これは、私が実家に住んでいた頃の話だ。
私が住んでいた地域は、少子化が進んだ田舎町で、隣近所の繋がり強かった。特に実家がある場所は数軒の民家が並んでいるだけ。住人以外の出入りはなく、寂れた公園と木々で鬱蒼とした山が背後に迫る、少々気味の悪い雰囲気を漂わせた集落だった。
実家のすぐ右隣には幼馴染の家族が住んでいて、小さい頃はよく家に遊びに行っていた。おじさんもおばさんも優しく、家族ぐるみで仲良くしていたのを覚えている。
しかし、私が中学生にあがる頃。幼馴染の一人が体調を崩し、療養のために祖父母の自宅近くに引っ越すことになった。無人となった隣家はしばらく空き家となっていたが、気づいた時には50代くらいの姉弟が住み始めた。
姉弟のうち、お姉さんの方は市民病院の看護師をしているのだと母が近所の人から聞いてきた。弟の方は仕事をしておらず、毎日二匹の柴犬の散歩に出かけるのが日課のようだった。越してきてしばらくは、顔を合わせればお互いに挨拶をし、何気ない世間話を交わした。
そんな平和な生活が数年続いていたのだが、私が地元の大学に通い始めた頃から、少しずつ異変が起き始めた。
今から10年ほど前、実家の浴室の改装をするため、工事業者に依頼して工事を行った。多少なりとも騒音が起きることを見越して、業者の方が近隣住民に挨拶周りをしてくれてあった。工事を始めて数日後、工事を担当してくれている方から「本社に苦情が入った。」と言われた。どうやら、例の隣人から工事の騒音が迷惑だから工事を中断するようにと電話が入ったとのことだった。電話をかけてきた男は声を荒げ、まくしたてるように文句を並べると一方的に電話を切ったそうだ。工事担当者が隣家を訪ね、直接謝罪をしたが、その場でも怒鳴り散らしていたと、担当者は苦笑いしながら語った。何とも言えない気分の悪さを抱きつつも、工事も終盤に差し掛かっているため、そのまま工事は継続してもらった。しかし、この一件以降、隣家姉弟と言葉を交わすことがほとんどなくなった。
またしばらく平和に数年が流れ、私は社会人になった。一旦は地元を離れたが、慣れない社会人生活に体調を崩し、休養のためにしばらく実家に戻ることになった。久しぶりに戻った実家に懐かしさを感じるのと同時に、隣家から漂ってくる不穏な空気に神経がひりつく気配がした。
その日の夜、母と父と同じ部屋で眠りについた。深夜2時を過ぎた頃だった。
ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン
突如、けたたましく鳴り響くチャイムに驚き、布団から飛び起きた。チャイム音は鳴り止まない。夜の静寂を無理矢理引き裂くかのような、あまりにも乱暴なその音に、心臓がバクバクと悲鳴を上げた。こんな夜中に誰なのか。不審者か。一体どんな用があるというのか。恐怖に身体が震えた。ふと、両隣を見ると、不思議なことに父も母も布団から身体を上げようともせず、掛け布団を耳まで被り、ジッとしていた。私は母に「ねえ、誰が鳴らしてるの?」と聞いた。母は一言だけ、「となり。」と呟いた。すると連打され続けていたチャイムの音が突然止んだ。やっと訪れた静寂に心を撫でおろしていると、
バンバンバンバンバンバンバンバンバンバン
今度は玄関のドアを殴りつける音が聞こえた。その音には強い憎しみが込められているように感じた。私は思わず布団を頭まで被り、耳を塞いだ。十分くらい経つと、音は突然止んだ。目に見えない脅威がヒタヒタと近付いてくるように感じて、私は朝まで眠ることが出来なかった。
翌朝、母に昨夜の出来事を聞いた。母によると、もう二週間ほど前からこのような嫌がらせが続いているようだった。チャイムを連打した後、玄関や窓を何度も何度も殴り続けるのだと言う。驚いた父がベランダから玄関を覗くと、隣家に住む弟が暗がりの中で立っていたそうだ。それ以降、毎日のように同じ時間に嫌がらせをしにやってくるのだと。一階で寝ている祖母は怯えきってしまい、眠れない日々が続いていた。
