた人格を「仮面」のように付け替える、いわゆる「ペルソナ」という概念も、化粧と非常に似通っている。

古代の化粧

顔を失った化粧

では何故、人が本来の自分のままでいられず、化粧を必要とするのか。
それは、環境が変化するからだろう。
人間ほど活動範囲が広い生物は稀である。

種としての分布域も、個体としての行動範囲も、同サイズの他生物と比べて非常に広い。
極寒の地にも灼熱の地にも住み、季節による変化にも耐えて行動を継続する。

人間は元来、熱帯の密林に暮らした。
緯度の関係で季節は乏しく、鬱蒼と茂った木々は気候の変動を更に和らげ、昼夜すら曖昧にした。
人は縄張りの中で暮らし、せいぜい隣接する縄張りの者と出会う程度で、一生を終えた。
知らぬ者のほとんどいないこの暮らしで、人は他の自分を用意する必要はない。

そんな「人間」が、その生物的性質を変えぬままに密林を出て、鉄とコンクリートの広大な縄張りを縦横無尽に移動する。

あなたが今住むスイートホームは、「人間」が直面するには、あまりに不自然な環境だろう。
生物的な根本の「人間」すなわち「本来の自分」は、現代の人間生活に耐えられない。
ペルソナが「仮面」であるとして、仮面を全てはぎ取った奥にあるべきものが、既にない。ないままに、人間は成長し、大人になってしまった。
この不自然さと不安を、人々は共有しているのではないか。

国を超え、世代を超えて。
カール・グスタフ・ユングが定義するところの「集合的無意識」に刻まれているのだ。
故に、我々は作った顔「化粧」を必須と考える。

集合的無意識は、感情に影響を与え、それに従わない事に不安をもたらす。

個々に程度差はあるが、「しないよりはした方が良いよね」という原則論的に、化粧は肯定される。失われた「本来の自分」に置き換わるように。

化粧が牙を剥く時

もし、我らがちょっとしたボタンの掛け違いで「棍棒と石で戦う」野生生活となり、本来の自分を取り戻したら、化粧は忘れられるだろうか。

それは分からない。
人々は既に、集合的無意識の中に、化粧を住まわせている。
むしろ、本来の自分と化粧との間の血みどろの争いに発展するかも知れない。
行った道は、そのまま戻れば良いというものでもないのだ。

参考
・ウィキペディア 化粧、日本の入れ墨、ペルソナ(心理学)、集合的無意識

※画像はイメージです。

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