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過去最悪レベルの夏山遭難事故~トムラウシ山遭難事故 解説編

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トムラウシ山(標高2,141m)は北海道中央部、大雪山系南部に位置している。
アイヌ語で「カムイミンタラ」(神々の遊ぶ庭)と称され、昔から人々に崇められている名山。
その雄大さと北海道の高山特有の珍しい動植物や美しい景色を堪能できることから天井の楽園とも称される美しい山だ。
日本百名山の1つに選ばれていることから登山家たちに人気の山となっている。

そんな楽園で悲劇は起きた。
ツアー参加者15人とガイド3人中8人が死亡するという夏山登山史上最悪レベルの遭難事故が発生したのだ。

この遭難事故では多数の死者が出た一方で、生存者も存在する。
触れられる人物の多さと生存者に配慮し、人物名についてはツアーガイド側は役職名、ツアー参加者側は仮名で表記していく。
なお、ツアー一行の行動については諸説あるが事故調査報告書の行動概要を基にしている。

目次

冒険の前夜

2009年7月13日13:30。
この日、中高年の一団が北海道・新千歳空港に集まっていた。
彼らは旅行会社アミューズトラベル株式会社(以下、アミューズトラベル)が企画・募集したトムラウシ山2泊3日縦走ツアーに応募したツアー客15人とガイドだった。

一行は空港からバスでツアーのスタート地点となる旭岳温泉・白樺荘へと移動し、翌日から始まる登山に備えていた。
各々が休息をとる中、ツアー参加者の1人であった良子(64歳)は自宅で待つ夫と携帯電話で話をしている。
「こんな日でも行くんか?」
夫はテレビの天気予報で、15日、16日と天候が崩れると言っていたのを聞き、その地にいる妻を心配し電話をかけてきたのだ。
良子は「それはプロであるアミューズのガイドが判断すること。それが分かるようならいつも独りで行くわ」と答えた。

この後、楽しいはずの登山が悪夢の山行になることなど、彼女は露ほども思っていなかっただろう。

嵐の前の静けさ~行動1日目・2日目

1日目となる7月14日5:50、一行は予定どおりに白樺荘を発ち、旭岳ロープウェイで登山のスタート地点となる姿見駅に到着した。
姿見駅でネパール人シェルパ(62歳)(シェルパとは荷物運びや案内などを担う登山において欠かせない存在である)と合流し6:30頃には出発する。
視界が悪いというほどでもなかったものの、ガスがかかり、真っ直ぐ歩くのが困難なほどの強風が吹き荒れていた。

道中では一部嘔吐するなどした体調不良者が出たものの、一行は予定通り9:00には旭岳登頂。
間宮岳、白雲岳を順に踏破し、14:30頃には1日目の滞在先である白雲岳避難小屋に到着する。

2日目の7月15日は天気予報通り、朝から雨というあいにくの天気だった。
ツアー参加者一行は雨具を着込み、予定より30分ほど早い5:00過ぎには白雲岳避難小屋を出発。
高根ヶ原から忠別岳、五色岳と縦走を続けた。

しかし、雨のせいで登山道はぬかるんでおり歩きづらく、予定より大分時間がかかってしまっていた。
また雨の中、体を冷やさないようにするため、休憩は短時間かつ立ちっぱなし。
時間オーバーと体力温存のため、予定は変更となり一行は化雲平から直接ヒサゴ沼避難小屋に向かい、出発から約10時間後の15:00頃小屋に到着した。
雨の中、長時間ほとんど休みなく歩き続けたことに加えて、悪天候のため登山の醍醐味でもある山からの美しい眺めも望むことはできず、体力的にも精神的にも厳しい1日となったであろう。

1日の行程を終えた小屋の中でも、前日の和やかなムードとは打って変わって、ツアー参加者一行には心身両面で疲労の色がみられたようだ。
パッキングの不備と雨天の中の長時間の行動のため、雨具や靴下、スパッツといった自身の装備を濡らしてしまった者もいた。

登山者は荷物の軽量化などの観点からたくさんの衣類を持ち運ぶわけにはいかない。
だが、濡れた装備のままでいることは、平地よりもはるかに冷える山中において登山者の体力を奪っていってしまう。
そのため特に長い日程の登山においては、いかに雨や汗などで装備品を濡らさないかが胆になってくる。
装備品を濡らしてしまった参加者はなんとかそれらを乾かそうと試みたものの、ほとんどが失敗に終わったようだ。

