あなたは山登りがお好きですか?常日頃から登山を趣味にしている方は、山の神=女の神と刷り込まれているかもしれませんね。
この信仰は一体何を起源としているのでしょうか?
今回は何故山の神様が女神とされるのか、女人禁制や山岳信仰発祥の歴史と交えて解説していきます。
昔の人は自分の女房を山の神=カミさんと呼んでいた
昔の男性は古女房をカミさんと呼びました。この語源は実は山の神様から。古来より山の神は嫉妬深い女神とされ、美しい人間の女性を忌み嫌い、入山を妨げてきたそうです。
山の神は山を仕事場とするマタギ・猟師・山師の間で、特に強く信仰されてきました。彼等に共通する逸話として「山神のお産の手伝いをした褒美に開拓と狩猟の権利を与えられた」というものがあります。実りを司るイメージからか、山神は子沢山というのも定説ですね。
秋田県阿仁地方には身重の女が山小屋を訪ねてきた際、「困った時はお互い様だ」と親切に泊めてやった八人組の猟師の話が残っています。この女性は一晩で十二人の娘を産んだのち実は山の神だと正体を明かし、お産を手伝ってくれた八人組に安全と収穫を約束しました。そうとは知らず山神を追い返した七人組は雪崩で全滅しており、「仇と間違われると困るから山に行く時は必ず八人で」というのが、阿仁地方の戒めとなっています。
山の神は昔から醜女と語り継がれ、その顔貌はオニオコゼに似ているとされてきました。オコゼは全身に棘が映えた灰褐色の怪魚で、体は丸く膨張し、ぎょっとするほどグロテスクな見た目をしています。
熊本県水俣市には年頃にさしかかった山の神の娘が谷川に出向いた際、澄んだ清流に映った自分の顔にショックを受け、引きこもってしまった民話があります。
断食を続ける娘を案じた山神が「お前より醜いものなどたくさんいるから気に病むな」と慰めたところ、娘は「ならば連れてきてください」と泣いて訴えました。
そこで里の若者に命じてオニオコゼを獲ってこさせると、娘は「なんて酷い顔!」と大笑いし、たちまち機嫌を直したそうです。
以来山の神はオコゼを自分のそばに置くようになり、オコゼが山神への供物として定着したのでした。
かくしてオコゼは猟師のお守りとなり、百枚の和紙に包み、お神酒と一緒に供える儀式を続けてきました。入山の際はオコゼを包んだ和紙を一枚貰って身に付けると、無事に戻ってこれると信じられていたのです。
山神がオコゼを好む理由には別の説もあります。見た目は醜いオコゼですが、内臓はどんな魚よりも美しく美味な為、山神は外見の美醜に惑わされず、心が清く正しい者を愛するというのがそれ。世の既婚者が妻を「カミさん」と呼んでいたのは、その容姿を謙遜する意味と、家計を守る女神の意味を兼ねていたのでしょうね。
富士山の女神は絶世の美女
日本一の霊峰といえば富士山。しかし富士山の神様が誰かは意外と知られていません。
和銅5年(712年)に太安万侶が編纂した『古事記』曰く、富士山の神様は木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)。本名は神阿多都比売といい、大山津見神の娘に当たります。大山津見神は名前通り「大いなる山の神」の意味で、この世の全ての山を司る権能が与えられていました。
絶世の美貌の持ち主だった木花之佐久夜毘売は、邇邇芸命(ニニギノミコト)の求婚を受けます。
大山津見神はこの申し出を喜び、姉娘の石長比売(イワナガヒメ)も共に娶らせようとするのですが、邇邇芸命は姉に劣る彼女の容貌が気に入らず送り返してしまいました。
大山津見神はなんたる無礼者めと激怒し、「石長比売と結婚すればおぬしの命は巌のような不老不死を得るはずだったのに」と嘆きました。邇邇芸命の末裔の我々の寿命が短いのは、ご先祖様がスケベ心に負けて木花之佐久夜毘売を選んだから、というのが『古事記』の皮肉なオチでした。木花之佐久夜毘売は浅間大神と同一視されており、日本国内約1300社の浅間神社に祀られています。
さて、一人だけ親元に送り返された石長比売はどうなったのでしょうか?
