山梨県にのみ存在し、研究者も地域の人々もその由来を知らない、丸いコロコロの石。
これは神様だった?!
謎多くもどこか愛らしい「丸石道祖神」を紹介する。
そもそも道祖神とは?
さて、本題の丸石道祖神に入る前に、まず道祖神とは何なのかについて軽く触れておこう。
道祖神とは、塞の神、サエノカミなどとも呼ばれる日本全土で普遍的にみられる神様で、決まった姿は持たず、ただ自然石に「道祖神」などとでかでかと書いてあったり、神仏習合の結果、地蔵菩薩と同一視されたものはお地蔵さんの姿をしていたり、仲睦まじく寄り添う男女の姿から、果ては性器を模した姿の場合もある。
道祖神の役割は、外からもたらされるケガレや災いから集落を守ることである。
そのため道祖神は、一般的な神社のように社殿を建てて祀ってあるものは稀で、多くは前掲の写真のように野晒しのまま静かに佇んでいる場合が多い。
遙か昔から、雨にも負けず、風にも負けず、その土地の人々を護ってきた素朴な神様と信仰に、筆者はとても愛着を感じるのである。
謎の「丸石道祖神」
ここまでなら民俗学の話で終わってしまうところだが、ここからがミステリーだ。
山梨県、特に甲府盆地を中心とした道祖神は、何故かほぼ一様に「丸い石」を御神体としている。
一口に丸い石といっても大きさや形、個数などは様々で、自然石であったり加工したものであったりもするのだが、共通するのは一様に「丸い石」で「その分布はほぼ山梨県を出ない」事なのだ。
わが国では明治に入りフォークロアの概念が持ち込まれ、柳田國男先生らによって民俗学として体系化され、一つの学問となった。そこで当然、民俗学者らがこの不思議な丸石道祖神の研究に取り組むのだが、その信仰の由来は杳として知れない。
筆者も研究者とは程遠いながら、こうしたものの愛好家の一人としてフィールドワークに赴いたが、地元の古老を訪ねても、県立博物館に問い合わせても皆一様に「わからない」と返ってくる。
ただ、それと同時に「あなたと同じことを尋ねて来る人は多い」と返ってくることも多い。
つまりそれだけ多くの人々が、この謎の丸石道祖神に惹かれ、その正体を追いながら、未だに全く神秘のベールに包まれているのだ。

謎の神「丸石道祖神」
謎の神「丸石道祖神」、結論としては「なぜ山梨県の道祖神が丸いのか、理由はわからない」になってしまう。
そこで、筆者にいくつか仮説を立ててみようと思う。
まず山梨県立博物館にフィールドワークに赴いた際、ある学芸員の方に「由来については正確なことはわからない」とした上で頂いたいくつかの興味深い情報を追加で挙げてみよう。
- 一説によれば、縄文時代の山梨県の遺跡から出土した丸石との関連を指摘する声もある
- 和歌山県の一部にも丸石信仰と思われる神社などがある
- 富士川流域を下った静岡県にも類似性を指摘される民間信仰がある
- 昔はかなり雑に祀られていたようで、地域の子供達が投げて遊んだりもしていたらしい
神様を投げて遊ぶなどとは随分と罰当たりなようにも思えるが、この辺りも素朴な民間信仰らしさが伺えるのではないだろうか?
などであった。
著者の考える「丸石道祖神」
これらの情報を基にした、著者が考える「丸石道祖神」はこうだ。
かつて、ヤマト王権が畿内に進出するより遙か前、丸石を信仰する集団が新天地を求めて和歌山から海伝いに富士川流域へ上陸し、さらに北上して現在の山梨県にたどり着いた。
ところが、そのさらに北には既に建御名方神を信仰する諏訪の集団がいたために、それ以上は北上できず甲府盆地に定着した。
そして、ヤマト王権が山梨に進出した後も人々は丸石の信仰を守り続けたが、諏訪の神と違い、いつしか人々はその由来さえ忘れてしまう。 だが道祖神となって、今も山梨の人々を守り続けている
あくまでも憶測であるが、経緯を考えてみたのだが、どうであろうか?
長々と私見を述べてしまったが、もし山梨県を訪れる、或いは山梨県に住んでいたが、この記事で丸石道祖神を初めて知ったという方。
謎多きながら人々が素朴な民間信仰として守り続け、どこか愛らしくさえ感じる丸石道祖神に手を合わせつつ、想いを馳せてみてほしい。
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