地獄の山行のはじまり~行動3日目

ツアー最終日となる7月16日、この日は、5:00にヒサゴ沼避難小屋を出発後、大きな岩々と高山植物が見られる日本庭園と呼ばれる一帯を通り、北沼、トムラウシ山登頂、南沼、トムラウシ公園、前トム平を通り、宿泊地であるトムラウシ温泉を目指す所要時間10時間半のコースを予定していた。
まさにツアー集大成と呼べる行程だろう。
しかし、出発予定時刻には昨日同様の雨模様な上、強風が吹き荒れておりとても出発できる状況ではなかった。

ガイドリーダーは出発直後にある雪渓(夏期であっても積雪が残っている谷や斜面こと)の登りが悪天候下となってしまうことを考慮して出発を予定から30分遅らせる決断をする。
この決断を聞き、縦走開始前日に夫と電話していた良子(64歳)は「こんな天候の日に行くのか」と眉をひそめた。
しかし夫にも伝えた通り、そのあたりの判断をお願いするためにツアーに参加したのだ。
彼女は異議を唱えることなく、決定に従うことにした。

新たな出発時刻となった5:30になっても風雨の勢いは変わらず強かったものの、断続的なものに変化してきた。
ガイドリーダーは目指していたトムラウシ山登頂は断念し、迂回コースを通った上でゴールであるトムラウシ温泉へと向かうことをツアー参加者に伝えた。
「僕たちの仕事は山に登ることじゃなく、皆さんを無事山から下すことです」とガイドリーダーが語ったことで、この日の行程に不安を抱いていた面々も納得したようだ。

一行は5:30に小屋を出発。
アイゼン(氷や氷状の雪の上を歩くための登山用具。氷の上でも滑らずに歩けるよう金属製の爪が付いていて靴底に装着する)装着に時間を取られたり、天候に阻まれ時間はかかったものの、ネパール人シェルパのサポートもあり、雪渓を無事に通過した。
雪渓通過後にシェルパとは別れ、一行は雪渓から主稜線に出る。

ここで恐れていたことが起こる。
天候が悪化し、風が急激に強くなってきたのだ。
加えてこの後のルート上には大きな岩がごろごろと点在しており、足を取られてしまい歩きにくい。
本来であれば苦労しながら進んだ先にビュースポットである日本庭園があるのだが、折角の美しい景観も最悪の天候で楽しむどころではなかった。

一行は風にあおられ何度も転倒しながら、やっと前進しているという状況だった。
しかも天候は良くなっていくだろうというガイドらの思惑に反し、悪化の一途をを辿る。
特に風は強さを増し、一行は荷物や体を文字通り飛ばされながら必死に歩いていたものの、徐々に参加者らの足並みが乱れ始める。

そして悲劇が幕を開けた。

低体温症の分岐点・北沼

ヒサゴ沼避難小屋出発から3時間後の8:30。
通常コースタイムの約2倍の時間をかけて一行は北沼手前の岩礫帯、ロックガーデンまで進んだ。
このロックガーデンの登りで、ツアー参加者に異変が現れはじめる。
士郎(66 歳)の足取りがふらふらとし始め、果ては脚が空を踏んでいたのだ。
最初のうちは良子(64歳)が彼を支えながらなんとか歩かせていたものの、ついには気持ちが切れてたのか、士郎は座り込むようになってしまった。
良子とて悪天候の中、自分が進むだけで精一杯、その上まだまだ今日の道のりは長い。
良子は士郎をガイドに任せることにした。

10:00頃にはようやく北沼に到達。
本来であれば北沼、そして対となる南沼の美しさはトムラウシの2つの小さな瞳とも例えられる絶景スポットなのだが、この日は全く異なる姿をツアー参加者らに見せつけていた。
風の影響で沼は大きく波打ち水が氾濫、幅約2m、ひざ下ほどの深さの川のようになって一行の行く手を阻んでいたのだ。やむを得ず、メインガイド(32歳)とサブガイド(38歳)が川の中に立ちサポートしながら、参加者らを向こう岸に渡していく。

しかし強風の中、参加者らより重い荷物を背負っていたガイドたち。
ちょうど手助けをしていたツアー参加者がよろけてしまったのと同時に強風にあおられ、荷物の重さもあって自身を支えきれなかったサブガイドが川の中で転倒。
彼は全身ずぶ濡れになってしまう。
夏でも氷点下まで冷える北海道の高山では致命的な事態だった。
そして士郎に続き、他のツアー参加者にも次々と異常が現れる。
なんとか川を渡り切った参加者らはその先で休息をとっていたが、そこで舞(62歳)が突如嘔吐し奇声を上げ始めたのだ。