一説によると邇邇芸命の子を妊娠した妹に呪いを掛けたとされており、これが人間の短命の理由と結び付けられています。さらに由々しきことに大山津見神のもとに返された時点で孕んでいた説も浮上しており、姉妹をもてあそんだ邇邇芸命の好感度暴落は避けられません。
山の神は男と女両方いる?
結局山の神は男なのか女なのか、疑問に思った方も多そうですね。結論から言えば、どちらも存在します。大山津見神がすべての山の主とされているように、山の神を男神と信じる地方も少なからず存在しているのです。
代表的な例が秋田県上小阿仁村で、ここは山の神を女神とする地区と男神とする地区に分かれており、女神とする地区では結婚後数日は入山が禁止されていました。新婚ホヤホヤ幸せ一杯のマタギがうっかり足を踏み入れると、女神が嫉妬して祟るからだそうです。
奈良県や和歌山県でも山神は悋気の激しい女とされ、山で落とし物をしたら着物の裾をからげて男根を見せると返してくれると言われていました。
異常に嫉妬深くて火と穢れと女性が嫌い、そしてムッツリスケベ……というのが多くの地方で共通している山の女神のイメージでした。
農民が信仰する田の神と異なり、山の神は移動せず、常にそこに宿るものと認識されてきました。山は山神の縄張り故、数多くの禁忌が課されています。
祭りに参加していいのは男だけ、12の日に木を伐ってはいけない等の俗信もそれに当たり、女性の下半身を彷彿とさせる三又の木は御神木なので切り倒すのは言語道断でした。
柳田國男『遠野物語』にも山神関連の話は多く登場します。遠野郷の至る所に建っている山神塔は、嘗て山神の祟りに遭った場所とされ、ここを通る人々はとりわけ注意を払いました。
岩の隧道の奥に鎮座する祠は神秘的な雰囲気を漂わせているので、興味がある方はぜひ行ってみてください。
赤不浄とは?山岳信仰と女人禁制の関係
山神が人間の女性を嫌っているのは前段で説明しました。それは日本古来の考え方、赤不浄と深く結び付いています。
平安時代以降、神道では三大不浄の概念が発達しました。これは死の穢れをさす黒不浄、女性の月経をさす赤不浄、出産時に排泄される胎盤をさす白不浄のこと。女性が霊山への参拝を禁止された主な理由は、赤不浄と白不浄に関わっていたからでした。
たとえば富士山、江戸末期まで女性は二合目までしか登れなかった史実は意外と知られていません。
立山、白山、比叡山、高野山も明治5年(1872年)まで女性の登山が許されませんでした。
現代も奈良県の大峯山は女性の立ち入りを禁じています。例外は山丈ケ岳のみで、登山道の入口に女人結界門が設けられています。
もっと下世話な理由として挙げられるのは、女性の存在が霊山を修行場とする僧の劣情を刺激するから。煩悩を捨てる為に山に籠もったのに、目の前に女性がいては集中できませんものね。
特に仏教は五戒、中でも不邪淫戒を重んじます。邪淫とは夫婦の契りを交わした者以外と情交することで、仏に仕える身でありながら性欲に支配されるのは恥とされてきました。
霊山として有名な高野山も明治後半まで女人禁制が続いた場所。さすがに無体ということで、高野山の外に開かれた「女人高野」と呼ばれる四軒の寺が女性の参拝を受け入れてきました。五代将軍徳川綱吉の母・桂晶院が寄進した宝生寺は、秋になると美しい紅葉を見せる景勝地としても知られています。
※画像はイメージです。
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