学校の七不思議といえば、殆どの方が学生時代に噂を聞いた事があるでしょう。
当時のことを思い出しながら、学校の七不思議とその起源について考察したいと思います。
学校の七不思議
学校の七不思議って、皆さんの学校には存在しましたか?
学校における七不思議とは昭和後期から平成初期に流行し、学校に伝わる七つの怪異を全て知ってしまうと命を落とすという、呪いのように伝聞が広まっていった怪談でした。
定番の七不思議は『トイレの花子さん』や『ベートーベンの肖像画』などがありますが、各学校によってその内容は違っていたみたいです。
例えば私が平成初期に通っていた小学校では、こんな七不思議がありました。
- 校舎と体育館が繋がっている通路横にある女子トイレには、花子さんが住んでいる。
入り口から4番目のトイレを4回ノックすると花子さんが出てきて、トイレの中に引きずり込まれる。 - 真夜中の0時になると、音楽室にあるベートーベンの肖像画が動き出す。
ベートーベンと目が合ってしまうと、呪われて魂を奪われる。 - 夜のプールに入ると、無数の手がプールの底から伸びてきて、引きずり込まれてしまう。
- 理科室の人体模型は、実は生きている。
理科室に1人で入ると、人体模型に首を絞められてしまう。 - 百葉箱を子供だけで絶対開けてはいけない。
中には封印された山の妖怪が住んでいて、子供が開けたら食べられてしまう。
妖怪は大人を嫌うので、先生と一緒に開けるなら大丈夫。 - 校長室は地獄に繋がっている。
1人で勝手に校長室に入ると、校長室にあるクローゼットの扉が勝手に開いて、地獄に連れて行かれてしまう。
あれ、6個しかないじゃないか。と思いますよね。
当時、私の通っていた小学校では『怪談を七つ知ったら命を奪われてしまう』という七不思議の結末が強く信じられていて、『七不思議は念のため4つまでしか人に話してはいけないし、誰かが自分の知らない怪談を語ろうとした時、それが七つ目になりそうなら耳を塞ぐ』というルールがいつの間にか出来上がっていました。
この令和の時代では信じられないような、非現実的な子供独自のルールだと思います。
けれども昔の子供たち、特に平成初期の子供たちは特に七不思議を恐れていたのかもしれません。
七不思議は一体どのようにして子供たちの間で広まり、恐怖の対象になったのでしょうか。
そしてその起源は、どこにあるのでしょうか。
日本における七不思議の起源
七不思議と呼ばれるものは世界中にありますが、日本における七不思議の起源は江戸時代にありました。
江戸時代には『本所七不思議』という怪談が人々の間で伝聞されるようになっていたようです。
江戸の各地で流行した怪談のうち、特に有名となったものが『本所七不思議』として広く伝わるようになりました。
有名なものだと『置いてけ堀』『送り提灯』などがあります。
実際には、本所七不思議は七種類以上あるのですが『七不思議』という名前として広まった理由として、七という数字が仏教と深い関わりがあるからという説があります。
『七難』という仏教における七つの災難、初七日や四十九日の供養(死者が7回目の審判を受ける最後の日)という、人の死と供養に関わるイベントが霊的な怪談と結び付いて、その象徴である『七』という数字が恐怖の対象となったのかもしれません。
また、七という数字は『七福神』『七草』にも見られるように、人々の暮らしの中で頻繁に使われていたので、聖数信仰も関係していたのだと私は考えています。
おそらく
おそらく学校の七不思議も『本所七不思議』に倣って七不思議という名が冠され、子供たちの間で流行したのかもしれません。
昭和のオカルトブームを経て、平成初期には学校の怪談や七不思議をまとめた児童図書が何冊も大ヒットし、アニメもブームになったことから、子供たちの間では七不思議が広く浸透しやすかったのではないでしょうか。
学校の七不思議は子供たちにとっては恐ろしい存在であり、私も小学生の時は怖くて仕方がありませんでした。
けれども、学校という日常の中でスリルという非日常を味わう楽しみもありましたし、七不思議や怪談を扱った児童図書やアニメのブームも、子供の娯楽という文化の発展に大きく貢献してくれたのは間違いないと私は思っています。
※画像はイメージです。
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