サブガイドが肩を貸しやっと進んできた静子(68歳)の様子もおかしくなる。
自分で体を動かすことができず、周囲からの呼び掛けに対しての反応も薄くなっていたのだ。
ガイドらは懸命に静子を励まし、温かい飲み物を飲ませ体をさすったが、彼女の意識は徐々に薄れていった。ガイド3人がかりで静子を看ていた間、他の参加者は激しい風の中で1時間半ほども待機を余儀なくされた。
ついにガイドリーダーは静子と共にビバーク(緊急避難としてテントなどなしで露営すること)することを決断する。
しかし、付き添う彼の表情もすでに虚ろなものになっていた。

忍び寄る低体温症の恐怖

ツアー本隊はビバークするガイドリーダーと静子を残して先に進むことにした。
ここで全体がまとまって行動できればまた違った結末が待っていたのかもしれないが、すでに全員の足並みはバラバラになっており、収集がつかない状況になり始めていた。

出発して間もなく、志穂(59歳)が意識を失ってしまう。
また、春美(61歳)と文乃(62歳)が自力では止められない震えを起こし、北沼分岐点付近で動けなくなっていたのだ。メインガイドが彼女らを支えてサブガイド率いる本隊に追いついたものの、歩行が怪しいメンバーが幾人もおり、本隊全員でまとまって前進することが不可能なのは明白だった。

メインガイドとサブガイドは協議し、メインガイドが志穂、春美、文乃、サポートとして比較的元気があったツアー参加者の進(69歳)を第2ビバーク組として待機させ、サブガイドが残り10人のツアー参加者を下山させることにした。
しかし、後になって思い返せばこの決断も最善のものかは怪しい。

再編成された本隊を率いるサブガイドにも、本人そして周囲も気が付かない間に低体温症の症状が出始めていたのだ。

低体温症とはなにか

さて、ツアー一行を苦しめた低体温症とは一体どんな症状なのか。
簡単に言ってしまえば、37℃前後あるはずの体の深部体温が35℃未満に低下し、体温が下がりすぎてしまうことだ。

人間の体温は通常であれば、活動にベストの体温となるよう、体内で調整されているあるが、気温の低い場所で過ごしたり、冷たい水につかったりといった体を冷やす環境下にいると体温調節がうまく機能せず、深部体温が下がりすぎてしまうことがあり、低体温症となるのだ。

一般的には、深部体温が35~32℃になると低体温症の軽症、32~28℃では中等症、28~20℃は重症とされている。
軽症の場合であれば外から体を温めて、温かい飲み物などを摂取することで回復するが、中等症以上の症状になった場合は迅速な医療対応が必要となり、最悪の場合には死に至る場合も多くある。
平地とは比べるまでもない低温、かつ過酷な自然環境である山を登る上で、低体温症は必須の知識であると言えるだろう。

実際、このツアーを率いたガイドらも低体温症の症状については理解していたようだ。しかし、初期症状だけで低体温症だと判断するのは、医療者でないと難しい。
低体温症になると、はじめ「シバリング」と呼ばれる激しい震えや勝手に歯が鳴ってしまうといった症状がみられる。
何の対処もないままでいるとシバリングは徐々に収まっていくのだが、一見症状が収まったこのタイミングこそが、低体温症が命を脅かすターニングポイントとなる。

震えが鎮まると体温の急激な低下と共に中枢神経機能も低下、寒さを感じなくなる。
体の動きが徐々に鈍くなり、反応の遅れや意識がぼんやりとしてしまうといった症状が出始める。
さらに悪化していくと、判断力が損なわれ、奇声を上げる、幻覚が見える、錯乱するといった重度の低体温症に陥り、最後には昏睡状態、そして心停止、つまり死に至る。
滑落・転落、雪崩など山で死に直結するような事態は多くあるが、低体温症もまた同様に登山者たちの命を脅かす死神の鎌なのだ。

死の行軍

「動ける人は私に付いて来てください」。サブガイドの号令で一行は下山を開始する。
雪渓を過ぎ、岩礫帯を超えると道は平坦になり始めた。
ようやく難所を過ぎたかと思われたのも束の間、本隊からも次々に落伍者が出始める。
士郎(66歳)と照代(69歳)が歩行困難となってしまった。
照代に至っては奇声まで発している。
さらにはトムラウシ分岐付近でそれまでなんとか歩いていた舞(62歳)がついに倒れてしまった。

途中までは士郎に付き添っていた和男(61歳)、そして照代と舞をなんとか歩かせていた優子(68歳)は相談の上、比較的元気だった優子が救助要請のため下山を急ぎ、和男が照代と舞をサポートすることにした。

和男ら3人はなんとかトムラウシ公園付近まで歩きついたものの、照代と舞が相次いで意識を失う。
すぐそばで徐々に意識を手放していく同志を見るのは和男にとって相当に辛いものであっただろう。しかも、2人の姿は一寸後の自分かもしれないのだ。
和男は2人を諦めて自力下山の道を選ぶことにした。

