あまり知名度のない初代旗艦「松島」。
日清戦争で活躍した防護巡洋艦について語ります。
防護巡洋艦「松島」とは
防護巡洋艦「松島」は初代連合艦隊の旗艦を務めた防護巡洋艦。
「三景艦」呼ばれる艦の一隻です。
日清戦争以前の日本は朝鮮問題などをめぐって清国との対立が深まっている時期、海軍が戦艦を作るにあたって、当然仮想的は清国の艦隊、特に東洋一の堅牢さを誇る重装甲艦「定遠」と「鎮遠」。
定遠級は排水量7144トンと松島級を上回り、30.5cm連装砲を2基搭載した強力な戦艦。
これに対抗できうる戦艦として防護巡洋艦「松島」は設計されました。
「松島」の特徴
松島が竣工したのは1892年4月5日にフランス。設計士は日本海軍創成期の中核を担ったルイ=エミール・ベルタン。
一番の特徴は艦体後方に設置された32cm単装砲です。仰角10度、射程は8,000mで、5分に一回の発射間隔だったと言われています。
この単装砲は334mmの舷側装甲を貫通できる強力なものですが、大きな弱点も抱えていました。
左右に旋回して敵艦を狙うのですが、艦隊に対して砲が大きすぎたために旋回とともに船体が傾いてしまいます。
設計士のベルタンは単装砲の搭載には反対だったらしいのですが、依頼した帝国軍部は「定遠」級に打ち勝つためには必須であると考えていた為です。
この性質のため砲塔を旋回させながら艦の舵を切ると予期せぬ方向へ船体が動き、戦闘時には仰角を調整しながら撃つなど工夫が必要となります。
実際の戦闘では訓練の成果により、発射数は4発、そのうち1発が命中したと言われ、当時の帝国海軍の練度の高さがうかがえるでしょう。
速力についても設計段階では16ノット出るとされていましたが、ボイラーの不調により実際には14ノット程度になってしまったと言われています。
「三景艦」と呼ばれる理由
松島には「厳島」「橋立」の同型艦が2隻存在しており、日本三景から名前を取られており、日清戦争時の主力となった艦でした。
松島型は元々4隻作られる予定であったと噂されています。
その理由として、「松島」では艦後方に設置されている単装砲が、「厳島」「橋立」では前方に設置されています。
これは4隻で戦隊を組んだ際、死角をなくした射線を作ることを企図していたようです。
しかし、主砲や速力の問題など、軍部の期待には及ばない艦であることがわかってきたために4隻目は建造されませんでした。
松島型が日本三景から名前を取られているのは、4隻目が中止となったことで設計士であるベルタンのメンツを潰さないよう、3隻で完成したと感じさせられるキリの良い題材が求められたからだと言われています。
松島級防護巡洋艦
初代連合艦隊の旗艦を務めた松島級防護巡洋艦。いろいろ問題もあった艦ですが大日本帝国海軍を日清戦争の勝利に大きく貢献したことは間違いありません。
世界大戦時代の戦艦とは違いマニアックな艦ですが、帝国海軍の草創期を支えた魅力的な戦艦だったのではないでしょうか。
featured image:Mikasa Memorial Museum, Public domain, via Wikimedia Commons
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