その後も、毎日嫌がらせが続いた。ある日、あまりにも酷すぎる悪戯に父が耐え兼ね、玄関ドアに向かって「うるさい!何の用だ!」と怒鳴ると、玄関ドアの曇りガラス向こうの黒い人影はジッと立ち尽くし、しばらくすると去っていった。
父は決して玄関のドアを開けなかった。もし玄関のドアを開けて、男の手に刃物でも握られていたら・・・そんな恐怖心から絶対にドアを開けないと決めていたのだ。
常に恐怖の影が隣家にある。そんな不安が家族を蝕んでいった。そしてまた、新たな出来事が起こる。
早朝、出勤のために家を出た父が慌てたように家に戻ってきた。コソコソと母に何かを耳打ちし、母が驚きの声を上げている。私は何事かと母に事情を尋ねると、実家から少し離れた駐車場に止めてある父の車に落書きがされていたとのことだった。その内容は我が家の苗字と、「馬鹿」だの「アホ」だの幼稚な言葉ばかりだった。そして、父の車だけではなく近隣の壁にも同じような落書きがされていると、後に近隣住民から教えられた。母は警察に連絡し、夜中の嫌がらせも含めて相談した。残念ながら防犯カメラもない町のため、隣家の弟がやったという証拠は何もなかった。狭い地域だからこそ、噂はあっという間に拡散される。次第に地域住民はその男から距離を取るようになりなった。
そんなある日、隣家の弟が脳梗塞で倒れ、救急車で搬送された。これも噂で聞いた話だが、左半身に麻痺が残ってしまったようだった。ちょうど同時期に隣家の賃貸借契約の更新時期になったようだが、貸主である幼馴染の両親は更新を許可しなかった。何かトラブルがあるたびに、私の母は幼馴染の両親に報告していた。私たちの身の安全を考え、自宅から出て行くように姉弟に話をしてくれたのだ。姉弟は逃げるように別の町へと引っ越して行った。
数日後、幼馴染の両親が自宅の様子を確認するためにやってきた。私の母も興味本位で自宅の中を見せてもらうために、両親とともに部屋の中に足を踏み入れた。
自宅の中は異様な光景だった。すべての部屋にビニールテープが張り巡らされ、部屋のあちこちにスーパーなどに置いてある買い物用カートとかごが大量に置かれていた。床は何かがぶちまけられたように水浸しだった。自宅周辺には鉄線が張り巡らされ、まるで電波を遮断(もしくは受信?)しているかのように。幼馴染の両親によると、あの姉弟は今までも様々な地域で同じような問題行動を起こし、夜逃げ同然で逃げてきていた。部屋の様子を見た母は気味が悪くなり、逃げるようにその場を去った。その後、隣家は借り手も買い手も出ず、無人のまま放置されている。そして私の実家も数年前に同地域内で新たに家を買い、引っ越しをした。数軒しかなかった集落には、今はもう誰も住んではいない。
時は流れ、2年前に私の父が若くして亡くなった。荷物整理のために数年ぶりに訪れた旧実家は老朽化が進み、解体を検討せざるを得なくなってきた。同じように隣家も、無人の状態が長く続き、あの姉弟が残していったであろう私物が放置されたままになっている。あの頃に感じた恐怖は遠い記憶になり、時折あの夜のチャイム音を思い出しては、身の毛がよだつ思いを味わっている。
ところで、最近また小さな出来事が起きている。父の墓の塔婆が真っ二つに折れていたのだ。しかも、二度も。たまたま墓参りに出かけた知人が父の墓の前に男女の二人組を見かけたのだそうだ。その男女はしきりに塔婆を気にしている様子だったとのこと。
そして男の方は、左足を引きずっていたそうだ。
次は、何が起きるんだろう。
※画像はイメージです。


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