一方、本隊を任されたサブガイドは一心不乱に前進を続けていた。
彼がトムラウシ分岐付近で後ろを振り返った時、目視で確認できたツアー参加者は8人になっていた上、全員が視界の中で点々としており、もはやパーティーとして機能していないのは一目瞭然だった。
足りないメンバーを探すべきか、救助要請をしなくては、いっそビバークをすべきか、など考え、実行すべきことはいくらでもあったが、検討して行動に移すだけの体力と気力がサブガイドにも残っていなかった。

風雨の中、水に濡れたことによって彼にも低体温症の症状が出始めており、自身も死を意識し始めていた。
こうなっては最早ガイドとしての仕事を完遂することはできないだろう。
先に進めば携帯電話の電波が通じるだろうと信じ、彼はまともに付いて来られそうだと判断した正一(64歳)と良子(64歳)の2人だけを伴って先を急いだ。
また、和男・照代・舞ら一行からやや離れたところを助け合いながら歩いていた和恵(55歳)と美香(64歳)にも限界が近づていた。

和恵が何度か止まって救援を待つことを提案したものの、美香からの反応がない。
やむを得ず、和恵は美香に自分のシュラフをかけてやり介抱しながら、誰かが救援要請をしていることを信じてその場で待つことにした。
しかし、介抱の甲斐なく18:30頃には美香は冷たくなっていた。
道順もわからず、自身も衰弱していた和恵は翌日の自力下山を目指し、死者と共にビバークすることを決断した。

ようやくの救助要請

15:00頃、サブリーダーらは前トム平に到着する。
共にいるツアー参加者はもう良子ただ1人となっていた。
そして15:54、良子の携帯電話に夫から着信が入る。
ついに電波が届いたのだ。

サブガイドは良子の夫に110番通報を依頼。
遭難状態となってから、ようやく初めての救助要請に成功した。

ここで緊張の糸がきれてしまったのだろうか。
サブガイドはついにハイマツの上に倒れこみ、動けなくなってしまう。
「あなたには子ども3人もいるんでしょ。生きて帰らんといけんよ。ここで死んではいけんよ!」。
良子、そして追いついた正一に叱咤激励されるも、再び立ち上がるだけの力がサブガイドには残されていなかった。
サブガイドに促され、良子と正一は下山を再開する。

こうしてガイドという先導を失い、ツアー参加者らの自力下山が始まった。

自力下山

16日の日暮れの段階で下山を目指して行動していたのは、単独下山していた清仁(65歳)、良子(64歳)と正一(64歳)のペア、そして優子(68歳)と合流した和男(61歳)のペア、3組5人だった。

5人とも正確な道順を知らない上、夜の山中での行動はさらなる遭難の危険を孕んでいる。
しかし、パーティーには一刻の猶予も残されていなかった。

視界も悪くなる中、先行した別のパーティーが残した足跡を頼りにそれぞれが先を急ぎ、日付も変わろうかという23:55、ついに良子と正一がトムラウシ温泉に到着する。
そして日をまたいだ7月17日0:55には優子と和男が下山。
4:45には清仁もなんとか自力でトムラウシン温泉に辿り着いた。

捜索、無言の帰還

16日15:54の110番通報を受けて、北海道警察は17:00頃にヘリコプターによる捜索を開始したものの、悪天候による視界不良ですぐに捜索は断念された。
新得署もメインガイドと連絡を取ろうと試みたが通じない。
そのため自衛隊にも救助要請が入り、加えて報道関係者もトムラウシに入り始めたため、事態は大事になっていた。

7月17日、次々に自力下山者を迎える中で夜明けの兆しが見え始めた3:53、警察・消防署員の合計6人のチームが短縮コース登山口から合同捜策を開始する。

4:38には道警と自衛隊のヘリコプターも捜索を開始。
そこで道警ヘリは意識不明の状態の舞、照代、美香、士郎、そして美香に付き添っていた和恵を相次いで収容する。

6:50には自衛隊ヘリがメインガイドと進、春美の一団、そしてガイドリーダー、静子、志穂、文乃の一団を収容する。本格的な捜索開始から約2時間半ほどでツアー参加者らは魔の山を離れることとなった。
そして10:45頃、最後まで行方が分かっていなかったサブガイドが別の登山者に偶然発見されヘリで収容される。
これをもってパーティー全員の救助が完了した。

しかし、最終的にはガイドリーダーをはじめとし、士郎、志穂、舞、照代、静子、文乃、美香の計8人が無言の帰還を遂げることとなった。
その後の司法解剖によって、8人全員が低体温症による凍死であることが断定された。

・・・考察編へ続く

参考文献
トムラウシ山遭難事故調査報告書

 

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