誰でも一度は耳にしたことがある「人魚」伝説。
古今東西、人類の文化のあるところ人魚伝説は必ずその姿を現し、語り継がれてきました。
西洋におけるセイレーンをはじめ、日本においても有名な八百比丘尼伝説などがあります。
今回は「人魚」を進化という視点から、私なりに考えていきます。
人魚をアクア説で解き明かす
様々な神話や民話で今日まで語り継がれてきた「人魚伝説」に新しい光を投げかけた学説、アクア説をご存知でしょうか。
この研究では人類は進化の過程で、一時期海で暮らしていたという説が唱えられています。海といっても浅瀬で、主に浜と浅瀬を行き来しながら、進化過程における一定の期間を半水生の生き物として暮らしていたのだとか。
人間だけが涙を流す霊長類であること、体毛が薄いこと、皮下脂肪を蓄えていることなど、くじらやイルカ、アシカなどの海洋性哺乳類たちとの共通点が指摘されています。
子育ても主に浅瀬の海中、もしくは淡水の水中で行われていた。例えば人間には様々な異なる文化圏で女性が髪を長く伸ばすという起源不明の習慣がありますが、これは水生人類の赤ん坊や子供が水中で母親や庇護者に掴まれるように、髪を長くしていたことの名残だとされています。
また現人類の生まれたての赤ん坊が水中で泳げることも、生物記憶故の能力だと説明されています。
進化過程の選択
全ての生物は海で誕生し、やがてその中の一部が陸へ進出。そして更にその中の一部、くじらやイルカの先祖たちは再び海中での生活を選択し、海へ戻りました。陸から水中への回帰は生物進化の歴史上、珍しい現象ではありません。
私たち人類もまた一時期であっても、海へ戻ったのです。
母なる海と人類は、現代人が思っているよりもずっと近しい関係であるということになります。
そうなると「海中の人間」「人間と魚が一体化しているという生物イメージ」は人間の生物記憶ゆえに描き出されたものである、という可能性も出てきます。
海とひとつだった頃の記憶。もしくはもうひとつの進化の可能性。
もし海中の生活に完全に適応する方向へ進化していたら、私たちの二本足はくじらやイルカたちが獲得したような尾びれになっていたはずだからです。
人魚とは?
人魚伝説は我々人類の脳や記憶に眠る自己イメージの具現化なのでしょうか。
過去の記憶を見ているのか、それとも選択しなかった、もう一つの進化の未来の姿を見ているのか。
もしくは、本物の人間に似た水生生物や海底人と出会った証言が伝説化したのでしょうか?
海底には人類の知らない超空間・もしくは超文明があり、そこに暮らす人間に似た知的生命体がいるという説も昔から唱えられてきました。
これを完全に否定する証明も、今日でも未だに成されてはいません。
21世紀においても、人魚の謎はますます深まっていきそうです。
※画像はイメージです。
思った事を何でも!ネガティブOK!